チベット仏教における空とその修習法

諸宗兼学のチベット仏教

チベット仏教はヒマラヤ山脈を中心とし、モンゴル、ロシアの一部にまで普及しているが、それは同時に異なる三つの伝統を継承している。まず僧侶の生活や行動の面については小乗仏教の伝統を採用し、厳密な戒律主義をとっている。思想面については大乗仏教の後期中観思想の伝統を採用し、仏教論理学を重視し、極めて論理的な教義体系を築いている。また日常的な儀礼や観想法など実践的な側面については、無上瑜伽タントラを中心とした密教の伝統を継承し、日常的に曼荼羅の諸尊を信仰したり、それらに対する祈祷などが儀軌の中心となっている。

こうした諸宗兼学の姿勢は、チベットの僧院が形成された過程で、インドの大僧院を模倣したことに由来している。インドの大僧院が諸宗兼学であったことはは、三蔵法師玄奘の報告にも明らかであるが、チベット仏教はその黎明期よりヴィクラマシーラ、ナーランダーといったインドの大僧院に国家事業として留学生を派遣し、多くのインド人学僧を招聘し、仏教を受容していった。こうした過程でこのような諸宗兼学の姿勢が培われ、それが今日でも基本的な仏教観として浸透している。

チベット仏教の伝統的解釈では、すべての衆生は空が分からないことによって輪起の苦海を彷徨っているとされる。釈尊がこの世に出現したその最大の目的とは、衆生済度のために空を説くことであって、仏教の中心思想は空思想にある。そしてこのことは小乗であれ、大乗であれ、顕教であれ、密教であれ、何ら変わるものではない。さまざまな異なる伝統が生まれたのは、所化の能力に応じて、空を理解するためのさまざまなレベルの知を釈尊が説かれたからであり、真実としての空性それ自体が変化するわけではない。釈尊が説かれた八万四千のすべての法蘊は、ひとりの人間が後生の一大事にめざめたのち仏の境位に至るまで歩むべき過程であり、たとえ段階的にレベルが低いのものであっても、それは実践しなくてよいものとして捨て去られることはない。

空思想で体系化されるすべての教義

インド後期の僧院仏教にあったこうした仏教観は更にチベットにおいて体系化が進み、極めて論理的な空思想を中心とした教義体系が形成されることとなった。初代ダライ・ラマ、パンチェン・ラマの直接の師であり、チベット仏教最大宗派ゲルク派の宗祖となったツォンカパは、インド仏教の論理学を縦横無尽に使い、徹底的な戒律主義に基づく空思想を中心軸とする仏教の体系化を行っている。

ツォンカパによれば、「空」とは決して論理やことばを超越した真実なのではなく、仏の論理や言葉で正しく語られことが可能なものである。「すべてのものが言語によって規定される」ということが「縁起」の意味であり、「言語によって規定されない、対象それ自体の側から成立しているものが無い」ということが「空」の意味であるとされている。

またツォンカパの空思想に特徴的な理論に「否定対象の確認」というものがある。これは空を理解するためには、まずそれに先行して「Xについて空である」といわれるその「X」を理解していなければならない、というものである。たとえば「ここに蛇はいない」という命題を理解する時に、その「蛇」が如何なるものなのか分からないと、「蛇が無い」「蛇について空である」ということも理解できない、ということと同様である。つまり、空を理解する、ということは、通常我々がもっている知に一体どのような欠陥があるのか、ということをを明らかにすることであって、その意味で空思想とは極めて宗教的で内省的な自己批判の営みにほかならない。

彼によれば、空の認識と我々が生来有している無明とは、ひとつの主語に対して二つの対立した命題を捉えているという対立関係がある。これは「熱い」と捉える知と「熱くない」と捉える知と同様に、どちらかひとつの選択肢しかない形式である。したがって、ツォンカパからみれば西田哲学のような「絶対矛盾の自己同一性」や「空とは有と無を超越した第三の次元である」といった命題は決して認められるものではない。空を理解する知と我々が生来有している無明とのこの対立関係こそが、一方が有るときには、もう一方が起こり得ないという図式を可能にするのであって、それ故に空性を修習することが、輪廻の根本原因である無明を断じて成仏することを可能にしている。そして対象としての空は仏教全体を通底するものとして位置付けられ、その空を理解する知のレベルの差にさまざまな仏教思想の差がもとめられている。

空を理解する知の基本形

対象としての空はすべての仏教に共通のものとされるが、それを理解する知もまた二種類しかないと限定されている。ひとつは推理であり、ひとつは直観である。これは仏教論理学の伝統的枠組みをそのまま採用したものである。三昧により空を理解する場合であれ、論理によって空を理解する場合であれ、その両方ともが正しい空の理解であり、前者は主に「止」であり、それは「虚空の如き空性」を対象とし、後者は主に「観」であり、それは「幻の如き空性」を対象としているといわれる。

空性そのものに対する三昧が安定していない最初の段階では、「あるものが空である」ということとその「空」である部分とを区別できないので、まずは推理によって空性を理解することを修習しなくてはならない。具体的にはまず「私とはそれ自体で独立して存在しているものではない」という人無我の空性を示す命題を「すべてのものは縁起している」といったそれを帰結させる論証因をもとにイメージし、その命題のさまざまな面を思索し、最終的に確定を導きだす。人無我に対する推理に確定が起これば、次にその同じ論証因を「私を構成している五蘊はそれ自体で独立して存在しているものではない」という法無我に適用する。これらの作業を何度も繰り返すことで、空性、すなわち「それ自体で独立して存在しているものではない」ということのイメージがより鮮明に心に現れるようになるのである。これらの作業は結跏趺坐して行われる場合もあるし、問答や経典の学習などを通して培うこともできる。

こうした推理を繰り返すと「XはYについて空である」という命題から「Yについて空である」という述語部分のみのイメージを取り出すことができるようになり、そのイメージも次第に明瞭になり、ある瞬間に「Xは」という主語を考えなくとも、心にそのイメージが現れるようになる。この瞬間こそが空を現観する瞬間であり、このときに空に対する直観が起こったとされる。それ以降、無数に転生し、通常は三阿僧祇劫という永い時間をかけて、この空に対する三昧を繰り返されなければならない。そしてその作業を通じ、大小さまざまな煩悩障と所知障とを順々に断じ、菩薩の初地から第十地に順にいたり、最終的に毎刹那毎に一切の対象とその空性が如実に理解できる「一切相智」を得て、仏位を究竟するのである。敢えてチベット仏教は「頓悟派」・「漸悟派」のどちらなのかと問えば、基本的に「漸悟派」であるといえるのは、このような修習法によっている。

密教によるスピードアップ

顕教で説かれる空の知を修習し成仏するには永い時間が必要であるが、密教の修行をすれば、それを高速化することができる。たとえば無上瑜伽タントラの二次第を修習すれば、最低で三年三ヶ月以内、最長でも十八回転生する間に成仏可能であるとされている。これは密教で説かれる空に対する知が、顕教のそれに比べより微細で、より強力なものであることに由来している。しかしこれはあくまでも高速道路を猛スピードで走るようなもので、ほんのすこしでも間違ってしまえば、すぐさに地獄に堕ちてしまう危険性を伴っている。
無上瑜伽タントラの修習法は「生起次第」と「究竟次第」と呼ばれる二つのプロセスがある。
まず生起次第においては、通常の我々のイメージを捨て、自らが成仏する過程、曼荼羅の諸尊が自らを取り囲む過程を何度もイメージする。具体的には、死有、中有、生有の過程を仏の法身・応身・色身を成就する過程と重ねあわせ何度もイメージし、最終的には、芥子粒ほどの大きさの微細な空間に曼荼羅の諸尊と曼荼羅が観想できるようになる。それが完成すると修行者は倶生の大楽を成就し「究竟次第」と呼ばれる即身成仏プロセスへと移行する。究竟次第では、通常死後に成就する中有の身体の代わりに「幻身」と呼ばれる身体を成就し、その後「光明」と呼ばれる段階で、死の瞬間に見える死の光明と空性を現観する智とを合体させて仏の境地へと赴くのである。

まとめ

こうしたチベット仏教の修習法はその大部分が空の修習を中心としている。仏教の根本真理として「一切法空」は自己内省的な「否定対象の確認」などの作業を通じて理解される。この点を禅的に見るのならば、チベット仏教の空思想もまた「脚下照顧」の精神から何らはずれたものでもない。これらの空観法はきわめて細かい理論や過程の組合わせで成り立っており、ミニマリズム的な色彩のつよい日本仏教や禅の手法と異なっているように見える。しかしながらそれはあくまでも仏教の伝搬過程の違いなどに由来するもので、単なる文化の違いである。近年我が国のチベット学者のなかには、チベット仏教と日本仏教との優劣をつけたり、「禅は仏教ではない」という主張を唱える者も居る。しかしこれは単なる仏法への不敬や無知から生じたものに過ぎない。紀元前に釈尊が説かれた仏教がいまもなおチベット、日本というふたつの地で息づいていること自体驚くべきことであり、そこにこそ釈尊の偉大さと尊さがあるのではないだろうか。

初出:『そうせい』善知識まんだら、2006年。

「お説教」からの旅

子供のころから「お説教」というのに参加してきた。これは我が家の義務であった。

実は私の家族は極めて熱心な安芸門徒である。毎月十八日の晩には一家の仏壇にお参りして、阿弥陀経を唱えた後、蓮如上人の御文章を拝聴し、講師の先生のお説教を1時間くらい聞くわけである。そしてその後に領解文というのを読む。うちの家族はその意味が分からなくても最低でもこれを諳んじられなければ、素人というか子供以下であった。うちの家族には名前も知らない親戚が大勢いたがみんなお説教に来るのが義務であった。

もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。『領解文』

そのうち阿弥陀経に繰り返しある文章を覚えていく。とにかく正座して唱えるのが足が痛くなるので、いつもはやく終わればいいなと思う訳だが、祖母たちの世代は経本もなにも見なくても阿弥陀経くらいは唱えられるという家族である。

最初に覚えたのは「若一日、若二日、‥‥」という部分である。昔の経本なので、ページ数が多くて、長く感じてならなかった。そのうちに

舍利弗.如我今者.稱讃諸佛.不可思議功徳.彼諸佛等.亦稱説我.不可思議功徳.

これがお経の終わりだってことにだんだん気づくようになった。また

如是等恆河沙數諸佛各於其國出廣長舌相遍覆三千大千世界説誠實言汝等衆生當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經

この文章が繰り返しあることに気づくようになった。小学生にあがるころにはこの辺りはそらで言えるようになった。最初に覚えた漢字は「極楽」「楽々」である。というのも「極楽寺」「楽々園」行きのバスに乗らなければ小学校に通えなかったから、その漢字だけは読めるようになったわけだ。

とはいえ、お説教に参加していたのは、単に義務だったからというのとばあちゃんが小遣いをくれたりするからという単にそれだけの理由であった。ただお坊さんが歩く時は頭を下げてみてはいけないとか、お坊さまたちが帰る時は土下座して御見送りするということだけは覚えさせられた。お坊さんたちは偉い人という意識はこのころからいわば強制的に心の奥底に刻まれた。

中学生になってからは“ザビエルの教え”を学ばされた。ミサや聖書を読む会などにも参加したし、男子校だったので、電車などで出会う気に入ったかわいい子たちもみんなミッションスクールだった。時々合同ミサなどがあって、女子を沢山見る機会に恵まれたので、やはりキリスト教っていうのは、あんなにしんどいお説教にでるよりはましだし、いいもんだと思うようになった。奉仕の精神とか純潔の精神というのはこの辺りで学ばされた。しかし音楽と女子校生にしか興味はなかった。

仏教に少し興味がわいたのは、浄土真宗以外の教えがこの世に存在していることを知ってからである。特に禅の世界というものは、驚異であった。この世の中にはこんな文化というものがあり、それが日本の伝統文化の代表的なものとして世界に紹介されているというのは驚きだった。とはいえその程度であった。

高校にあがってから、別に行きたい大学もないので大学受験はしないと宣言すると、周囲の反応が面白かった。何せ進学校のくせに大学受験をしないとは何を考えているんだ、普通の道を歩け、安全な道を歩け、そう大人たちは言った。いま考えてみればその通りだろうが、その言い方自体に余計に拒絶反応をしてしまった。

大学に行かずに東京でぶらぶらしているといろいろな本があることに気づいた。そして大学に進んでもうすこし仏教というものを勉強したみたいなと思い、大学に入ってみた。しかしながら、そもそもいままで人の話を1時間半くらいしか聞くのになれていない人間が一日に何人もの教授の濃いい話を沢山聞くのは苦痛であった。人間にはそんな吸収力はないのに、いい加減な話をいい加減に学んで何も意味がないと思い大学に行くのをやめた。

しかし大学の図書館にはいろいろ外国語の本があり、サンスクリット語の本やチベット語の本があった。これは面白そうなので読みたいと思ったが、それには語学能力が必要であった。そこでサンスクリット語を勉強しはじめたのだが、あまりに煩雑な文法に辟易した。そこでまたドロップアウトした。

大学からは今年であなたは除籍処分になりますよという通知が母親のところについてばれてしまった。こっそりドロップアウトしようと思っていたのにまずかった。そもそも親の謂うことなど聞いたことがないのだが、うちに母親が来た時にダルマキールティについての論文の本を見て、「あ、これ私の小学校の時の同級生じゃない」といって、母親はやめろというのに大学に電話してその先生の連絡先を聞いて、いきなり電話して「息子があなたの論文を読んでいるのを見て、びっくりしました。久しぶりなのでお電話しました」というとその先生は「息子さんを連れて遊びに来なさいよ。あなたのよく知っている人もいますよ」と自宅に誘われた。

私はいやだがさすがに母親に迷惑をかけているのとまあ親孝行だと思ってその先生の家に一緒に遊びに行くことになった。先生の奥さんは実は母親と同級生だったので母親も昔話で盛り上がっていた。しばらくするとその先生はダルマキールティについての論文を出しながら「これが私の作品です」「一生かかってもこれは分からないんですよ」と話された。作曲家を目指していた私は「なるほど」と思った。こういう研究というのはひとつの作品なのだということをはじめて知った。そしてサンスクリット語で唯識三十頌を読んでいるので、授業やゼミにでてみてはどうかと言われた。他の勉強は何もしたくなかったが、サンスクリット語を読めるというのはとてもいいチャンスだったので、次の週から久々に学校に行くようになった。そしてそのうちチベット語を勉強しはじめて、研究者の道を歩んだはずなのに、気づいてみたらいまの状態になっている。

仏教を学びはじめてしばらく立つとばあちゃんが、「あんたあ、仏教の勉強をするんなら龍谷に行って真宗をちゃんとやりんちゃい」「やるんなら得度しんちゃい」そう言ったが、やはりそれはいやだった。私は日本の仏教ならば別に努力しなくても身近にあって知ることができたからである。インドやチベットの仏教はちょっとやそっとちゃ知ることはできない。それにもともと情報もない。だからこそ努力して学ばなければいけないわけである。しかし家族が何代にもわたって大事にしてきた仏教に関わっているのは、実は気づいてみたら若者のなかでは私だけであった。

最近は阿弥陀経も読んでほとんど意味が分かるようになった。チベット語のテキストを読んで結構読めるようになったし、分からない時に聞ける体制もなんとかできた。昔自分が嫌いだったお説教よりはすこし楽しい法話会を開催できるように心がけているつもりである。

世の中には道に迷っている人が沢山いる。正直言ってかなりうらやましいもんだ。私の人生はいつも狭きいばらの道しか残っていない。いろいろな人が道を示してくれるのにも関わらず、何故か自分にはそのなかでいばらの道しか行き先がないようにしか思えない。

いま浄土真宗の門徒ですか?と聞かれたら、「はい、そうです」と答える。この質問は簡単である。何故ならば将来自分が埋葬される場所がそこにあるからである。では、あなたはチベット仏教徒ですかと聞かれたら、それには返答にちょっと困るが、自分の死ぬ時くらいはチベット式で葬儀をやって欲しいと思う。それはチベット式の葬儀がどんなものか友達や親戚をはじめとする、より多くの人に見てもらいたいからである。単にそれだけである。

しかしこれだけは分かってきたことがある。人は何かを知ろうとするのならば、ある程度他のものとのコントラストによって、別次元の言語空間というものを想定しないといけないということである。チベット仏教を学んで分かったことは、「他力」とか「本願力」というものが強烈な縁起思想に立脚しなければ成り立たないということである。

長くなって夜遅くなったので、今日はこのくらいにしておきたいが、ふと思えば、あのつらいつらい「お説教」から旅ははじまっていたのかと思うと、そこに導いてくれたばあちゃんたちの仏縁に感謝の念でいっぱいである。

チベット仏教との出会いがもたらすもの

これをいろいろ考えてみる。特に日本人にとって大切なことを忘れないようにメモしておきたい。

  • 仏教とはどのような教えなのかということ
  • 輪廻転生という生命観
  • 真実を考察する知がどの程度まで働くのか
  • 縁起と空の関係、そしてそれよって導きだされる現実世界観
  • 輪廻と涅槃との関係
  • 宗教的世界観と科学的世界観

よく考えてみれば、日本はインド由来の仏教に触れるのははじめてである。だからこそ日本人がまだ混乱状態にあるのであろう。まだ消化できていないからであろう。

価値とは自ら見出すものである

「仏教の教えは難しいので何とか分かりやすくしてくれないだろうか」そんな要望が多い。

しかしながら、よく考えてみると、そもそもそんなに簡単にできることなのか。仏教の教えは、簡単にいえば、縁起と非暴力である。そしてそれによってこの輪廻に終止符を打ち、死を超越し究極の快楽の境地にいたることにある。どのようにして死を超越するのか、それがそんなに簡単なことであれば、誰も修行をする必要がないのではないだろうか。

我々仏教に関わるものがまず学ぶべきことは、殺生をしないということである。しかしながら刺身や活け造りをみて「美味しそう」とテレビでは放送されている。「新鮮なお魚」つまり殺したての血の滴る死骸をみて喜ぶことをまずやめることからはじめるべきなのである。まずは殺生をしないようにすることから仏教ははじまる。難しいことではないが、そこには因果応報、縁起という極めて難解な理論が背景にある。

ブッダが悟りをひらいた後に最初に発したことばは、

私は極めて難解で計りがたい、光り輝く作られたものではない無為なる法を理解した。これは誰に説いても理解されることがないので、ひっそりとジャングルで暮らす方がいい。

というものであった。しかしその教えだけが唯一の救いであることを直感的に理解した梵天たちが教えを請ったからこそ法輪は転じられたのである。

現代の資本主義市場経済においては、価値やブランドというものは作り出されたものである。しかしながら、仏教というものはそのようなものではない。もちろんこの世の現世的な生活に役立つ教えもあることはあるが、それはあくまでも「ついで」なのである。仏教の本質はまず死に直面してから意味があるものなのである。しかしながら、そんな簡単なことすらも避けて通ろう、死を隠蔽しようとしている人々にはなかなか伝わらない。

価値を見いだすために重要なことはまずは落ち着いて物事を分析する必要がある。まずは落ち着いて自らの死を想うことが重要である。

やる気ダウン

最近いろいろ自分で運営しているサイトにCMSを導入した。

すると、不思議と自分自身のサイトを更新するのがめんどくなってきた。

なので最近更新していない。まあ別にかわったこともないのでいいかとも思う。

民主党政権は、10月に法王を官邸に招けるか

民主党政権がようやく誕生したようだ。自民党はいきおいがなさすぎたが、ここまでいくとは思わなかった。そもそも日本人はすべてヒステリックに反応するのが得意であるが、この現象はどうなんでしょうか、とも思う。まあひいき目にみても、解散の会見がさすがにあれじゃあ、この結果も仕方ない。選挙をやる前から敗北しているようなもんだ。

鳩山氏は、これまでも何度もダライ・ラマ法王と会見をもっている。これで総理になったのであれば、やはり官邸にダライ・ラマ法王をお招きして頂きたい。変な外タレとかわけのわからんおっさんを官邸に招いても意味がない。今回国民の政権交代への期待は大きかった。と同時に我々チベット支援者の期待も忘れないで欲しい。

先月もダライ・ラマ法王の誕生日の時に枝野議員が「チベットを支援する人は民主党に入れてほしい」とお願いしていた。人の誕生日会で選挙演説する品のなさと図々しさにはさすがに政治家だなと驚いたが、牧野聖修さんや五十嵐文彦さんという日本でチベット問題を考える議員連盟をやっている中心人物がやっと国会に復帰してくれて、今度は与党になったのである。

みなさんには600万人のチベットの人々の希望を叶えるという使命がある。初志貫徹してほしい。10月には法王は来日する。衆議院で法王が演説することを私は望んでいる。日本はいつまでもうこそこそしないで欲しい。

別に高速道路を無料にするのを実現できなくてもいい。ただ、ダライ・ラマ法王を官邸に招いて欲しい。名目は何でもいい、「友達」「ノーベル平和賞受賞者」いろいろ肩書きはいっぱいある。あんなに素晴らしい法王が「日本の政治家の立場もありますから」と遠慮深く会見で答えなければならない姿はもう見たくない。そしてそれを見ていて悲しい顔をするチベット人たちを見たくない。

民主党も与党になったら急にチベット問題はできないとはいわないで欲しい。新しい政権というのは新しい先例を作ることが大事である。 今日はそんな思いをする夏の終りであった。

http://www.hatoyama.gr.jp/journal/heart002.pdf

数量と質

最近人生の転機を迎えていると思う。というか、このしばらく忘れていたことを思い出し、すこしずつやっておきたい実験をしていかなくてはいけないなという気がしてきた。大分あきらめがついたり、この吹きだまりの人生にも大分なれてきたせいかも知れない。

たとえばチベット仏教の研究という仕事については、もうすこし越えなければならないハードルがあり、いまいち先が見えない部分があるが、研究活動というものについては、今後数十年後にはこういう風になるだろうなというひとつのビジョンも見えてきた。マーケットとは乖離して微々たる金にしがみつくいやしき時代は終わるべきであり、それにはいくつかの仕掛けをすればいいことが分かってきた。

今後数百年以内には情報は検索可能な形で並列されるであろうし、そこにはより複雑な検索式がマルチスレッドな状態で検索可能になるのは目に見えている。ひとつひとつの情報を検索可能な状態にするために入力する時代は終わり、入力されたものが検索可能なものとなっていくのであろう。本来科学や芸術が目指していた、誰も見た事のない世界の開示を見せかけだけでしか行えない卑しい戦略は終焉を迎えつつある。残念ながら人間が夢見ていた、狂気の沙汰は遂には実現不可能であることが、情報の海を冷静に見つめることができる人間には可能になるだろう。

我々は秩序をもとめているのでも混沌をもとめているのではない。こうした二元的な貧弱な発想では何も創造的な活動ができないことは、もう目の前にあるという気がしている。圧倒的多数の無知な人々はまだそういった旧来の価値観にとらわれているようであるが、もうすこしスマートになっていくだろう。

数は少ない方が分かりやすいし、質は高い方がいいに決まっている。これはよりよいものというのは相対的な世界にある価値観であるからなのである。では、質も高く、なおかつ数を洪水の如く大量に生み出すためにはどうしたらいいのか。それはやはりどのような装置を設置しておくのかということにかかっているのかもしれない。

装置の設計というのは結構慎重にしなければならないが、装置もまた置換可能・バージョンアップの可能な状態で最初から設置していくのならば、もうすこし面白い遊びができるような気がする。

ヒントは意外と身近なところにある。それは既に手に入れているので、どのようにリアリゼーションできるかの問題であろう。いずれにしてもこの暑い夏が終わる頃には何らかの装置をまずはじめてみたい。

「美」と「苦」

仏教の教えの基本は、我々が為した行為のなかで、殆どのものが煩悩によって支配されて為した行為であるが故に、その結果として我々が味わうものが「苦しみ」であるという考えである。

いかなる生命体であっても、その行為が破滅的な傾向にあるということでもあり、無常/苦/無我/不浄といったものが、この我々が視ている世界を絶対的に評価しているものである。そしてこれは叙情的ではなく、現実的であり、詩的ではない。

それでは美しいものとは、何であろうか。我々の心の琴線を振るわす美しいものとは、仏教的にいえばどのようなものなのであろうか。

実はこの問いかけは非常に答えを見いだすのが困難な問いである。

50年間の闇に思う

 昨年はいろいろと大変であった。北京オリンピックに対抗したチベット側のキャンペーン、それに反応したチベット人たちの抗議活動。そして、聖火という名のつく踏み絵、再会したダライ・ラマ法王と中国側の協議、そしてその失敗。そして再び、チベット人たちは深い闇のなかへと強制連行されている。

 私のようなものにもさまざまな講演依頼がきたり、自分でもチベット人たちの無言の言葉を伝えるために努力したつもりではあったが、実質的な成果は何もなかったといってもいい。結局、我々が何ができたのであろう。日本は何をしたのであろう。この問いは、去ってしまった時から新しい年へと受け継がれていくのであろう。

 一縷の希望の光は、中国人たちによる政府に対する批判とチベット問題への同情的な態度の拡大である。最終的にダライ・ラマ法王の語ったこと、それは「対話の相手は中国政府だけではなく、中国人民との二つある。前者への信頼は失われつつあるが、後者への信頼は深まりつつある」この希望のことばに、どれだけ彼らが救われたことであろうか。

 「チベット問題」という言葉は実はチベット語にない。「チベット人の要求/求めるもの」というのがそれにあたる。このことをいままでそれほど考えたことはなかったが、改めて考えてみると、「チベット問題」の本質とは、チベット人たちが最も重要であると思っている価値観が、文化的な背景がまったく異なるものによって踏みにじられていることによる。もちろん現代社会は変化しつつあり、チベットの忌わしい因習は変化をもとめられてはいたものの、それが自らの手によってではなく、大きく外からの圧力によって強制的な変化が強要されてきたことに問題があるのである。

 いま街は正月モードで静まりかえっている。営業車のいそがしい喧噪はなく、街は静かに休息している。そんななかでふとダライ・ラマ法王の説法を聞いてみると改めて思う。

 やはりこれは尋常ではない。これがチベット仏教である。チベット人たちが求めているもの、それは彼らのこの精神文化の継承にほかならない。この精神文化の深遠さ、そして論理性、これは我々チベットに関わるものたちを魅了してやまないものであり、決して妥協することなく、強く深い信仰によって支えられてきたものである。それを我々は何であるのかを伝える義務がある。

 50年間の深い闇は、短いのか、それとも長いのか。それはよくわからない。しかし50年という月日は人々をして大きく変えるものであり、人々の心に疲弊をもたらしていることだけは確かである。少なくとも私の生きてきた時間よりは長いものである。ダライ・ラマ法王にしてもチベット人たちにしても、この出口の見えない深い闇のなかを彷徨い続けている。

 ある人に聞かれた。「そのチベットへの情熱はどこから来るものですか?」はっきりいってこれには困ってしまった。私は正義を愛する者でもないし、信仰を体現している者でもない。ましてやダライ・ラマ法王と個人的なつながりがあるわけではない。多くの人が法王とお会いできること自体大変なことだと思っている。それもそうだが、私が法王とは何度もお話をさせていただいて、いつも感じたことは、ああこの人が法王なんだ、彼らが愛してやまない人なんだ、そしてそれにこの人は常に期待に応えているんだ、そしてこの人は正しいことだけをしているんだ、そんな漠然としたものにすぎない。

 チベット問題や様々なボランティアであっても、それによって自分が何かしたいという大げさなものではない。ただそこに葛藤している人たちがおり、その葛藤は日本の社会ではそんなに大変なことではない場合もあったので、それをちょっと自分にできることだけでもやってみようという軽い気持ちなのである。

 結局私を動かしているもの、それはおそらく「違和感」といったようなものであろう。正しくないものや情報がまかりとおることは大嫌いであるし、違和感を感じる。チベットの不自然な状態にまきこまれるとその違和感から脱出するために、何らかの闇からの出口をもとめ探してしまう。そんなものであろう。

 しかしそんな私の感情など大したものではない。彼らの苦しみ、そして彼らの精神をみてみよう。そこにきっと出口があるはずであろう。彼らが何をもとめており、何を争っているのか。それはどういうことなのか。

 人間は考えはじめることによって人間となれる。チベット問題の50年間の闇は、我々をして人間とはどうあるべきなのか、何をもって生きているのかということを考えるためのひとつの契機にすぎない。この目の前の現実としてある契機を私的な空間にどのように配置していくのか、それは人それぞれであろう。

 

「チベット僧」「日本僧」「アメリカ僧」

最近チベットに関する関心が高まるに連れて変なことばが氾濫している。

「チベット僧」

これがそれである。そもそも「チベット」(Tibet)は英語であるが、場所や国家の名前を表すのであって人間や言語を表すのではない。それにも関わらず「チベット僧」という表現を新聞までもが使用している。でもこの言い方は違和感を感じざるを得ない。日本人が「日本僧」「広島僧」「横浜僧」といわれたらどんな気分であろうか。そしてそんな日本語はあり得るのであろうか。

日本人の知性の低さもここまできたかと思いながらGoogleで検索してみると「チベット僧」は187,000ヒットするのに対して、「チベット人僧侶」では、291,000ヒットしたので、ちょっと安心した。

しかし「チベット語」「チベット仏教」はまだいいしこれは言葉使いとしても正しいものであるが、「チベット僧」はいただけない。「チベット人の僧侶」という意味での特定の民族もしくは集団を表現したいのか、「チベット仏教の僧侶」というようにその宗教的伝統を表現したいのかさっぱりわからないからである。「モンゴルの首都ウランバートルにはモンゴル人のチベット僧があふれている」という文章があるとすれば、それは「チベット仏教の僧侶」のことであることは簡単に予測できるが、「内モンゴル自治区にはチベット僧がたくさんいる」ではその人がモンゴル人なのかチベット人なのかさっぱりわからない。

ましてや「カナダにいるチベット僧テンジン・ドルマさん」という人がいるとすれば、その人は、僧侶(ふつうは男子)なのか尼僧(ドルマは女性に多い名前)なのかわからないし、その人がチベット人なのか、モンゴル人なのか、もしくはアメリカ人なのか、さっぱりわからないのである。

私は復古主義者ではないが、日本語は正しく使うべきである。もちろんある程度のあいまいさは日本語に基づく独自の文化であることは認めたいが、こんな知性のない言葉を特に情報を提供する側の人間が使うべきではないだろう。

もちろん意図的にやっているのならば別であるが、現代社会のように個人が多数である他者に簡単に情報発信できる時代だからこそ、ことばの表現というものに個人個人が気を配る必要があると思われてならない。