書くべきことがあったのでブログを復活
書くべきことがあったのでブログを復活しました。
それにしても日本の報道ってヒステリックで国際感覚がなくて困る。
中国を馬鹿にしている人も多いけど、やつらはやはりストラテジックだ。
中央統一戦線工作部のサイトなど読んでいると日本は負けてるなって思ってしまう。
とりあえずもうすぐロサル。今年こそチベットにとってよい年になりますように。
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2010年1月30日、31日、北京にて統一戦線部工作部・ダライ・ラマ特使の会談が行われた。この10日間くらいこの問題の整理に追われていたが、報道発表合戦もすこし落ち着いてきたので、まとめておきたい。
まず本会談の名称であるが、これは以前から同じであるが、両サイドとも異なっている。会談のことをチベット側では「中国・チベット間の対話」と呼ぶのに対して、中国側は「中央政府の関係部門とダライ・ラマの私設代表とが接触した会談」と呼んでいる。中国側は「ダライ・ラマ帰還工作」の一環としてはじまったものである。それに対して、チベット側は過去の二国間の懸案事項についての協議と理解している。これについては過去の会談と同じである。なお本会談については前回会談の終了後、中国側も独自のウェブサイトを製作して、情報をタイムリーに配信した。
参加者は、中央統一戦線工作部側からは、杜青林(部長・政治協商会議副主席)、朱維群常務副部長、斯塔副部長、西藏自治区人大常委会副主任 尼玛次仁である。一方、ダライ・ラマ特使側は、特別代表 ギャリ・ロトゥー・ゲルツェン元大臣、特使 ケルサン・ギェルツェン元大臣、その他テンジン・アティシャほかのチベット交渉対策本部(Tibetan Task Force for negotiations)の三名である。チベット自治区の代表者が会談に参加したのは注目すべきことのひとつである。
本会談は前回の会談以来、15ヶ月ぶりの会談となる。その経緯について特使ギャリ・ロトゥー・ゲルツェンが帰国後に行った記者会見で、「特使側から先方に会談の日程を打診した」と述べている。1月18日〜20日に内容的にも重要な「第五次西蔵工作座談会」が開催されるので、それに合わせてを行うこととなったと述べている。
なお、会談の申し出がいずれの側からなされたのか、ということについて、双方の記者会見以前には情報が錯綜していた。何故ならば、2008年11月にダラムサラで開催された第1回特別総会では、中国側から誠意ある回答をもとめるという形で、あたかもチベット側からはコンタクトしないというような結論がでていたからである。
しかしながら、その後3回行われた交渉対策本部会議においてチベット側から会談を再開しようという意見に微調整したと思われる。(最後の第21回会議は本年1月20日より二日間ダラムサラで行われた。)
この経緯について朱維群は、記者会見にて以下のように述べている。
朱维群:我们在与甲日一行谈话时首先指出,从2008年11月接触商谈至今已有1年多时间,这是从2002年恢复接谈以来间隔时间最长的一次。出现这种情况,一个很重要的原因,是他们自己在2008年11月的“西藏前途特别大会”上公开宣布停止与中央的接触。即使在这种情况下,中央并没有把接触商谈的大门关上,而是耐心等待他们的觉悟。此次根据他们的请求安排这次接谈,充分体现了我们的诚意和一贯态度。(国新办就中央与达赖私人代表接触举行发布会(文字实录))
中国側は「常に誠意のある一貫した態度をとり、ダライ・ラマ個人の処遇についての対話の門は常に開かれている”のであって、今回まで1年以上も会談が行われなかったのはダライ・ラマ側に原因がある」ということがいいたいのである。
次に会談の内容であるが、まずは双方から出された主張は以下の通りである。
(チベット側)
前回の会談の際に提出した「全チベット民族が名実共に自治を享受するための草案」(以下『草案』と略する)に変更点はなく、それをもとに再度自らの立場を確認するという意味で、以下の7点を強調するという形で主張がなされた。(うち三つは中国側が主張する所謂 “ 三つの堅持”にあたる)
(中央統一戦線工作部)
今回の会談では主に中央政府の政策ならびにチベット政策についての説明がなされた。
これに対して双方は次のような反応をした。
(ダライ・ラマ特使側)
(中央統一戦線工作部の反応)
次回の会談の具体的な約束はしていないが、次回会談は開催予定であることを確認。
今回の会談の内容を特使はダライ・ラマに伝える旨を統一戦線部に伝えて終了した。
今回の会談で新しい点は双方が会談の後にすぐに報道発表を行い、会談の趣旨説明があったことがあげられる。これは、2008年以来、中央政府が対話に関しても内容を明らかにしてきたことによるが、前回に比べれば会談が終わりすぐに双方が記者発表することとなったのが、非常に注目に値する。
(ダライ・ラマ特使側) www.tibet.net
(中央統一戦線工作部による記者会見)
以上は双方の報道発表をまとめたものである。以下、すこし考えたことを書こう。
今回の会談においてまず注目すべきは、その開催時期である。今回会談の日程を中国側に打診するという形で決定された。開催時期として、1月18日から3日間、9年ぶりに行われた胡錦涛政権発足後では初めての第5次西蔵工作座談会、そして中国仏教協会の全国代表会議(2月2日北京で開催)、および今年の全人代の会期直前というタイミングが選ばれている。一部説では対米関係を考慮してその時期が決定されたのではないか、という推測もあるが、いずれにしても今回の対談の時期は、中国側にとって有利な選択がなされたと言えるであろう。会談の記者会見後すぐに(3日発表)中国側が承認しているパンチェン・ラマは中国仏教協会の副会長に就任したことが発表されたこともこの中国側のメディア戦略を考えた会談の時期の設定の一貫であると言える。
今回の会談で両者の対立点は、「チョルカ・スムをひとつにした単一の自治体の設立と自治権の行使」(所謂“高度な自治”とか“真の自治”と呼ばれるもの)にあったことは明白である。これは四川省、青海省、雲南省、甘粛省などのチベット全域にわたる単一の自治体を設立する要求であり、中国側にとっては「国家分裂」に他ならず、一切の譲歩ができないということをチベット側に再通知した。同時にチベット側も前回の『草案』に基づいて、この部分が最も譲歩できない核となる主張であることを再度提案している。
しかしこの単一の行政体の設立に関していえば、両者は激しく見解が異なるとこであるが、実際のチベットにおける政策については両者ともそれほど意見が対立しているわけではない。中国側がチベット側に説明した胡錦涛主導の第5次西蔵工作座談会の内容については、チベット側もその執政形式以外の部分では、基本的には『草案』で要求していることとそれほど変わらない、と中国側に告げている。今回具体的な内容について多くの説明があったようであり、チベット地域におけるインフラ整備、公共事業計画、チベット人の地位向上、社会発展、人権問題の解決などについては両者はある程度共通の認識をもっている。したがって両者の見解の相違点については、単に「ダライ・ラマや亡命社会がチベット人の総意を代表しているのかどうか」「行政区域の拡大ができるかどうか」というこの二点についての認識の違いに還元することができる。
中国側は、再度、ダライ・ラマ側に対して、四つの譲歩できない項目を提示している。すなわち
そしてさらにこの項目をダライ・ラマが公の場において、認める限り、個人としての帰国ならびに処遇については今後話し合いをすることが可能であり、「門はいつでも開かれている」ということを繰り返し述べている。
しかしこの点についてはあくまでも両者がダライ・ラマの現在の活動と地位をどのように見るのか、という主観的な見解の違いに過ぎないのであって、さほど大きな争点ではない。ダライ・ラマの特使は、帰国後ダライ・ラマにこの点を伝えているし、彼らがこの四つの項目はこれまでも中国側にクリアにしてきたことであるが、中国側は実質的にはそうなっていないという言いがかりをつけているのであり、チベット側はこれをどうやって中国側に理解してもらえるのか、しばらく検討するようであるが、中国側が意図的にそのように解釈しているのであって、ダライ・ラマ側はその解釈の誤りを指摘するという応酬が続いているのに過ぎない。
こうしたやり取りを見てみると、会談自体とその議論の内容は過去から継続して一貫しているもので、一切進展があるとは言えない。ただ今回は以前にも増して両者とも記者会見でその内容をお互いに発表するなど、以前とは異なる点もみられた。また過去の会談にも参加しているサンフランシスコ在住の元首席大臣テンジン・ナムゲル・テトン氏の指摘によれば、中国の側によるダライ・ラマに対する批判は、過去よりも少し弱まったと見受けられる。特に会談以降の記者会見の席での朱維群の発言などは、ダライ・ラマの長寿を願うなどという発言もでてきており、そもそも最近は「ダライ」ではなく「ダライ・ラマ」という表現をすることからも、過去にくらべてその態度が軟化していることは容易に伺える。
しかし実際には中国側としては本音のところは、もはやダライ・ラマの帰国は期待してないのであろう。では何故会談をしているのか、といえば、まずは国外から批判を避けるためである。さらには会談の内容を示すことによって、亡命チベット人たちに、彼らが最も争点としている「単一の行政体」といった自治の枠組みへの希望をあきらめさせることを目指していると思われる。
今回の会談の後にすぐにホワイトハウスの報道官によりオバマ−ダライ・ラマの会談の発表があり、それに対して中国外務省は執拗な批判を繰り返している。しかし客観的に考えるのならば、現在支持率が低下しているオバマ大統領が米国で圧倒的な支持を得ているダライラマと会談することは別に不思議なことではないし、会談をしたからといって、チベット問題を過去の冷戦時代のように政治戦略として見なす必要もない。ただこの報道はチベット側では、会談が充分な成果をあげれなかったのことの失望感を隠すものとして、米国からの支持を得ているという図式を示すものとして都合良く報道されているとしか思われない。
また日本国内でのこの問題に対する反応もそれほど大きな変化はない。2008年度に大幅に増加したチベット支援者も現在は里親であったり、デモ参加者であったり、さまざまに分岐しているが、北京オリンピック前のような勢いはもはや完全に失われている。デモをしても人数が集まらなかったり、どの団体が主宰するのか、どの団体と一緒にやるのかなど縄張り争いのような醜い争いが行われている。全国規模でチベット問題について真摯に取組んで、大規模なデモ活動をしようという勢いはもはやない。
日本の報道機関も今回は両者の発表をもとに、多少胡錦涛・オバマ大統領の会見やグーグル問題に触れるものがあるが、会談に関して、国会で取り上げるべきであるとか、国際問題の大きな問題として取り扱おうといった意図は見られないし、ましてや何故「単一の自治体の設立と自治権の行使」が争点になっているのか、ということを正面から扱えるほどの余裕はない。
今回のような争点の絞り込みは、亡命チベット側にとって極めて不利であり、今後の展開の行き詰まり感をもたらすだろう。
亡命チベット人たちは現在は過去のように在インド中国大使館を通じて本土に戻ることが現在は難しい状況になっている。チベット本土ではいまだに情報統制が厳重に行われている。さらには反政府活動に対する厳重な判決が次から次へと発表され、同時にチベット本土では「ダライ・ラマ私設代表」との会談の報告を行い、チベット人たちの失望感をあおっている。同時に海外にいるチベット人の圧倒的多数が、対話の行方に期待をしているが、今回の対話の結果は彼らの失望感を増大させるものにほかならない。
今後、胡錦涛、温家宝主導の第5次チベット政策にどの程度のチベット人からの支持が得られるのか、ということが今後のこのチベット問題を考える上で非常に重要な要素となるだらう。亡命側はもちろん極めて批判的な見方でその欠点を見いだしていくはずであるが、中国側としては圧倒的な投資と公共事業によってチベット人の民意をかなりつかめるのではないかという自負もあるように思われてならない。中国側にとってはそもそも「チベット問題」など存在せず、ダライ・ラマのみ排除できれば、あとは自動的に空中分解させることができる、と考えている。独裁政権である中国政府は、チベットのことを最もよく研究しており、熟知している。今回の会談後の彼らの記者会見の内容はその自信を充分感じさせるものであった。
チベット側は今後どのように戦略的に抵抗運動を行っていくのか。これについてはいまのところ目立った動きはない。彼らにとって北京オリンピック前後のキャンペーンは大成功であったし、世界中の関心をあつめた。しかし今後、それを上回るだけの戦略があるかといえば、そうではないというのが実情である。彼らが争点の中心としている「単一の自治体の設立と自治権の行使」への道が見えないかぎり、環境問題であったり人権問題であったり宗教への介入という最重要項目ではない部分で自らの権利を主張するしかない。しかし、それには限界があることも彼らはよく分かっているであろうから、今後の展開としては、亡命側が北京オリンピック前後のキャンペーンを上回り、世界中の支持を得れるような内容の戦略を見いだす努力をするしかないし、そのひとつの旗印としては「中国民主化」という問題があるが、実は民主化によってチベット人の最大の望みである「単一の自治体の設立と自治権の行使」は実現できるわけでもないという悲劇がここにはある。何故ならば、当該地域には既に圧倒的に多数の移民が居住しているのであり、チベット人は現在少数派になっているからである。
チベット人たちはいま非常に難しい転機の局面を迎えている。
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ブログをやめていたが、明日よりチベット側と中国統一戦線部との対話が再開するようなので、このブログも必要なことだけ書くことにした。
http://www.dalailama.com/news/post/484-press-statement
国際問題としてチベット問題をとらえるという考え方があるが、それは実は妥当ではない。
前回の会談の席で提出された以下の文章によれば、チベット側はあくまでも中国の憲法のなかでの法的な裏付けのある自治の行使を求めている。
上記の二つの文章は私がボランティアでチベット語からお寺のゲシェーたちに細かいニュアンスなどを確認しながら翻訳したものである。
これから数日間さまざまな報道があるであろうし、この報道をする前に日本のチベット語を解さない無知な日本の報道メディア方々はネットで検索して、いろいろ情報を仕入れるだろうから、偶然にでもここに情報を見に来てくれたメディアの人々にいっておきたいことがある。
「高度な自治」という表現について
この二つの翻訳では「高度な自治」という表現はない。何故ならば、それにあたるチベット語の原文、つまり彼らの主張は「名実を共にする自治」であるからである。英語では「genuine autonomy」と表現されているが、このgenuineを「高度な」と表現したのでは何も意味が通じない。そもそも高度かどうかというような話ではない。
最近にわかチベット問題通みたいな輩が多いが、チベットのことを報道しようとするのならば、少なくともチベット語をすこし勉強した方がいいと思う。今回も行った特使に直接お話を伺ったが、彼らはチベット語で対話をしているのであって英語や中国語で対話をしているのではない。
「チベット人のアイデンティティ」という表現
彼らが現在争点としている「チベット人のアイデンティティ」というのは、自己同一性ではなく、むしろチベット民族というのが単体の集合であるので、それを単体で自治行政府および自治区を作るべきであるということである。彼らが現在問題としてるのは、“民族融合政策”ではなく、彼らを単一の民族として扱って単一の自治区として定めてないことにほかならない。彼らは自分たちが「チベット族」として連続した地域に住んでるのであれば、その地域を一つのチベット自治区にすべきであると語っているのである。
何故ダライ・ラマ法王の特使が対話をしているのかということ
チベット亡命政府とダライ・ラマ法王を同一視している人が多くいるが、これは違う。何故ダライ・ラマ法王の特使が統一戦線部と対話をしているのかといえば、それはチベット側としてはそれはチベット人すべての総意であり、チベット人すべての総意として、対話の全権をダライ・ラマ法王へ委嘱しているからなのであって、ダライ・ラマ法王がチベット亡命政府の代表者なのではない。チベット亡命政府の代表者は現在首席大臣のサムドン・リンポチェ教授である。(「リンポチェ大臣」などと書くメディアはあまりにもばかばかしくてお話にならない)
この3点はよく間違って理解しているとしか思えない記事の書き方があるので、まずはここからちゃんと報道してほしいものだ。
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先日初対面の人に「何故そんなにネガティブ思考なのか」と言われてかなり落ち込んだ。しかし、そもそもネガティブ思考なのを変えるべきかどうか考えれば考えるほど、それが不可能に近いということしか思いつかない。
そもそも仏教を考えてみよう「常楽我浄」これは仏教とは逆のものであり、「苦・不浄・無我・無常」これは仏教の教えである。ダライ・ラマが仏教における基本教理の一番最初は「これは苦しみである」という苦諦であり、苦諦のうち苦苦・壊苦・行苦のうちの行苦を考えてはじめて仏教徒であるとおっしゃっている。これは通常苦痛であると思っていることや快楽であると思っていることはすべて苦しみに他ならないというだけではなく、通常苦痛や快楽であるとも感じていないものであっても、それは苦しみを本質としていると知りなさいということである。
すべてをまずは疑ってかかれ。これが研究者や客観的な事実や論理を重視する人間の姿勢である。
私が最初に書いた論文は「否定」とは何かということである。つまり“the negative”という事象を扱ったものである。そして私の研究テーマは「ツォンカパの空思想」である。つまりこれもまた絶対否定の世界である。さらに言えば、般若経には否定辞「a」だけしかない一字般若経というのがある。
仏教をメランコリックな教えであると評したニーチェはニヒリズムであると言われるが、実は極めて人間的であり、ニヒリズムと無の思想とは実は全く異なっている。そしてそもそもポジティブ思考には限界がある。すくなくともロマンチシズムの行く末が狂気か神秘主義しかないは、既にヨーロッパでは立証されていたのではなかっただろうか。
生のダイナミズムを説くのもいいが、事実を隠蔽する楽観主義はどうかと思う。
残念ながら人は独りで死ななければならないし、すべてを置きさって次に行かなければいけない。そもそもじとじとした濡れたあはれなネガティブ文化こそ美しき日本文化である。うつくしさ、そしてかなしさ、慈悲は相通ずるメランコリックな世界である。
思ひわびさても命はあるものを
憂きに堪へぬは涙なりけり(道因法師/千載集)
「慈悲」を「思いやり」としてしか理解できない人にはこういうことは通じないのかも知れない。しかし慈悲とは悲しくて悲しくてやりきれない気持ちなのである。だからこそ「常に泣いている菩薩」(常啼菩薩)というのがいるくらいなのだ。
もうすこしやわらかくしても、多分ポジティブな人にはこういう歌に心を揺さぶられることはないんだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=BXWk-j5Htos
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「宗教や麻薬は人の弱みにつけ込んでいる」という発想がある。人は死ぬし、どうしようもならない苦しみが沢山ある。そしてそこから立ち上がるためにどうするのかを説くのが宗教である。宗教は人々に救いを提供するのである。
同じようなことをやっているのは医療である。怪我をしたり病気になったりすると病院に行く。病院では高額な医療費をまかなうために保険制度がある。この日本ではどんな人も病院にいって無料で治療を受けないと怒るということはないのである。ヤブ医者か名医か、そして名医のなかでも名医と言われるお医者さんかどうか、ということは患者にとって極めて重要なことである。だがよく考えてみればこれも弱みにつけ込んだ商売である。ガン患者などはものすごい大量にいるために国立のがんセンターまであるくらいである。また予防医学の分野、また健康づくりの分野は国家の公共福祉政策のひとつとしてきちんと裏付けられている。
しかしながら、宗教の場合には、これとは異なっている。宗教法人法によって多少守られているが、この日本では宗教はかなり嫌縁されてきている。新興宗教のようなヤブ医者もいるが、本当に仏教の教義をよく身をもって理解している僧侶たちであっても、社会的な立場は医者よりはるかに低い。若い研修医のくらいのヤブ医者でもベンツにのってもだれも怒らないが、日本で僧侶がベンツにのっていると印象が悪いのである。
この構造はどうして起こっているのかというとかんたんである。現代の日本ではものすごいいきおいで宗教を排除しようとしているからである。では宗教は文化という隠れ蓑で生きていくべきなのかどうかといえば、これはそもそも文化というものを理解していない人の言葉である。何故ならば、文化のひとつに宗教があるからである。宗教は文化の下位概念なのであって、文化と異なるものではない。しかしながら、日本ではこれはあくまでも異なるもののように扱うべきことになっているのである。
そんなことをやっている日本では自殺者も多い。これは当然の結果であろう。智慧がないので行き詰まるのである。もうすこし古くから宗教を見直した方がいい時期にきているのではないだろうか。
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ことばの定義をしない議論は不毛である。
世界中のさまざまな哲学的議論のなかで、議論を尽くすために巧妙に構成された定義集よりなるチベット仏教の世界は、叙情的なことばづかいの世界からは全く離れたものである。
空とは「実体がない」ことであるとか、「実体的な存在がない」ことであると書かれているものを見るとこれはどうかなと思う。何故ならば、空であるということは、まず最初に「あるもの(X)が何らかのもの(Y)を欠いている」時には、XはYについて空である、といわれるのであり、まずそこに留まって何らかの意味付けをする前にこのことを考えるべきであるからである。
空と実体と真実についてはツォンカパの『善説心髄』に詳しく議論されているが、あまりにも難解な議論がつづくためには、それを整理して理解している人が少ない。
簡単にメモっておけば要するにこういうことである。
空は仏教で最も重要な教義である。その割には通り過ぎる人が多い。それは何故かというとことばの定義なしに議論が多くなされているからであろう。
ツォンカパの空思想について長年考えてきてわかったことは、これは究極的には煩悩論であり、思想の均質化・自動化ということを彼はやっているのではないかということだ。これは私は本を読んで考えたのではなく、その本を伝える人の雰囲気から感じてきたことである。一応それを様々な角度から論文に書いてきたつもりだ。私の印象では、ツォンカパというこの巨人はそれまでのいろいろな解釈の問題に終止符をうつという作業をしただと思う。ケードゥプジェはその終止符をさらに強烈な刻印として残す作業を行ったのではないだろうか。彼らの述べていることは、哲学的なものであるが、実はそんなダイナミックな魅力がある。
そんな魅力を教えてくれたのは、チベット人の先生たちである。彼らはその生きたことばを自らの生きたことばとして伝えている。そこが魅力である。彼らの講義には無常の風が吹いたり、空の風が吹いたりする。
そんな魅力を何とか表現したいと思って、いままで少ないけれども論文で書いてみたのだが、しかしほとんどの人が私の書いた論文を読んでくれないようである。私の知り合いや友人で私の論文の感想を言ってくれる人もいない。何とも寂しいものである。自分なりにすこし冒険した部分などは、「あなたのこれはちょっとだめですよね」とか言ってくれる人がいるといいのにと思う。
研究者としての私は科学の進歩というこのモダニズムの夢を見続け、論文の数を増やすために論文を書こうと思ったことは一度もなかった。しかしそれはこの吐き捨てられたメモの集積のように無責任な単なる自己満足にすぎないのかも知れない。
いままでいつも常に新しい発見と新しい視点だけを提示してこようと努力してきたつもりである。しかし最近分かったことは、言葉少なくいくよりも、くどくどと同じことを繰り返し述べる方が人には通じるということだ。
とはいえ、これからそれを反省してくどい人間になるかどうかといえば、それもどうかなと思う。それはすこし雅ではないではないか。いまだに私は短い言葉が好きである。やはり日本人だとつくづく思う。
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子供のころから「お説教」というのに参加してきた。これは我が家の義務であった。
実は私の家族は極めて熱心な安芸門徒である。毎月十八日の晩には一家の仏壇にお参りして、阿弥陀経を唱えた後、蓮如上人の御文章を拝聴し、講師の先生のお説教を1時間くらい聞くわけである。そしてその後に領解文というのを読む。うちの家族はその意味が分からなくても最低でもこれを諳んじられなければ、素人というか子供以下であった。うちの家族には名前も知らない親戚が大勢いたがみんなお説教に来るのが義務であった。
もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。『領解文』
そのうち阿弥陀経に繰り返しある文章を覚えていく。とにかく正座して唱えるのが足が痛くなるので、いつもはやく終わればいいなと思う訳だが、祖母たちの世代は経本もなにも見なくても阿弥陀経くらいは唱えられるという家族である。
最初に覚えたのは「若一日、若二日、‥‥」という部分である。昔の経本なので、ページ数が多くて、長く感じてならなかった。そのうちに
舍利弗.如我今者.稱讃諸佛.不可思議功徳.彼諸佛等.亦稱説我.不可思議功徳.
これがお経の終わりだってことにだんだん気づくようになった。また
如是等恆河沙數諸佛各於其國出廣長舌相遍覆三千大千世界説誠實言汝等衆生當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經
この文章が繰り返しあることに気づくようになった。小学生にあがるころにはこの辺りはそらで言えるようになった。最初に覚えた漢字は「極楽」「楽々」である。というのも「極楽寺」「楽々園」行きのバスに乗らなければ小学校に通えなかったから、その漢字だけは読めるようになったわけだ。
とはいえ、お説教に参加していたのは、単に義務だったからというのとばあちゃんが小遣いをくれたりするからという単にそれだけの理由であった。ただお坊さんが歩く時は頭を下げてみてはいけないとか、お坊さまたちが帰る時は土下座して御見送りするということだけは覚えさせられた。お坊さんたちは偉い人という意識はこのころからいわば強制的に心の奥底に刻まれた。
中学生になってからは“ザビエルの教え”を学ばされた。ミサや聖書を読む会などにも参加したし、男子校だったので、電車などで出会う気に入ったかわいい子たちもみんなミッションスクールだった。時々合同ミサなどがあって、女子を沢山見る機会に恵まれたので、やはりキリスト教っていうのは、あんなにしんどいお説教にでるよりはましだし、いいもんだと思うようになった。奉仕の精神とか純潔の精神というのはこの辺りで学ばされた。しかし音楽と女子校生にしか興味はなかった。
仏教に少し興味がわいたのは、浄土真宗以外の教えがこの世に存在していることを知ってからである。特に禅の世界というものは、驚異であった。この世の中にはこんな文化というものがあり、それが日本の伝統文化の代表的なものとして世界に紹介されているというのは驚きだった。とはいえその程度であった。
高校にあがってから、別に行きたい大学もないので大学受験はしないと宣言すると、周囲の反応が面白かった。何せ進学校のくせに大学受験をしないとは何を考えているんだ、普通の道を歩け、安全な道を歩け、そう大人たちは言った。いま考えてみればその通りだろうが、その言い方自体に余計に拒絶反応をしてしまった。
大学に行かずに東京でぶらぶらしているといろいろな本があることに気づいた。そして大学に進んでもうすこし仏教というものを勉強したみたいなと思い、大学に入ってみた。しかしながら、そもそもいままで人の話を1時間半くらいしか聞くのになれていない人間が一日に何人もの教授の濃いい話を沢山聞くのは苦痛であった。人間にはそんな吸収力はないのに、いい加減な話をいい加減に学んで何も意味がないと思い大学に行くのをやめた。
しかし大学の図書館にはいろいろ外国語の本があり、サンスクリット語の本やチベット語の本があった。これは面白そうなので読みたいと思ったが、それには語学能力が必要であった。そこでサンスクリット語を勉強しはじめたのだが、あまりに煩雑な文法に辟易した。そこでまたドロップアウトした。
大学からは今年であなたは除籍処分になりますよという通知が母親のところについてばれてしまった。こっそりドロップアウトしようと思っていたのにまずかった。そもそも親の謂うことなど聞いたことがないのだが、うちに母親が来た時にダルマキールティについての論文の本を見て、「あ、これ私の小学校の時の同級生じゃない」といって、母親はやめろというのに大学に電話してその先生の連絡先を聞いて、いきなり電話して「息子があなたの論文を読んでいるのを見て、びっくりしました。久しぶりなのでお電話しました」というとその先生は「息子さんを連れて遊びに来なさいよ。あなたのよく知っている人もいますよ」と自宅に誘われた。
私はいやだがさすがに母親に迷惑をかけているのとまあ親孝行だと思ってその先生の家に一緒に遊びに行くことになった。先生の奥さんは実は母親と同級生だったので母親も昔話で盛り上がっていた。しばらくするとその先生はダルマキールティについての論文を出しながら「これが私の作品です」「一生かかってもこれは分からないんですよ」と話された。作曲家を目指していた私は「なるほど」と思った。こういう研究というのはひとつの作品なのだということをはじめて知った。そしてサンスクリット語で唯識三十頌を読んでいるので、授業やゼミにでてみてはどうかと言われた。他の勉強は何もしたくなかったが、サンスクリット語を読めるというのはとてもいいチャンスだったので、次の週から久々に学校に行くようになった。そしてそのうちチベット語を勉強しはじめて、研究者の道を歩んだはずなのに、気づいてみたらいまの状態になっている。
仏教を学びはじめてしばらく立つとばあちゃんが、「あんたあ、仏教の勉強をするんなら龍谷に行って真宗をちゃんとやりんちゃい」「やるんなら得度しんちゃい」そう言ったが、やはりそれはいやだった。私は日本の仏教ならば別に努力しなくても身近にあって知ることができたからである。インドやチベットの仏教はちょっとやそっとちゃ知ることはできない。それにもともと情報もない。だからこそ努力して学ばなければいけないわけである。しかし家族が何代にもわたって大事にしてきた仏教に関わっているのは、実は気づいてみたら若者のなかでは私だけであった。
最近は阿弥陀経も読んでほとんど意味が分かるようになった。チベット語のテキストを読んで結構読めるようになったし、分からない時に聞ける体制もなんとかできた。昔自分が嫌いだったお説教よりはすこし楽しい法話会を開催できるように心がけているつもりである。
世の中には道に迷っている人が沢山いる。正直言ってかなりうらやましいもんだ。私の人生はいつも狭きいばらの道しか残っていない。いろいろな人が道を示してくれるのにも関わらず、何故か自分にはそのなかでいばらの道しか行き先がないようにしか思えない。
いま浄土真宗の門徒ですか?と聞かれたら、「はい、そうです」と答える。この質問は簡単である。何故ならば将来自分が埋葬される場所がそこにあるからである。では、あなたはチベット仏教徒ですかと聞かれたら、それには返答にちょっと困るが、自分の死ぬ時くらいはチベット式で葬儀をやって欲しいと思う。それはチベット式の葬儀がどんなものか友達や親戚をはじめとする、より多くの人に見てもらいたいからである。単にそれだけである。
しかしこれだけは分かってきたことがある。人は何かを知ろうとするのならば、ある程度他のものとのコントラストによって、別次元の言語空間というものを想定しないといけないということである。チベット仏教を学んで分かったことは、「他力」とか「本願力」というものが強烈な縁起思想に立脚しなければ成り立たないということである。
長くなって夜遅くなったので、今日はこのくらいにしておきたいが、ふと思えば、あのつらいつらい「お説教」から旅ははじまっていたのかと思うと、そこに導いてくれたばあちゃんたちの仏縁に感謝の念でいっぱいである。
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