WWDC2006

AppleのWWDC2006に行くことになった。
http://developer.apple.com/jp/wwdc/
サンフランシスコが楽しみだ。ひょっとして日本より涼しいかな?

ところでこのWWDCとは何かを家内に説明するのに、「まあ世界中のオタクのエキスパートの集まる会議だよ」といったら、数日後、家内の友達から「え!こんど世界オタク会議に行くんでしょ。すごいね〜。ところでど世界中のオタクってどんな感じ?」と聞かれてしまった。

そこで「すぐ隣にいるのにお互いチャットで話たりする人たちかな‥‥。」と答えた。すると「へえ〜。すごいね〜。」と言われた。

彼女の頭のなかでは、どんな想像がされているのか。それは計り知れないものがある。ただ、オタクといっても本格的なオタクだってことだけは分かってくれたようだ。

2006-07-22

TV番組:オーラの泉

日本では、宗教についての無知がはげしい。

特にいまやっている「オーラの泉」(TV朝日系)という番組はあまりにもばかばかしい。

聞くに耐えない言葉が空虚に公共電波で流れている。

この番組に関わりこの番組が全国放送されているということは、
あまりにもばかばかしくて、嘆かわしいばかりである。

そしてこの番組をやっているのが朝日系というこのアンバランス。
宗教についてのあまりの無理解がこのような現象を生んでいる。

末法の世もここまできてしまった。

2006-07-18

web 2.x がもたらすもの

.Macサイトに「最新のブラウザをお使いですか?」という記事がのっていた。

次世代ウェブテクノロジーは動的コンテンツに向けた出発点。
Photocastという新しい.Macのサービスはまさにこのweb2.0の技術が反映されたものだ。

私のウェブサイトも最初は、誰も殆ど「ホームページ」なるものをもっていない時代に立ち上げたものだが、いまはいちおうRSSが見れるなど、次世代ウェブに向かいつつある。

web 2.xがもたらすものは、プライベートメディアの拡大であろう。
誰でもが情報発信し、誰でもがメディアになりうる時代がくる。
実はこれは昔夢見たことに近づいている。
まだリニアモーターカーはできていないが、
確実に昔映画で見た未来社会はやってきている。

プライベートメディアの拡大は、マスメディアの弱小化である。日本の巨大出版社、巨大新聞社、巨大TVネットワーク、これらは近い将来必要ではなくなる。そのうち現在のコンテンツメーカとコンテンツディストリビュータとの関係も変わるだろう。いまのような古典的な経済的確執や因習はそのうちなくなるだろう。

既に、RSSで青空文庫を縦書きで読むことができる。
これは本の終焉を示唆しているが、本はなくならないだろう。

とりあえず、ここは実験室、
すこしずつ実験的なコンテンツを増やしたいと思う。

というわけで、よく分からない人のためにまとめておきます。
「このサイトで音楽配信をそのうちします」
「このサイトでチベット語古典の翻訳をばしばしだします」
「論文にはなっていない切れ端をどんどんだします」
と宣言だけしておきます。

とりあえず『菩提道次第論』の翻訳でもだすかな?

アウトライン・プロセッサとサチェー(科文)

アウトライン・プロセッサというソフトがある。
昔はACTA 7であったが、最近はOmni Outlinerというソフトを使っている。
http://www.omnigroup.com/applications/omnioutliner/
MacOS Xで快適に動いている。なおかつチベット語も大丈夫というすぐれものだ。

すこし高機能で使いにくいが、訳あって、最近だんだん使いこなしてきた。というのも論文を書かなくては行けないのに、うまく進まないのでソフトを変えてみたりして気分転換しているからである。

むかし東洋文庫でツォンカパ全集のサチェーを作った時には、すべてACTA 7で作った。実はこのソフトがあったからこそ、あの本ができたわけだ。チベット仏教の思考法はアウトライン・プロセッサで行なう作業とほぼ同じような思考の流れをしている。

アウトライン・プロセッサで論文を書いていると、すこし進行状況がよくなってきた。TeXを使うのもいいが、やはりスマートではない。註を書くのには便利だが、やはりコマンドラインが見えるところが気にくわない。だからこのままアウトライン・プロセッサで書き続けることを決心した。

半日くらい頭を使えばアウトライン・プロセッサから組版して印刷するところまで自動化できるはず。とはいえ、いまはそこまでやる必要がないので、とりあえずどんどん書き続けよう。

文化のギャップを感じました

昨日、ゲンギャウがチベット料理をつくってくれました。チベット料理は大体これまで口に合うものばかりでしたが、今回はちょっと言葉につまりました。

料理方法は、簡単。お米にバターとディー(ヤクの雌)の粉チーズ、干し肉(ヤクの肉)を少々いれて、あとはお粥のように炊くだけです。

仕上がりは、リゾット風、お粥のようなものになります。味は、最初の一口は二口は美味しいのですが、胃にもたれそうなお粥ですので、さすがに沢山食べるのはちょっとつらいです。

以前ご飯にヨーグルトと砂糖をかけて食べるチベットのご馳走を頂きましたが、これもつらかったですが、今回のはそれにもましてつらかったです。しかしゲンギャウはおいしいおいしいと食べていました。

そこでゲンギャウと話をしたところ、そもそも日本ではお米に酢をかけて、なおかつ冷やして(!)、それに生の魚の肉をつけて食べるという「寿司」という料理があります。これもよく考えると外国人にはつらいのかもしれないなということです。

ゲンギャウは基本的に伝統的なチベットスタイルを頑なに守っていますので、「魚・豚・卵」は食べませんし、いりこダシは口にあわないようです。

以前フランスでウサギ料理を食べたときにも思いましたが、文化のギャップというのはやはり大きいなと思いました。インドでカレーを食べるときには指でお米と混ぜて食べると美味しいですが、日本のカレーではそれはできません。

日本人は世界中の食事や文化を取り入れている気になってはいますが、まだまだ文化のギャップははげしいですね。

ゲンギャウは最初みそ汁をみたとき、家畜のエサかと思って食欲がなくなったとのことですが、そんなことに気付かない我々は、みそ汁は美味しいので飲んでみたら、世界でも日本食はブームになっていすよ、と自分勝手なことをいっていました。

日本食がブームになっているのは、アメリカや一部のヨーロッパだけ。日本の味が世界に通用する思っているのは、単なるエゴなわけですね。

文化のギャップというのは埋めることは難しいと思うこのごろです。