チベット語の字幕翻訳・同時通訳

いま毎日ダライ・ラマ法王の昨年の講義のチベット語の字幕を付けているが、この業界では殆どこれまでの通例とかノウハウというものは存在しない。通常字幕は1秒4文字と決まっているが、なかなかそこに納まらない。さらには仏教用語をふんだんに使った法王の説法は、実はとても難しく、思いのほか脱線したり、話題が抜けたりすることもある。

人名や書名が出てきたら大変だ。というのもカタカナで書くと必然的に音数が増える。だからたとえば「ナーガールジュナ」は「龍樹」とするが、さすがに「パダムパ・サンゲー」は漢字に置き換えれない。

先日の法王来日中でも某テレビ局に頼まれて、法王の同時通訳をしたが、これは昨年毎日1時間ずつ練習したからできた仕事であり、こんな練習をしたチベット関係の研究者や翻訳家はだれもいないだろう。一生懸命身に付けた技術も今後活用される予定は残念ながらない。しかしこういう技術は磨かなければいいものにはならない。

仏教の法話の字幕翻訳というジャンルをどこまで開拓できるか、これはあくまでも実験的なものに過ぎなくなるだろう。

しかし、とりあえずいままで出ている字幕よりははるかにいいものができそうだ。というのも字幕を入れる編集作業自体を自分でやっているからである。

音数、秒数、アングルなどすべてを考えながら字幕を入れる作業ができる。スタジオで作業しなくても安いパソコンでできる時代なのである。もちろん、FinalCut Proという素晴らしいソフトがなければできない仕事ではあるが‥‥。

法王が来る前に、きっと法王の話しは難しすぎて日本人にはなかなか分からないだろうと心配したが、改めていま一語一句聞き直しながら考えるに、ダライ・ラマ法王の説法会は誰に対して説かれたものなのか、誠に分かりにくい。チベット人の僧侶たちでも「この話は難しいね」というくらいの内容だし、普通のチベット人が改めて聴いても、よく理解できない難しい言葉や表現に満ちている。

しかしよく考えると日本語も難しいもんだ。ダライ・ラマ法王に質問する人たちはもっとはっきりと何が聞きたいのか簡潔に言って欲しかった。礼儀正しいことはいいことだが、前口上は抜きにして聞きたいこと、言いたいことだけをきちんと伝える、これが外国人とのコミュニケーションの基本である。

法王は日本人が質問している時に、我々に同時通訳をするように要望していた。ちょっとでも詰まるとすぐに「何だって?」とあの迫力のある声で聞かれる。そのたびにかなりびびってしまった。

しかし、実を言うと日本人の言いたいことなんて、文章全体を聞いて、前後関係を含めてまとめてないときちんと伝わらないものなのだ。そして遠慮深い日本人はそんなしゃべり方をするものなんですよって法王に言いたかったが、結局言えず仕舞いとなった。

2007-04-13

苦難の時代をマイペースで生きる

今年は厄年だそうだ。確かにいまのところ今年はいろいろと苦難が多い。

しかし、今年は再出発の年にしたい。
新しいプロジェクト、本当にやりたいことをやろう。

昨年ダライ・ラマ法王の招聘などに関わって学んだことは、
「苦難の時代をマイペースで生きる」ってことだろう。

ダライ・ラマ法王やチベット人たちは苦難の時代をマイペースで生きている。
Prof. J. Hopkinsも大変マイペースな人でびっくりした。

多くの仕事を残せる人物はやはりマイペースでなければならないのかもしれない。
小学生のころから「協調性がない」私はそれなりに他人に歩調を合わせていたつもりだ。
しかしいくらやってもだめだということが分かってきた。

一度リセットして調律をしなおした方がよさそうだ。
そして今その時だろう。

2007-04-06