チベットの焼身自殺の原因は我々にもある。

チベットの人々、特に若者や僧侶、尼僧たちが焼身自殺をしている。もはや抵抗することすらできない人々や未来を描くことができない若者が自らの肉体を火にくべて訴えている。

しかしこの一連の持続した焼身自殺の原因は、中国政府にだけあると間違って認識してほしくない。こうした事件の原因は、日本人の我々にもあるし、それが何故なのか考えればわかることである。

私は焼身自殺のことを考えるたびに自らの無力さを感じる。この状況を改善するための何らかの努力をしたいと考え、できる限りのことはやっているつもりである。彼らが焼身自殺し続けている原因は間違いなく私とその延長線上であるこの日本の社会に一部あることだけは間違いないのである。

チベット本土の人たちの悲痛は国際社会に届いていると思っている楽観的な人もいるかもしれないが、それが具体的に彼らが感じられる形では届いていないのは事実である。そして我々日本人がチベット人の声に耳を傾けていると思い違いするのは勝手だが、具体的に彼らがチベット人が自分たちの声が我々の耳に届いていると感じられなければ無意味である。

彼らの決死の訴えが近年も無視されつづけていたことを端的に表す事実として、チベット側と中国政府側との対話が断絶していることがあげられる。国際社会がその状況に改善を望めば、国際社会のなかで生きて行こうとしている中国政府も必ずチベットをはじめとする国内の人権状況を改善しなければなくなる。それは決して不可能ではない。しかし実際にはどうだろうか、チベットの状況は改善されるどころか、悪化する一方で、中国政府はより多くの兵士を動員したり、戦車や機関銃でチベット人たちの肉体を骨の奥底から脅している。

先日も日隅一雄という弁護士が焼身自殺を「自虐ネタ」だとして釈明していて、数日後にもまた釈明するらしいが、そんなことはどうでもいい。彼は余命半年らしく自分の命が消えて行くことをブログなどで宣伝しているが、他人の命が消えてゆくことを冗談のネタに使えるというつまらない人間なのである。同じコミュニティの人間が死んでもどうでもいい、さっきまで元気だった隣の人が死んでも自らの名誉や仕事のために笑って過ごせたりするのは、まだ人間とはいえないだけだ。

チベットの問題は、チベットの人たちだけの問題ではない。それは我々人間全体にあるひとつの問題である。チベットの人々は中国に侵略されて現在苦難を味わっている原因は、過去に自分が為した業の結果であると考えているが、その業の結果が起こりつづけていることは我々人間社会に住んでいる人間ひとりひとりにその責任がある。すくなくとも我々が住んでいると考えているこの小さな日本の社会では、自由をもとめて焼身自殺することが連続して起きることなどないのである。

チベットの若者の命が次から次へと燃えて消えてしまっている現象が起こった原因に我々も無関係ではない。特にこのブログを読んでいる人は、密接な関係をもっているはずだろうし、その責任を感じて欲しい。

彼らは「中国共産党政府よ、悪態をつくのをやめよ」と訴えて死んで行っているわけではない。彼らは「チベットに自由を。ダライ・ラマ法王の帰国を。」と死んでいっているのである。彼らには家族もいるし親もいる。そして友だちもいるし、我々と同じ人間社会に住んでいる人のひとりである。

彼らはニュースの映像でもないし、ネットの画像でもないし、チベット問題とか中国政府に虐げられた人とかいった陳腐なものでは決してない「人間」である。そして我々に問われていることは、「チベットシンパ」とか「チベットサポーター」とか「アジアのリーダーの日本人のひとり」とか右翼とか左翼とかそんなことではない。別に親中派だろうが親チベット派だろうが関係ないのである。

我々に問われているのは、この問題を同じ「人間」という仲間としてどう責任をとっていこうとするのか、ということである。

いま我々は自らの心にどれだけの変化を起こせるのかが問われている。

私たちは、ひとつの家族の兄弟であり、姉妹であり、そして人類というひとつの全体です。それゆえに私たちは、他者が味わっている苦しみ、子供たち、弱者たち、高齢者たち、彼らの痛みに対して無関心であることをやめ、世界全体を問題としなければなりません。

問題が起こる原因、それは私たち自分自身にあります。そしてその解決もまた私たち自身からはじまります。私たちは誰でも小さな子供の時から学んでゆかなくてはならないのです。世界を変えるのに必要な力、それはそこにあります。

広島のメッセージを宣言します。
他者の家を壊すこと、それはあなた自身の家を壊すことです。
他者の家を直すこと、それはあなた自身の家を直すことです。
優先してください。あなたの仲間、街、国だけでなく、世界全体を。
誠実であってください。あなたの仲間、街、国だけでなく、世界全体に。
見守ってあげてください。あなたの仲間、街、国だけでなく、世界全体を。
教育を受けさせてください。あなたの仲間、街、国だけでなく、世界全体に。
思いやりを与えてください。あなたの仲間、街、国だけでなく、世界全体に。
赦しを与えてください。あなたの仲間、街、国だけでなく、世界全体に。
協力してください。あなたの仲間、街、国だけでなく、世界全体で。
変化はあなたの心からはじまります。
すべての人に愛を。

「広島国際平和会議2006共同宣言」

チベットにある問題のために何ができるか悩む必要は全くない。彼らが望んでいることが何であり、そのために我々が日本人に何を望んでいるのか、ということは直接チベットの人たちに聞くことができる。そしてそれを聞いたらそれが実現できるまで努力あるのみなのである。もたもたしているだけ時間の無駄なのである。

ダライ・ラマ法王と極東日本の仏教

日本人にとって、仏教は遠い海の向うのインドの宗教である。その教えは模倣すべき見本であった漢人たちを魅了していたので、それが価値のあることは分かっていたが、一体どんな人がどのようなスタイルで実際にその宗教を担ってきたのかを実際に眼にしたことがなかった。島国に棲む臆病だがヒステリックな人々にとって、仏教がもたらした建築技術をはじめとする最先端の文化の魅力はその恐怖を覆い隠すだけの充分な代償であったからこそこの国には仏教というものが取り入れられることとなったのである。

十一世紀に朝鮮半島からやってきたユーラシア大陸の覇者であったモンゴル人たちの恐怖とスペインからやってきた宣教師たちは、この島国を混乱に陥れた。その結果、最終的には三百年もにわたる「鎖国」という選択へと陥れたのと同時に、中央アジアの仏教の潮流とは交流が断絶した。その後黒船とともにがやってきて、過去の価値観は完全に役にたたぬものとなったが、それでも西洋人にこの小さな島を奪われないように、西洋人のまねをして暮らすことを覚えた。もともとヒステリックであった日本人が生来もっていた「帝国主義」でアジアを支配する夢を描いたが、その夢はアメリカという巨大な国と二発の原子爆弾によって粉々に砕けちったのである。その後軍事力も何ももてない日本人たちは、「経済重視」というスローガンですべての問題を解決しようとしてきた。この国ではいつしか政治と宗教はタブーとなり、仏教界に生きる人たちにとっても業報輪廻は語るべきではない差別問題へとすり替えられてしまったのである。

ダライ・ラマ法王とチベットの仏教徒たちは、そんな日本に直接やってきた。日本人と顔もよく似た彼らは、国外に流浪の民となったにも関わらず、これまで日本では誰も触れることができなかった本格的なインドの大乗仏教の延長線にあるものをもっていた。当初チベットの仏教は「ラマ教」と蔑視され、対中関係のなかで微妙な問題を回避するために無視された。
 しかしながら、最近になってそんな簡単に無視するべきものでもないことに漸く気付き始めた。ダライ・ラマ法王が獅子座の上から人々に語りかける、人間であることの価値や宗教に対する真摯な態度、そして我々が過去には論理的に学ぶ術すらもたなかった四聖諦や空性に関する論理的な説明、芳醇でシステマティックな密教の修行法などがいま多くの日本人を魅了しはじめている。

長い間、本当のインド大乗仏教の伝統に触れたことがなかったこの日本でその教えがあらたな文化の創造へとつながるにはまだ時間がかかるだろう。ダライ・ラマ法王やチベット仏教徒たちがもたらすものは、インド仏教の延長線上にあるスタンダードな仏教の総合的な教義体系とそれを人生のさまざまな場面に活かすためのサンプルである。日本人にとっての仏教の歴史はいま確実に変わりつつあるものであり、長い仏教の受容史を考えれば、我々はいまその大きなターニングポイントを目撃しつつある。

歴史上はじめて来日したダライ・ラマ十四世法王が降らす仏法の雨は確実にこの狭い島国の大地を潤し、新たな発芽を迎えつつある。今後それが成長し、どのような花を咲かせるのかは分からないが、その花が美しくかけがえのないものとなることだけは確実ではないかと思われてならない。

チベット・中国の対話の行方

2010年1月30日、31日、北京にて統一戦線部工作部・ダライ・ラマ特使の会談が行われた。この10日間くらいこの問題の整理に追われていたが、報道発表合戦もすこし落ち着いてきたので、まとめておきたい。

まず本会談の名称であるが、これは以前から同じであるが、両サイドとも異なっている。会談のことをチベット側では「中国・チベット間の対話」と呼ぶのに対して、中国側は「中央政府の関係部門とダライ・ラマの私設代表とが接触した会談」と呼んでいる。中国側は「ダライ・ラマ帰還工作」の一環としてはじまったものである。それに対して、チベット側は過去の二国間の懸案事項についての協議と理解している。これについては過去の会談と同じである。なお本会談については前回会談の終了後、中国側も独自のウェブサイトを製作して、情報をタイムリーに配信した。 [この記事の続きを読む] 「チベット・中国の対話の行方」

チベット問題の深い闇

一九五九年まで続いた中国人民解放軍によるチベット侵攻は、最終的にダライ・ラマ十四世をインドへ亡命させた。当初十四世の亡命も一時的なものであると誰しもが思っていた。しかし現実はその逆となり、チベットはそれ以来、深くそして重い闇の淵に沈んでいった。それは過去には一度も経験したことのない、暴力による文明の破壊行為だった。恐怖の「文化大革命」は七〇年代前半まで続き、六千五百以上あった僧院は破壊された。僧侶は還俗させられ、仏壇の仏像はゴミとして捨てられ、その代わりに毛沢東の写真が鎮座した。

「文化大革命」が終ると、鄧小平による改革開放政策がはじまった。鄧小平はチベット「独立以外の選択肢であれば、すべて対話に応じる」とダライ・ラマに告げた。一九八〇年には胡耀邦がチベット政策の誤りを認め、徐々に信教の自由が認められはじめた。ダライ・ラマは独立要求を取りやめ、数回の使節団を送り、双方にとって有益な解決策を模索した。八七年には米国議会で「五項目の和平プラン」を発表し、翌年ストラスブールでも和平案を提示した。八八年九月には、翌年一月に両者の実質的な対話が行われる予定が組まれた。誰しもがこの対話に希望の光を見出した。

しかし一九八九年は全く異なるものとなった。一月にはパンチェン・ラマが急死し、対談の約束は反故にされた。三月にはラサで抗議デモが発ったが、胡錦濤はそれを理由に徹底的な弾圧を行った。六月には天安門事件が勃発し、戦車で人間が潰されるのを世界は目撃した。同年ベルリンの壁は崩壊し、ダライ・ラマはノーベル平和賞を受賞した。しかしチベット人にとっては希望が絶望に変わった一年であった。

言論の自由は体制崩壊をもたらす、この危惧がチベット問題の解決を拒む結果をもたらした。文革時代に抑圧されていた民衆の声が結果として政策変更を引き起こし、天安門事件がそれを確証させた。結局鄧小平はチベット人に大いなる希望を与えたが、同時にその希望を絶望へと変える選択肢を選んだのである。九一年のソ連崩壊は彼らの軌道修正の正しさを立証し、チベット人たちは再び大国のエゴの犠牲になった。

鄧小平の後を継いだ江沢民、胡錦濤はこの時はじまった分離主義への弾圧と経済発展という二本柱を継承した。特に経済発展に重点をおき、国際社会への市場解放により、民主化への声を沈黙させた。この時代から徐々に偽物の「中国という国家と不可分な経済発展に裏付けられた新しいチベット文化」が作り出されはじめた。ダライ・ラマの海外での人気は、チベットを観光資源化する発想をもたらして、毛沢東の時代でさえも不可触であった、化身ラマ制度等のチベット仏教文化の奥深くまで北京政府は侵食し、昨年には次のダライ・ラマを都合よく選べる制度を法律化し、大量な移民流入を可能にする青蔵鉄道を整備し、観光産業への莫大な投資によって、チベットを巨大な見世物小屋にした。

もはやチベット問題について中国政府はダライ・ラマと対話する必要性は全くなくなった。ダライ・ラマも永遠ではないし、いつかはこの世から去るだろう。国際社会でさえチベットのために中国の巨大市場を手放しはしない。誰しもが望まない中国の体制の急激な変化、それは巨大市場の混沌化にほかならないからである。

今年の三月以来、再び多くのチベット人が自由や人権を求めて悲鳴をあげた。中国政府は北京五輪前に「独立チベットを叫ぶ暴力的テロリスト、ダライ集団」が「オリンピック・ボイコット」を叫んでいると争点をすり替えた。チベット人への抑圧は、世界公認の「テロとの戦い」として正当化しつつある。二十代前半の未来あるべき若者たちの屍の山が積まれ、家畜のように人間が連行されている。女子供も眠れない日々がいまも続いている。もはや信仰心しか残っていない人々の心をナイフでえぐり出す「愛国教育」の集会が各地で行われ、彼らの信じる観音菩薩は実は鬼であるし、彼らを救わないという発言が強制させられている。

この深い闇は一体いつになったら明けるのだろうか。チベットの人たちは反日教育で知っている。東には日本という大乗仏教の伝統をもった先進国があることを。そしてその国はかつて中国を震撼させ、ダライ・ラマ十三世のインドからの帰国を実現してくれた巨大な仏教国である。チベットの人たちの小さな押し殺された断末魔の声は、日本の仏教徒の心に届いているのだろうか。私たち日本人とよく似た顔をした、私たち日本人と同じ釈尊の弟子たちがいま死んでいる。