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チベット・中国の対話の行方

2010年1月30日、31日、北京にて統一戦線部工作部・ダライ・ラマ特使の会談が行われた。この10日間くらいこの問題の整理に追われていたが、報道発表合戦もすこし落ち着いてきたので、まとめておきたい。

まず本会談の名称であるが、これは以前から同じであるが、両サイドとも異なっている。会談のことをチベット側では「中国・チベット間の対話」と呼ぶのに対して、中国側は「中央政府の関係部門とダライ・ラマの私設代表とが接触した会談」と呼んでいる。中国側は「ダライ・ラマ帰還工作」の一環としてはじまったものである。それに対して、チベット側は過去の二国間の懸案事項についての協議と理解している。これについては過去の会談と同じである。なお本会談については前回会談の終了後、中国側も独自のウェブサイトを製作して、情報をタイムリーに配信した。

参加者は、中央統一戦線工作部側からは、杜青林(部長・政治協商会議副主席)、朱維群常務副部長、斯塔副部長、西藏自治区人大常委会副主任 尼玛次仁である。一方、ダライ・ラマ特使側は、特別代表 ギャリ・ロトゥー・ゲルツェン元大臣、特使 ケルサン・ギェルツェン元大臣、その他テンジン・アティシャほかのチベット交渉対策本部(Tibetan Task Force for negotiations)の三名である。チベット自治区の代表者が会談に参加したのは注目すべきことのひとつである。

本会談は前回の会談以来、15ヶ月ぶりの会談となる。その経緯について特使ギャリ・ロトゥー・ゲルツェンが帰国後に行った記者会見で、「特使側から先方に会談の日程を打診した」と述べている。1月18日〜20日に内容的にも重要な「第五次西蔵工作座談会」が開催されるので、それに合わせてを行うこととなったと述べている。

なお、会談の申し出がいずれの側からなされたのか、ということについて、双方の記者会見以前には情報が錯綜していた。何故ならば、2008年11月にダラムサラで開催された第1回特別総会では、中国側から誠意ある回答をもとめるという形で、あたかもチベット側からはコンタクトしないというような結論がでていたからである。

しかしながら、その後3回行われた交渉対策本部会議においてチベット側から会談を再開しようという意見に微調整したと思われる。(最後の第21回会議は本年1月20日より二日間ダラムサラで行われた。)
この経緯について朱維群は、記者会見にて以下のように述べている。

朱维群:我们在与甲日一行谈话时首先指出,从2008年11月接触商谈至今已有1年多时间,这是从2002年恢复接谈以来间隔时间最长的一次。出现这种情况,一个很重要的原因,是他们自己在2008年11月的“西藏前途特别大会”上公开宣布停止与中央的接触。即使在这种情况下,中央并没有把接触商谈的大门关上,而是耐心等待他们的觉悟。此次根据他们的请求安排这次接谈,充分体现了我们的诚意和一贯态度。(国新办就中央与达赖私人代表接触举行发布会(文字实录))

中国側は「常に誠意のある一貫した態度をとり、ダライ・ラマ個人の処遇についての対話の門は常に開かれている”のであって、今回まで1年以上も会談が行われなかったのはダライ・ラマ側に原因がある」ということがいいたいのである。

次に会談の内容であるが、まずは双方から出された主張は以下の通りである。

(チベット側)
前回の会談の際に提出した「全チベット民族が名実共に自治を享受するための草案」(以下『草案』と略する)に変更点はなく、それをもとに再度自らの立場を確認するという意味で、以下の7点を強調するという形で主張がなされた。(うち三つは中国側が主張する所謂 “ 三つの堅持”にあたる)

  1. ダライ・ラマは中華人民共和国の主権ならびに領土を尊重する
  2. ダライ・ラマは中華人民共和国憲法を尊重している
  3. ダライ・ラマはすべてのチベット人の代表であること
  4. ダライ・ラマが望んでいることがすべてのチベット人の総意であること
  5. 中国共産党による指導の堅持(三つの堅持)
  6. 中国の特色ある社会主義路線の堅持(三つの堅持)
  7. 民族区域自治制度の堅持(三つの堅持)

(中央統一戦線工作部)
今回の会談では主に中央政府の政策ならびにチベット政策についての説明がなされた。

  • 中央政府は現在世界的金融危機の打開策に取組んでいる。
  • 中華人民共和国成立60周年に関するこれまでの経緯と今後の展望の説明
  • 第5次西蔵工作座談会で話し合われた内容や今後のチベット関連の政策についての説明
  • チベット関係についての政策を中央政府が如何に重視しているのかの説明

これに対して双方は次のような反応をした。

(ダライ・ラマ特使側)

  • 第5次西蔵工作座談会がチベット自治区のみではなくその他の自治県や自治州の住民の代表者もふくめて開催されたことは歓迎すべきことである。
  • 当該座談会にて提案されたチベット全域にわたる基本方針がもしも現実に履行されるものとなるのならば、それはチベット側が『草案』にて示したものと内容的にはそれほど異ならないものである。
  • しかしながらそれらを実行する際には、『草案』にて示したように、チベット民族を単一の独立自治行政体で単一の政策施行体制のもとでする方がより効果的である。
  • これまでもこうした提案は中国側からなされているが、事実としてインドへ亡命してくるものがいる。それはチベット人に対する不当な弾圧や機会の不均等などが原因となっている。現実の状況をよく見極めることが重要である。
  • チベット人に関する行政指針を考えていく上では、ダライ・ラマが代弁しているチベット中央行政府の意見とすりあわせながら作業をすることが今後も重要であると思われる。

(中央統一戦線工作部の反応)

  • そもそもダライ・ラマならびに亡命政府はチベット民族の代表権はなく、亡命政府は違憲の団体である。
  • チベット自治区行政府ならびに当該自治体によって全人代のみがチベット地域の主権者である。
  • 前回提出された草案書は、憲法に違反するものである。草案で述べられている自治の枠組みは、明らかに「チベット独立」「独立を装ったもの」に過ぎない。
  • ダライ・ラマは「独立をもとめない」と言っているが、在外公館の襲撃などの亡命者によって多くの反政府活動が継続しており、これはダライ・ラマ側が言動不一致であり、国家の分裂を企てているものとしか思えない。また「私はインドの子供である」などと発言したり、中印の国境のアルナチャール州を訪問するなど、反体制的な活動のみが行われている。近年の行動ももそも「チベット問題」を国際問題にしようとしているのは、完全に内政干渉による国家分裂を幇助する行為である。
  • ダライ・ラマがこうした行為を停止するのならば、彼の帰国、さらには帰国後の個人の処遇については今後話し合う余地がある。しかしながら、亡命政府として、またはチベット人の代表者としての話し合いを行う余地はない。同時に、チベットの政策決定について意見を述べたり、意見を交換することもできない。

次回の会談の具体的な約束はしていないが、次回会談は開催予定であることを確認。
今回の会談の内容を特使はダライ・ラマに伝える旨を統一戦線部に伝えて終了した。

今回の会談で新しい点は双方が会談の後にすぐに報道発表を行い、会談の趣旨説明があったことがあげられる。これは、2008年以来、中央政府が対話に関しても内容を明らかにしてきたことによるが、前回に比べれば会談が終わりすぐに双方が記者発表することとなったのが、非常に注目に値する。

(ダライ・ラマ特使側) www.tibet.net

  • 2010-02-02 会談後の公式声明 STATEMENT BY SPECIAL ENVOY OF HIS HOLINESS THE DALAI LAMA, KASUR LODI GYARI, HEAD OF THE DELEGATION WHICH VISITED CHINA IN JANUARY 2010
  • 2010-02-03 記者会見の内容 Tibetans to Remain Committed to Dialogue With Chinese Govt: Envoys.

(中央統一戦線工作部による記者会見)

  • 2010-02-02 AM10:00 朱維群などによる記者会見全文 国新办就中央与达赖私人代表接触商谈举行发布会(实录)

以上は双方の報道発表をまとめたものである。以下、すこし考えたことを書こう。

今回の会談においてまず注目すべきは、その開催時期である。今回会談の日程を中国側に打診するという形で決定された。開催時期として、1月18日から3日間、9年ぶりに行われた胡錦涛政権発足後では初めての第5次西蔵工作座談会、そして中国仏教協会の全国代表会議(2月2日北京で開催)、および今年の全人代の会期直前というタイミングが選ばれている。一部説では対米関係を考慮してその時期が決定されたのではないか、という推測もあるが、いずれにしても今回の対談の時期は、中国側にとって有利な選択がなされたと言えるであろう。会談の記者会見後すぐに(3日発表)中国側が承認しているパンチェン・ラマは中国仏教協会の副会長に就任したことが発表されたこともこの中国側のメディア戦略を考えた会談の時期の設定の一貫であると言える。

今回の会談で両者の対立点は、「チョルカ・スムをひとつにした単一の自治体の設立と自治権の行使」(所謂“高度な自治”とか“真の自治”と呼ばれるもの)にあったことは明白である。これは四川省、青海省、雲南省、甘粛省などのチベット全域にわたる単一の自治体を設立する要求であり、中国側にとっては「国家分裂」に他ならず、一切の譲歩ができないということをチベット側に再通知した。同時にチベット側も前回の『草案』に基づいて、この部分が最も譲歩できない核となる主張であることを再度提案している。

しかしこの単一の行政体の設立に関していえば、両者は激しく見解が異なるとこであるが、実際のチベットにおける政策については両者ともそれほど意見が対立しているわけではない。中国側がチベット側に説明した胡錦涛主導の第5次西蔵工作座談会の内容については、チベット側もその執政形式以外の部分では、基本的には『草案』で要求していることとそれほど変わらない、と中国側に告げている。今回具体的な内容について多くの説明があったようであり、チベット地域におけるインフラ整備、公共事業計画、チベット人の地位向上、社会発展、人権問題の解決などについては両者はある程度共通の認識をもっている。したがって両者の見解の相違点については、単に「ダライ・ラマや亡命社会がチベット人の総意を代表しているのかどうか」「行政区域の拡大ができるかどうか」というこの二点についての認識の違いに還元することができる。

中国側は、再度、ダライ・ラマ側に対して、四つの譲歩できない項目を提示している。すなわち

  1. ダライ・ラマは祖国分裂の活動を停止するべきである。
  2. チベットは中国の不可分の領土であることを認めること、
  3. 台湾も中国の一部であることを認める
  4. チベットに関して中国政府が唯一の合法政府であることを認める、というこの四つである。

そしてさらにこの項目をダライ・ラマが公の場において、認める限り、個人としての帰国ならびに処遇については今後話し合いをすることが可能であり、「門はいつでも開かれている」ということを繰り返し述べている。

しかしこの点についてはあくまでも両者がダライ・ラマの現在の活動と地位をどのように見るのか、という主観的な見解の違いに過ぎないのであって、さほど大きな争点ではない。ダライ・ラマの特使は、帰国後ダライ・ラマにこの点を伝えているし、彼らがこの四つの項目はこれまでも中国側にクリアにしてきたことであるが、中国側は実質的にはそうなっていないという言いがかりをつけているのであり、チベット側はこれをどうやって中国側に理解してもらえるのか、しばらく検討するようであるが、中国側が意図的にそのように解釈しているのであって、ダライ・ラマ側はその解釈の誤りを指摘するという応酬が続いているのに過ぎない。

こうしたやり取りを見てみると、会談自体とその議論の内容は過去から継続して一貫しているもので、一切進展があるとは言えない。ただ今回は以前にも増して両者とも記者会見でその内容をお互いに発表するなど、以前とは異なる点もみられた。また過去の会談にも参加しているサンフランシスコ在住の元首席大臣テンジン・ナムゲル・テトン氏の指摘によれば、中国の側によるダライ・ラマに対する批判は、過去よりも少し弱まったと見受けられる。特に会談以降の記者会見の席での朱維群の発言などは、ダライ・ラマの長寿を願うなどという発言もでてきており、そもそも最近は「ダライ」ではなく「ダライ・ラマ」という表現をすることからも、過去にくらべてその態度が軟化していることは容易に伺える。

しかし実際には中国側としては本音のところは、もはやダライ・ラマの帰国は期待してないのであろう。では何故会談をしているのか、といえば、まずは国外から批判を避けるためである。さらには会談の内容を示すことによって、亡命チベット人たちに、彼らが最も争点としている「単一の行政体」といった自治の枠組みへの希望をあきらめさせることを目指していると思われる。

今回の会談の後にすぐにホワイトハウスの報道官によりオバマ−ダライ・ラマの会談の発表があり、それに対して中国外務省は執拗な批判を繰り返している。しかし客観的に考えるのならば、現在支持率が低下しているオバマ大統領が米国で圧倒的な支持を得ているダライラマと会談することは別に不思議なことではないし、会談をしたからといって、チベット問題を過去の冷戦時代のように政治戦略として見なす必要もない。ただこの報道はチベット側では、会談が充分な成果をあげれなかったのことの失望感を隠すものとして、米国からの支持を得ているという図式を示すものとして都合良く報道されているとしか思われない。

また日本国内でのこの問題に対する反応もそれほど大きな変化はない。2008年度に大幅に増加したチベット支援者も現在は里親であったり、デモ参加者であったり、さまざまに分岐しているが、北京オリンピック前のような勢いはもはや完全に失われている。国内の報道機関も今回は両者の発表をもとに、多少胡錦涛・オバマ大統領の会見やグーグル問題に触れるものがあるが、会談に関して国際問題の大きな問題として取り扱おうといった意図は見られず、比較的小さな扱いである。

今回のような争点の絞り込みは、亡命チベット側にとって極めて不利であり、今後の展開の行き詰まり感をもたらすだろう。

亡命チベット人たちは現在は過去のように在インド中国大使館を通じて本土に戻ることが現在は難しい状況になっている。チベット本土ではいまだに情報統制が厳重に行われている。さらには反政府活動に対する厳重な判決が次から次へと発表され、同時にチベット本土では「ダライ・ラマ私設代表」との会談の報告を行い、チベット人たちの失望感をあおっている。同時に海外にいるチベット人の圧倒的多数が、対話の行方に期待をしているが、今回の対話の結果は彼らの失望感を増大させるものにほかならない。

今後、胡錦涛、温家宝主導の第5次チベット政策にどの程度のチベット人からの支持が得られるのか、ということが今後のこのチベット問題を考える上で非常に重要な要素となるだらう。亡命側はもちろん極めて批判的な見方でその欠点を見いだしていくはずであるが、中国側としては圧倒的な投資と公共事業によってチベット人の民意をかなりつかめるのではないかという自負もあるように思われてならない。中国側にとってはそもそも「チベット問題」など存在せず、ダライ・ラマのみ排除できれば、あとは自動的に空中分解させることができる、と考えている。独裁政権である中国政府は、チベットのことを最もよく研究しており、熟知している。今回の会談後の彼らの記者会見の内容はその自信を充分感じさせるものであった。

チベット側は今後どのように戦略的に抵抗運動を行っていくのか。これについてはいまのところ目立った動きはない。彼らにとって北京オリンピック前後のキャンペーンは大成功であったし、世界中の関心をあつめた。しかし今後、それを上回るだけの戦略があるかといえば、そうではないというのが実情である。彼らが争点の中心としている「単一の自治体の設立と自治権の行使」への道が見えないかぎり、環境問題であったり人権問題であったり宗教への介入という最重要項目ではない部分で自らの権利を主張するしかない。しかし、それには限界があることも彼らはよく分かっているであろうから、今後の展開としては、亡命側が北京オリンピック前後のキャンペーンを上回り、世界中の支持を得れるような内容の戦略を見いだす努力をするしかないし、そのひとつの旗印としては「中国民主化」という問題があるが、実は民主化によってチベット人の最大の望みである「単一の自治体の設立と自治権の行使」は実現できるわけでもないという悲劇がここにはある。何故ならば、当該地域には既に圧倒的に多数の移民が居住しているのであり、チベット人は現在少数派になっているからである。

チベット人たちはいま非常に難しい転機の局面を迎えている。

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Get Stupid

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「チベット学研究は何のためにあるのか」

長年考えたこともなかったわではないが、いまさらながらこんな問いかけをしてみたい。それは必要とされているのか否か。趣味か否か。プロかアマか。いろいろと小手先のことをやってそれらしく見せかけることはできるが、よくよく考えてみるとそもそもこの問いかけこそがタブーであった。

先日某大学のある方が「チベットの研究なんてもうからないことはやめた方がいいよ」と言われて極めて憤慨した。しかし、これは残念ながらあたっている。我々研究者というのはこの問いかけこそしたことがあるが、いつも自分で自分をごまかしてきたのである。

そもそも我々は「チベット研究者」としては求められていないのである。誠に残念だが仕方がない。要するにそれは一生人々から必要とされることもないし、趣味でしかないし、お金も充分もらえることはない。いまだ儲かったことは一度も無いし、損失は並大抵ではない。「ハンコック」を観て、これだねと思ってしまった。だがハンコックとの違いは我々はスーパーヒーローではなく、そのヒーローの言葉を日本語にしているブルーカラーでもない、はたからみると不労者っぽい単なる作業員でしかないことである。

チベットのお寺を派手にやっているように見えるかも知れないが、実は毎月赤字で、自分で自分をいろいろな会社に派遣して、でかせぎをして嫁には生活費をしぶりつつなんとかやってきた。おかげで高校を卒業して貧乏学生をやっていた時とほぼ同じ生活レベルでしかない。

先輩の偉い先生方も、結構ぶらぶらやっているのがこの業界である。

じゃあなんでやるんでしょうかね、と言われたら、やはりこう答えるしかない。それは「面白いから」「本物だから」「すごいから」単にそれだけだ。

最近禁酒してこんつめて仕事をしているなかで、久々にビールを一本飲むとかなり酔って来た。支離滅裂な品のない記事になってきたので、まあこの位で今日はやめて寝るとしよう。

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翻訳の品質管理

科学というものは客観的なものでなければならない。
つまり常に同じ結果がでることが重要である。

しかし翻訳の品質管理というのは結構難しい。
これは誰がやっても同じ結果がでるというものではない。
翻訳というのは職人的技術と経験が必要なものであり、
またセンスというのも必要なものである。

また特にマイナーな分野になればなるほどその品質管理は難しくなる。
チベット語の翻訳がその一例である。
そもそもこういうものをきちんと教えるところがないのが絶望的だ。

日本という国は、日本語を使っている。
あたりまえのようだが、実はここがかなりネックである。
チベット語を英語に翻訳する絶対的人数と比べたらチベット語を日本語に翻訳できる人間は多分10分の1にも満たないであろう。

工業製品であれば、不良品のリコールという自浄作用があるが、
チベットの世界では、不良品のリコールというのはない。

間違った情報も垂れ流しであるし、極めて主観的な情報も垂れ流しである。
つまりこのブログのようなものである。

研究者の研究業績を見る指標が、論文の数であると長く言われている。
つまり駄文でも多く書くのがいいということである。

モーツァルトやベートーヴェンよりも小室哲哉がいいというのか。

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ダライ・ラマの「転生」?

日本にはチベット語やチベット仏教を解する人間がごく僅かしか居ないし、その充分な能力をもった人間を育てる環境もないのである。だからチベット問題がこれだけ脚光を浴びているなか、あまりにも不正確な情報が氾濫してしまっている。

とりあえず一般の人がチベットに注目してくれればいいというのは確かに我々長年ボランティア活動などをやっているものの本音でもあるが、英語で「I want Tibetan to be happy」(チベット人が幸せであることを望みます)というのと「I want to go back to Tibet」(チベットに帰りたい)というのは全然違うし、これを訳しわけられなければ中学校も卒業できないけれども、そういう類いの初歩的なチベット語からの誤訳が蔓延している。

チベット語の語学力については、有名大学の先生やヨーロッパでご活躍(?)になっている先生たちも、大した語学力でないばかりではなく、「誤訳」としかいいようがないものが氾濫しているので、一般の人はそのような状況を理解した上で情報を選別すべきであろう。信じられないことに日本では決してチベット人が書かないようなチベット語の綴りが教科書にのっているし、そういう綴りで書かれた文章が教科書のチベット語として使われていることも多々あるのである。

そのなかで最も腹立たしい誤訳は「ダライ・ラマの転生」とか「ダライ・ラマの輪廻転生」いう表現である。これは大いなる間違いである。これに当たるようなチベット語は決してありえないし、そんな表現をチベット人の社会ですれば、「ダライ・ラマ法王を批判するなんて、おまえは中国の回し者か!」という話しになるだろう。

その理由はチベットのコンテクストにおいてダライ・ラマは厳密にいうと「転生しない」し「輪廻」ではないからである。そもそも化身というのは我々のように業と煩悩によって輪廻に生まれてくるのではなくて、衆生済度という必要性があるからこそ「再生」「再来」するという発想なのである。

特にダライ・ラマ法王のように観音菩薩の生まれ変わりとなれば、本体である観音は、菩薩の姿をとってこの世に現れるが、既に仏位に達していると考えるのが通常のチベットの解釈である。だから煩悩を既に断じ終わっており、輪廻に「流転」することはあり得ないので「転生する」という和訳も間違いであると言わざるを得ない。

たとえば極楽浄土に生まれ変わるのは、「祈願の力によって生まれる」のであって、業と煩悩の力によって生まれるのではない。日本では極楽浄土に生まれ変わることがすぐに成仏することだと勘違いしている人が大勢いるし、ましてや輪廻や前世・来世の存在すら認めない人が多いので、はっきりいって仏教の教義に対する理解がめちゃくちゃになっているのである。

最近よく見かける表現に「生かされて生きる」とかいかにも日本的な語呂合わせのような標語がお寺にかかっていることもある。こんな表現はサンスクリットにもチベット語にも有り得ないし、ましてや中国語にもないよくわからない仏教!?なのである。

ましてや『ツォンカパの中観思想』と題して出版されている、本の副題には「ことばによることばの否定」と題されている。これは禅宗の思想ではそうかも知れないがツォンカパが「ことばによることばの否定」なんてことは一言もいっていない。

仏教界もめちゃくくちゃ、学会もめちゃくちゃだ。ましてや一般の出版物はめちゃくちゃなのである。最近は『ダライ・ラマのビジネス入門』なんていう恥ずかしげもない便乗商売が世にはばかっている。

さらに悲しいことには、チベットについて好意的な発言してくれている宮崎哲弥氏も「私は中観派に属する」なんていう途方もないことをいっている。チベット人が聞いたら絶句する発言である。何故ならば「中観派に属する」ということは「中観の見解を有していること」つまり空性を理解しているということになるからである。そして空性を理解するということは、有辺(すべてのものが顕現する通りに存在していると思う間違い)の無辺(輪廻転生を否定する間違い)とを同時に断じた中を理解するということなのである。そしてチベットの寺院では、すくなくとも罪障を浄化しないかぎり、知に空性が顕現することは有り得ないと言い伝えられている。そしてチベットの僧侶の戒律の不妄語戒の破戒に数えられる大罪のひとつとして例にあげられるものに「空を理解していないのに空を理解していると述べること」がある。こんなことはチベットの僧侶にとっては当たり前のことなので、チベットの僧侶であれば「私は霊能者です」とか「私は空を理解しました」なんて口が裂けても冗談でもいわない。

愚痴ばかり書いたので、最後にひとつ建設的な提案をしておこう。仏教についての基礎知識をテストする共通学力試験を作るべきである。そしてそれにパスできないものは、仏教について語るべきではない。またチベット語についての基礎語学力テストを整備すべきである。

チベットの文化が危機的な状況に追い込まれているのは、中国人のせいだけではない。それをきちんと理解し、それを人に正確に伝えようとする努力をしない外国人もチベットの文化を脅かしているのである。

まあ愚痴ばかり書いてもしかたないので、来年くらいからはデプン・ゴマン学堂日本別院仏教基礎試験というのを整備して、すこしずつやっていくしかないだろう。

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真実、事実、そして同一基体性

今年はひさびさに学会発表でもしてみようと思って、いま準備している。発表題目は「ツォンカパの空思想における絶対性」である。

1年間ダライ・ラマ法王の映像を編集しながら、チベット仏教についてその本質的な側面というものがどこにあるのか、考えてみた。そこでぼくなりにひとつの結論ではないが、視点というものを導入してみたくなったのである。それが、真実、事実、そして同一基体性ということと絶対性の問題である。これについてのチベット仏教の洞察は世界的に見ても他の追随を許さない、極めて高度なものである。

ツォンカパの空思想というものをよくよく考えてみると、立川武蔵のいうような聖なる世界と俗なる世界という二つの異なるディメンジョンではできていないということである。

これはチベット仏教が真実というものを、事実、そして存在というものと密接に関係して捉えていることによっている。ツォンカパにとって真実、事実というものは、「欺かれないもの」という定義がなされている。つまり正しい認識によってそれは獲得される対象(རྙེད་དོན་)であり་、それが獲得される場合には知に顕現しているものがその通りに存在していなければならないのである。これが顕現内容と実在内容との一致関係(སྣང་ཚུལ་དང་གནས་ཚུལ་མཐུན་པ་)་と謂われるものである。

チベット仏教の特徴として非常に現実主義的なところがあげられる。これは中国仏教のようなシュルレアリスティックな、よく言えば詩的な現実認識の視点をもっていないということである。だからこそ、空思想によって描かれる世界というものは極めて現実的なリアリスティックなイメージなのである。

チベット人にとって、そして特にゲルク派風の世界観では、現実世界と理想世界は同一基体に存在している。これはロマン派的な合一の思想では決してなく、同じ位相空間のなかの「事実」として現実世界と理想世界を位置付けることができるのである。人々はダライ・ラマ法王に観音菩薩と一体化した姿を見ることができるし、マルパのようなグルの像を描くことさえできるのである。現実に顕れるものは、自在に解釈されつつも歪曲する必要はない。本体と化生物との関係は強固に維持することができるのである。

このように考えてゆくのならば、中国的、日本的というものは、差異は消滅させられるか、もしくは隔絶化に向かわざるを得ないのに対して、チベット的、モンゴル的な土壌では、差異は同一基体上で絶妙なバランスを保ちながら保護される。絶対性もまた、超越的な思考を経る必要がなく、同一基体上で絶対者と相対者とが実現することができる。これが我々が知らないチベットの風土が編み出した世界的な叡知であることは誰もまだ気付いていないだろう。

更改しつづけることでその存在意義を有する中国的歴史観と事実関係を現実のものとして保存しながら、解釈内容によって歴史を書き換えることができるチベットとでは、どちらがインド仏教の本流を継承しているのかといえば、チベットに軍配があがるであろう。

チベット問題の解決のための対話の場に、中国側は常に歴史認識の問題を条件にあげてきている。しかし中国側がこの方針を変えない限り、両者の歩み寄りはあり得ないであろう。事実への探求、真実の追究、そして真実を確定するための方法論、これらについて中国文化がいくら頑張っても、チベット側の論理には歯が立たないであろう。

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学者よ、発言を求む

我々チベット学者ははっきりいって怒っています。学問や歴史に口出しする政府はろくなもんじゃありません。もういいかげんにしろばかやろう。ソ連という親玉を失ったボンクラ息子、中国はやりたい放題、いいたい放題だ。誰かとめてください。

そもそもチベット側と中国側の対話のなかで大きなネックになっている「歴史的にチベットは中国の一部である」といったプロパガンダに客観的な学問を志す人間のだれが賛同できようか。同じことを言われたらどうするんだ、「歴史的に日本は中国の一部である」と一体誰が認めることができようか。それと同じことなんです。

国際チベット学会の関係者もいよいよ動き出しました。残念ながら日本はまだです。
http://www.tibetopenletter.org/

日本でチベット研究や仏教研究をしているみなさんに訴えたい。

我々こそが言論の自由を主張すべきです。学問というのは言論の自由がなければ何の発展もありません。チベット問題について口を閉ざすのではなく、みんなできちんと発言しましょう。人々の声、客観的な声、それを封じ込める社会に反対しましょう。ペンは剣よりも強しです。

みなさん何年間これまで学問をやってきたのですか。みなさん何年間チベットの資料で研究費などをもらってそれを学者人生の糧にしてきたのですか。チベット文字も読めない人ですら、立ち上っているじゃないですか。こんな時に発言しなくていつ発言するんでしょうか。

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ツルティム・ケサン先生の退職に

この度、大谷大学で日本のチベット学を率いてきたツルティム・ケサン先生が定年退職されることとなって、その退職記念パーティに参加してきた。チベットに関わる研究者が勢ぞろいし、大谷大学で直接教えを受けた人達が心あたたまるとてもいいパーティだった。

私自身は、東京でいまはなき東洋文庫チベット研究室でケンスル・リンポチェに教えを受けた者の独りであるが、ツルティム先生はずっと京都で日本人の多くの研究者にチベット語古典文献の指導を行なってこられた。最近は和訳も精力的に発表されており、チベットの学問的伝統を日本に紹介しようというその情熱には頭が下がる。

ツルティム先生は数少ない日本に根ざしたチベット人インテリのひとりであり、このことは実はチベット人のなかではとても珍しいことである。そしてチベット研究という日本ではマイナーでなおかつ多少「インド仏教の二番煎じ」と思っている学者が多くいるなか、先生のこれまでの努力と苦労を思うと本当に大変であっただろうなと思う。結局彼を支えてきたものは、日本にチベットの学問的伝統をなんとかしてでも伝えたいというこの情熱以外の何ものでもないだろう。

チベット語の仏教文献は、伝統のなかに生きているテキストである。それは本に書いて有る内容だけではなく、人から人へ、口から口へと、身振り、手振り、などで伝えてこられたものである。外国人の研究者がそれを学ぶことは、決して簡単なことではなく、その伝統のなかに生きている人々から教えを受けなければ、そのテキストを読解することなど不可能であるといってもよい。

しかしながら、チベットの仏教研究者でチベット人のそういう伝統のなかに生きている人からきちんとテキストを学びたいという研究者は実は非常に少ない。多くの場合が自分で好き勝手に読書をして、分からないところは適当に誤魔化している場合ばかりである。さらには研究者と標榜しつつもチベット語の会話もできないので、チベット人とコミュニケーションもできない人も多いのである。更には多少チベット語ができても、この世界にはTOEFLのような基準もないので、チベット語だって誰がどれほどできるのかさっぱり分からないのが実状である。

こんな状況でいいはずがないが、こんな状況が長く続いている。これが日本のチベット学という学問世界の現状である。たとえば医学の世界では、メスも注射も握ったことがないような人が患者に注射をしたり手術をすることは禁じられているが、チベット学や仏教の世界ではそんな人間でも平気な顔をして人に仏の道を説いていいことになっている。

残念ながら仏教というのものは簡単にわかるものではない。しかし、すくなくともこれは外国の宗教なのだから、できればサンスクリット語、チベット語、漢文に堪能なことが望ましい。別にラテン語なんてできなくてもいいが、仏典の言葉が読めなければ仏教を理解することは難しいだろう。

ツルティム先生は何十年もかかって多くの学生を育てたが、それでもまだ日本のチベット学、仏教学はまだまだ人・もの・カネすべてにおいて不足している。そのなかでも致命的なのが人であろう。近年少子化が進むのと同時にチベット学をやろうと思う人物すら減りつつある。大体そんな学問をやっても食べていけないから当たり前なのだが、夢が見れない若者が多くなっているのではないかと思う。

大学院にいたころ食べていけないので、正直いってもうしんどいなと思ったことが何度かある。そんなときに、アメリカのカイプ教授がぼくに言ってくれたのは、「殆ど誰も読めない文献を楽しんで読めるってのは最高の幸せだと思うよ」といってくれた。これは確かにそうだ。

チベットやインドの文献には、普通には市場に決して出回ることのない「仏になるための具体的な方法」が細かく理論的に書いてあるのである。まだまだ世の中には知らないことだらけなのだ。我々が知らないその量を考えると、知っていることはほんの僅かに過ぎないのだ。

大学生の時にある先生から「君は悠久の時を生きているんだね」といわれたが、そんなに立派なものでもない。しかし、この世のなかには時間がかかることが山のようにあるのであり、いくら急いでみたとしても簡単にはいかないのである。

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WWDC2006

AppleのWWDC2006に行くことになった。
http://developer.apple.com/jp/wwdc/
サンフランシスコが楽しみだ。ひょっとして日本より涼しいかな?

ところでこのWWDCとは何かを家内に説明するのに、「まあ世界中のオタクのエキスパートの集まる会議だよ」といったら、数日後、家内の友達から「え!こんど世界オタク会議に行くんでしょ。すごいね〜。ところでど世界中のオタクってどんな感じ?」と聞かれてしまった。

そこで「すぐ隣にいるのにお互いチャットで話たりする人たちかな‥‥。」と答えた。すると「へえ〜。すごいね〜。」と言われた。

彼女の頭のなかでは、どんな想像がされているのか。それは計り知れないものがある。ただ、オタクといっても本格的なオタクだってことだけは分かってくれたようだ。

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iPodで仏教を学ぶ

iPodでダライ・ラマなどの説法を聞いている。

沢山の説法を一度にどこでも持っていけるので、大変便利だ。
最近はインドに再建されたチベット人社会でもMP3は急激に普及している。
これに伴いパソコンも普及しつつある。

僧侶たちがパソコンを使ってもいいものか?
チベット仏教の僧侶たちは子供の時から閉ざされた社会で生きているので、
社会のさまざまな悪いものに免疫がないことがすこし気掛かりだ。

iPodが説法を入れるものとなるならば、
仏壇に飾るべきものなのだろうか。

これについては今度リンポチェに聞いてみよう。

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