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	<title>Memorandum of Experiments &#187; Tibetan Studies</title>
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	<description>Shojiro Nomura Workshop</description>
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		<title>仏教の研究をするために</title>
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		<pubDate>Tue, 17 May 2011 22:50:31 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[Tibetan Studies]]></category>

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		<description><![CDATA[仏教の研究をするということは、読み下すのならばブッダの教えを研ぎすました感性で究明しようとすることである。それは決して「仏教」というジャンル分けをされたものを対象として、そのものを客観的に社会に提示するためにその芳醇な要素を篩にかけて、捨ててしまうことではない。 しかしながら、最初に「研究」をしようと思ったころや、それに対する研究に必要最低限なスキルを身につけるための努力をしているうちにそういうことを忘れてしまう人が多い。 仏教の研究者になろうと思ったころには、サンスクリット語、チベット語、漢文、パーリ語などなど学ばなければいけないものが多い。それらの語学を学ぶうえでは、語学能力の向上のためにそれらの言葉を使っている人たちのことをもっと知らなければならない。何故ならば、その言葉がどのような意味であるのか、ということは、あくまでもその言葉を発する人に対する思いやりというか、想像力から理解されるものであるからである。 たとえば現代の仏教学では仏教論理学というものが非常に注目されてきた。これは仏教にまつわる文化の担い手たちが宗教やブッダの教えというこの巨大な象をどのようにあつかっていいのか分からないという不安を代償としたものである場合が多かったと思う。モダニズムではなくて古典主義になった人々は、たとえば新しい写本の発見といった、古い実在的な価値観から解放されることなく、むしろ崩壊したモダニズムのなかで少ない実在的な価値に命をかけてきたといってよいだろう。しかし、この世を見てみよう、骨抜きになった魚のように、教えの輝きを失った仏教学は、人々の心を揺さぶることができないまま、社会はもっと悪くなっているのである。 我々はほんの少しの周りの人と同時代の人たちのために生きている。それらの人たちのなかで一体自分というものがどのような位置に立つべきなのであり、どのようにこの「私」という記号を人々のなかで面白い存在にするべきなのか、ということは誰しもが考えなければいけないことである。しかし、そのような事実を直視することの恐怖に脅えている。 ある人がお前は論文を沢山書いてないなといったことがある。つまらない論文を沢山書くくらいならば『中論』のようなものを書きたいとこれらの人は思ったことはないのだろうか。決して多くを語ることが重要ではないはずである。適材適所に言葉をちりばめて、その仕掛けを人々がどのように楽しんでくれるのかとういことを考えるのは、小さな楽しみであるはずである。それらのことを日常の雑事に追われて忘れてしまっていることが多い。 我々は毎日問いかけなければならない。ブッダはいまもここにいて何を我々に教えているのか。彼らの言葉をまず性格に理解することをはじめ、そしてその教えを感受することから仏教の研究ははじまる。]]></description>
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		<title>དྲང་ངེས་ལེགས་བཤད་སྙིང་པོ།</title>
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		<pubDate>Sun, 08 May 2011 13:00:48 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[ひさびさにこのテキストに取り組もうと思う。これはツォンカパのテキストの中で最も重要なもの。だからこそ、全力でぶち当たりたい。]]></description>
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		<title>紙に学術情報を書いて何か意味があるのか</title>
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		<pubDate>Tue, 27 Jul 2010 02:39:45 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[すべての情報を書き残す]]></category>
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		<category><![CDATA[キーワード検索]]></category>
		<category><![CDATA[ハンコ]]></category>
		<category><![CDATA[科学的な研究]]></category>
		<category><![CDATA[紙]]></category>

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		<description><![CDATA[紙に文字や文章を書くことは人間の手仕事と関係しているが、紙の情報というのは実はこの世にあるすべての情報を書き残すのには不向きである。ここには言葉に対する過信だけではなく、既存のメディアに対する無批判な思考の現れている。]]></description>
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		<title>ことばとして発せられる前のもの</title>
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		<pubDate>Mon, 24 May 2010 14:29:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[Margins of Keijiro Satoh]]></category>
		<category><![CDATA[Tibetan Studies]]></category>

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		<description><![CDATA[翻訳不可能性の問題を考え始めるのならば、厳密にいうとほんのひとつかふたつの単語すら翻訳することができないという壁にぶちあたる。そういうことを考えたことがない人は単純に言葉を置き換えればすむと思っているが、そんなに甘いものではない。]]></description>
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		<title>Get Stupid</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Sep 2009 13:09:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<title>「チベット学研究は何のためにあるのか」</title>
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		<pubDate>Sat, 22 Aug 2009 18:19:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[Tibetan Studies]]></category>

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		<description><![CDATA[長年考えたこともなかったわではないが、いまさらながらこんな問いかけをしてみたい。それは必要とされているのか否か。趣味か否か。プロかアマか。いろいろと小手先のことをやってそれらしく見せかけることはできるが、よくよく考えてみるとそもそもこの問いかけこそがタブーであった。 先日某大学のある方が「チベットの研究なんてもうからないことはやめた方がいいよ」と言われて極めて憤慨した。しかし、これは残念ながらあたっている。我々研究者というのはこの問いかけこそしたことがあるが、いつも自分で自分をごまかしてきたのである。 そもそも我々は「チベット研究者」としては求められていないのである。誠に残念だが仕方がない。要するにそれは一生人々から必要とされることもないし、趣味でしかないし、お金も充分もらえることはない。いまだ儲かったことは一度も無いし、損失は並大抵ではない。「ハンコック」を観て、これだねと思ってしまった。だがハンコックとの違いは我々はスーパーヒーローではなく、そのヒーローの言葉を日本語にしているブルーカラーでもない、はたからみると不労者っぽい単なる作業員でしかないことである。 チベットのお寺を派手にやっているように見えるかも知れないが、実は毎月赤字で、自分で自分をいろいろな会社に派遣して、でかせぎをして嫁には生活費をしぶりつつなんとかやってきた。おかげで高校を卒業して貧乏学生をやっていた時とほぼ同じ生活レベルでしかない。 先輩の偉い先生方も、結構ぶらぶらやっているのがこの業界である。 じゃあなんでやるんでしょうかね、と言われたら、やはりこう答えるしかない。それは「面白いから」「本物だから」「すごいから」単にそれだけだ。 最近禁酒してこんつめて仕事をしているなかで、久々にビールを一本飲むとかなり酔って来た。支離滅裂な品のない記事になってきたので、まあこの位で今日はやめて寝るとしよう。]]></description>
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		<title>翻訳の品質管理</title>
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		<pubDate>Wed, 08 Apr 2009 06:54:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[Tibetan Studies]]></category>

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		<description><![CDATA[科学というものは客観的なものでなければならない。 つまり常に同じ結果がでることが重要である。 しかし翻訳の品質管理というのは結構難しい。 これは誰がやっても同じ結果がでるというものではない。 翻訳というのは職人的技術と経験が必要なものであり、 またセンスというのも必要なものである。 また特にマイナーな分野になればなるほどその品質管理は難しくなる。 チベット語の翻訳がその一例である。 そもそもこういうものをきちんと教えるところがないのが絶望的だ。 日本という国は、日本語を使っている。 あたりまえのようだが、実はここがかなりネックである。 チベット語を英語に翻訳する絶対的人数と比べたらチベット語を日本語に翻訳できる人間は多分１０分の１にも満たないであろう。 工業製品であれば、不良品のリコールという自浄作用があるが、 チベットの世界では、不良品のリコールというのはない。 間違った情報も垂れ流しであるし、極めて主観的な情報も垂れ流しである。 つまりこのブログのようなものである。 研究者の研究業績を見る指標が、論文の数であると長く言われている。 つまり駄文でも多く書くのがいいということである。 モーツァルトやベートーヴェンよりも小室哲哉がいいというのか。]]></description>
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		<title>ダライ・ラマの「転生」？</title>
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		<pubDate>Thu, 23 Oct 2008 14:56:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[Tibetan Studies]]></category>

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		<description><![CDATA[日本にはチベット語やチベット仏教を解する人間がごく僅かしか居ないし、その充分な能力をもった人間を育てる環境もないのである。だからチベット問題がこれだけ脚光を浴びているなか、あまりにも不正確な情報が氾濫してしまっている。

とりあえず一般の人がチベットに注目してくれればいいというのは確かに我々長年ボランティア活動などをやっているものの本音でもあるが、英語で「I want Tibetan to be happy」（チベット人が幸せであることを望みます）というのと「I want to go back to Tibet」（チベットに帰りたい）というのは全然違し、これを訳しわけられなければ中学校も卒業できないけれども、そういう類いの初歩的なチベット語からの誤訳が蔓延している。

チベット語の語学力については、有名大学の先生やヨーロッパでご活躍（？）になっている先生たちも、大した語学力でないばかりではなく、「誤訳」としかいいようがないものが氾濫しているので、一般の人はそのような状況を理解した上で情報を選別すべきであろう。信じられないことに日本では決してチベット人が書かないようなチベット語の綴りが教科書にのっているし、そういう綴りで書かれた文章が教科書のチベット語として使われていることも多々あるのである。

そのなかで最も腹立たしい誤訳は「ダライ・ラマの転生」とか「ダライ・ラマの輪廻転生」いう表現である。これは大いなる間違いである。これに当たるようなチベット語は決してありえないし、そんな表現をチベット人の社会ですれば、「ダライ・ラマ法王を批判するなんて、おまえは中国の回し者か！」という話しになるだろう。]]></description>
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		<title>真実、事実、そして同一基体性</title>
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		<pubDate>Sun, 01 Jun 2008 14:19:05 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[Tibetan Studies]]></category>

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		<description><![CDATA[今年はひさびさに学会発表でもしてみようと思って、いま準備している。
発表題目は「ツォンカパの空思想における絶対性」である。

１年間ダライ・ラマ法王の映像を編集しながら、チベット仏教についてその本質的な側面というものがどこにあるのか、考えてみた。そこでぼくなりにひとつの結論ではないが、視点というものを導入してみたくなったのである。

それが、真実、事実、そして同一基体性ということと絶対性の問題である。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥]]></description>
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		<title>学者よ、発言を求む</title>
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		<pubDate>Thu, 27 Mar 2008 17:26:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[Tibetan Studies]]></category>

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		<description><![CDATA[我々チベット学者ははっきりいって怒っています。学問や歴史に口出しする政府はろくなもんじゃありません。もういいかげんにしろばかやろう。]]></description>
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