論文はオペラ

むかしオペラは好きじゃなかった。
というのも、芝居だからである。

芝居は、ながながと書く。
論文も簡単なことをながながと書く。

ことばのもつ意味が希薄な人が書くためのものか‥‥?

チベット仏教の哲学書は、論文に似ているようで、似ていない。
すべてはひとつひとつの命題でできている。

平均律のような楽しさがある。
そこに宗教的な楽しさがある。

論文にはそれがない。
ただ論文を書くのが、私の仕事。
何とも残念でたまらない。

論文を書くのは、いつかやめたいと思う。
ただいま目の前の論文は何とか仕上げなければ。

2006-06-30

Dalailama2006.jp ロゴ

ダライ・ラマ法王の写真は日本ではいろいろなところで眼にする。チラシや雑誌など。それらはいずれは捨てられる運命にある。それは実はあまりいいことではない。

チベットのひとびとにとってダライ・ラマ法王の写真は、踏絵にもされているようなもので、それをもっているだけでも投獄され殺されてしまう可能性がある。ダライ・ラマ法王の写真にはそれほど重い意味があるのだ。

たとえばチベット人のラマならば、ダライ・ラマ法王の写真は頭の上において、礼拝の意味を込めるしぐさをするだろう。そんな光景を見ていると、いずれは捨てられる運命にあるようなダライ・ラマ法王の写真を印刷物などで使うのはよくないなと本当に思うようになった。

そこでいま作っている、ダライ・ラマ法王の広告で、「できるだけ捨てられないような場面のみにダライ・ラマ法王の写真は使用してよい」というルールを設けることにした。チラシの裏面には、小さくダライ・法王の写真がはいっているが、それはまあ宣伝効果を考えると仕方がない。ただ正面にばんと大きくダライ・ラマ法王の写真を使うのだけは避けた。これだけでもいままでのダライ・ラマ法王に関する行事のチラシと一線を画すことができただろう。

写真の代わりにダライ・ラマ法王をロゴで表すよう友達にデザインをしてもらったのが、このロゴだ。宝石(摩尼)と蓮華で観音菩薩を表現している。つまりダライ・ラマ法王だ。このロゴをみてダライ・ラマ法王だと思う人はいないだろうし、写真やイラストを使って大量に印刷するよりはましかな、と思った。

しかしできてみてから考えてみると、ちょっと待てよ。ダライ・ラマ法王や観音菩薩を記号で表したとして、それがチラシなどで使われたとしよう。そしてそれが大量に印刷されて、またゴミになるのであるとすれば、やっぱりダライ・ラマ法王や観音菩薩が捨てられることになるんじゃないか。‥‥そう考えると結局同じことになってしまうような気もしてきた。そんなことを眠る前にちょっと心配になってきた。

まあ記号化したのだから、記号を理解する人がいるかどうかということで罪業になるのかどうかが決定されるのだろうか。それならいいけど‥‥。まあこのあたりがブレイクポイントではあるだろう。

まあいちおう明日、リンポチェに相談してみよう。

2006-06-22