対話再開の意思表示が意味するもの

中国政府が遂にダライ・ラマとの対話を再開するというメッセージを出してきた。この対話再開とは何を意味するのか。これまでの対話で何か成果がでたというのか。

人が死んでいる。そして人が捕まっている。

国際社会はこの対話と名のついている単なるパフォーマンスにだまされてはならない。対話とはお互いが譲歩しながら、どこかで和解の点を見つけなければならない。たんなる会話ではないのである。

水面下での対話は何度もやってきた。しかしそれでいままで解決しなかったではないか。対話をするためには第3者がいるところでやらなければ意味がない。

我々が求めているのは全面的な解決である。もう単なるパフォーマンスでは許されない。

2008-04-26

チベット問題とオリンピック

この数日間、チベットに関する新しいニュースを封じ込めつつある中国政府はインターネットを通じて、大量な情報発信を行なっている。そんななかで最近気になるニュースがぽつぽつ出てきたので、ちょっとメモしておきたい。気になるニュースとは小葉(西蔵文化保護発展協会副会長)の書いた「拉薩事件三思」と題される記事である。これは人民網日本語版に掲載されているので、まずは全文を引用したい。

今日の拉薩(ラサ)はすでに以前の落ち着きを取り戻している。暗雲は次第に吹き払われ、雪山は今も神聖純潔だ。騒々しく揺れ定まらぬ中、「三思」を試みるのも良かろう。(文:小葉・西蔵文化保護発展協会副会長)

一思、「オリンピックボイコット」は誰に難癖をつけるものなのか?ダライ(ダライ・ラマ14世)集団は「オリンピックはチベット人にとって最後の機会」とわめき立て、拉薩などでの「暴行・破壊・略奪・放火」の暴力事件を入念に組織・画策・煽動・操縦した。さまざまな邪悪な勢力も跋扈し、「オリンピックボイコット」をわめき立て、道を遮り五輪聖火を強奪しようとした。彼らは自分たちが13億中国人民の自己向上と奮い立つ前進をボイコットし、13億中国人民の自尊心と感情を傷つけているのであり、60数億世界人民が一致して認める平和・融合・団結・友愛のオリンピック精神をボイコットしていることに気づいたはずだ!中華民族はオリンピックの開催を通じた世界各国との交友を心から望んでいる。愛と良識のある人は誰しも、13億人民が世界に微笑み、世界も中国に微笑んでいると信じている。

二思、暴力の煽動は誰を困らせるものなのか?暴力行為とその極端な形であるテロリズムは全人類にとって災厄だ。その大部分が何某かの宗教や民族を旗印を掲げているのは、特定の民族・宗教の中で常に2つの結合が生じるからだ。すなわち、狭隘な民族主義と宗教原理主義の結合、神への崇拝と人への崇拝の結合だ。この2つの結合が産む化け物が、抑え込み難い極端な思想と暴力志向の行為だ。その悪性の発展が、大善の無辜の市民を傷つけることもいとわぬテロリズムなのだ。かつて米国は政治上の必要から、中東の暴力組織を支持・放任し、強大化するに任せ、ついにはテロリズムの化け物を育て上げ、逆にその害を被っている。ダライ集団が現在実際に主張・煽動している「チベット独立」は、すでにこの2つの結合の傾向を備え、その「チベット青年会議」はすでに暴力とテロの傾向を示している。「チベット青年会議」のある頭目はすでに「自爆攻撃によるチベット独立の達成も排除しない」「報復的な人間爆弾の広範な使用は1つの発展の方向だ」と公然とわめき立てているのではないのか?もしこの発展を放置すれば、「チベット独立」を旗印に掲げるテロリストを増殖させ、中国のみならず世界にも災厄をもたらすことになるのだ。

三思、「己の欲せざる所、人に施すなかれ」。西側のいくつかの国々は、中世の政教一致の暗黒統一を脱した後、ようやく現代国家への苦しい道のりを歩み始めた。半世紀余り前、ダライ・ラマは政教一致の農奴制社会の最高統治者だった。その「亡命政府」の「憲章」は、今なおそれを「政教一致」の「独立国家」と定めている。今日の中国の西蔵は、政教一致の農奴制を脱した後、現代的社会へと大きく歩みを進めている。経済は飛躍的に発展し、人々の生活水準はみな大幅に向上した。平均寿命はダライ統治時代の35.5歳から現在は67歳に伸びた。この基礎の上に、蔵族(チベット族)の言語と文化も中央政府と地方政府に支援・保護されている。現在、西蔵その他の蔵区には3700余りの寺院があり、12万人の僧尼がいる。大きな寺院には数千人の僧侶がいる。もし宗教信仰の自由がないのなら、どうしてこのような状況が生じるのか?ダライ集団は西蔵の現代化を望まず、農奴制への回帰を企み、西蔵の経済・社会発展の1つ1つの進歩を、さらには青蔵鉄道の建設を大々的に攻撃し、兄弟民族による西蔵への無私の援助を悪意をもって誹謗し、対立を引き起こそうと百方手を尽くしている。まさか西側は歴史に逆行するこうした行為が目に見えないというのか?まさか西側は自分達も政教一致の暗黒の中世に回帰したいというのか?(編集NA)

「人民網日本語版」 2008年04月22日

ラサ市の旧市街、つまりジョカン寺周辺のチベット人が主に住んでいる場所と新市街とは軍事力によって遮断されており、そこを自由に行き来できない状況がいまも続いている。落ち着きが取り戻されたというのならば、なぜ外国人ジャーナリストや観光客が入れないのか。これを考えてみれば明かにこの「落ち着いた」というのがはったりであることは明らかに「真実」「事実」に反しており、荒唐無稽であるが、彼らの立場にたってこの文章をよく読むと実は面白いことがわかる。

彼らの主張はこういう風に纏めることができる。。

  1. ダライ派の一部のチベット人は「オリンピックに反対するテロリズム」にほかならない。
  2. チベット青年者会議の動向を黙認するダライ・ラマはテロリストに加担している。
  3. ダライ・ラマや亡命社会を支援することは政教一致の独裁政権を復興させることに繋がる危険性がある

これらの主張を彼らに好意的に読み替えるとこういうことになるだろう。

  1. 「オリンピックに難癖つけるダライ派の一部の人 VS オリンピックの成功を願う普通の人」という構造を世界に浸透させて、「世界が待ち望む北京オリンピックの成功」のためには「チベット人のテロリズム・分裂運動」を断固として阻止する。そのためには徹底的にチベットの独立派勢力・抵抗勢力を封じ込めなければならないのであり、北京五輪までのチベット地域における戒厳令を解くことは止むを得ないということになる。実際に1989年に胡錦濤は1年半以上も戒厳令を敷いていたのでこの可能性は高い。
  2. 独立派のチベット青年者会議の活動を黙認しているダライ・ラマはテロリズムに加担しているのと同じである。したがって今後ダライ・ラマと対話する必要は全くない。中国側が擁立しているパンチェン・ラマももう大人だし、ダライ・ラマは年をとっているので長くない。ダライ・ラマが亡くなった後、チベット青年者会議の連中がテロリスト化しそうなのは誰にだってわかる。だからもう世界はダライ・ラマ側の言うことは聞く必要はないんじゃないか。
  3. ダライ・ラマ側は民主主義とか平和主義とか言っているが所詮は、政教一致の独裁政権の復興を望んでいるのに過ぎない。中国側は莫大な投資をして、チベット人はさんざん潤いつつある。世界はこの実績を見るべきであり、チベット観光資源や膨大な中国の領土、マーケットに注目するのならば、ダライ・ラマ側につかない方が得をするのに決まっているだろう。

とこう考えると非常に納得のいくことがかなりでてくる。いまの中国政府のやり方はあまりにも世界のなかで情けない事態が最初続いていた。しかし、抵抗運動などが嫌いな事なかれ主義の人が段々と嫌気がさしてくるのに連れ、次第に「さすがにやりすぎだよね。チベットの人達もさすがにオリンピックに反対しちゃいけないよね」という声がでてくるのを待っているのだろう。

でもよく考えてみよう。「ダライ・ラマがオリンピックを妨害しようとしている」と突如言い出したの誰だろうか。これは紛れもなく3月のはじめに北京政府が記者会見で発言したことばである。

そもそもダライ・ラマは数年前から北京五輪が開催されることはいちども反対したことはない。むしろそれを応援するメッセージを送っているし、北京五輪開催地に決定し、世界の冠たる国家としての中国政府は、もうすこしチベット人権状況を改善して欲しいというメッセージを送ってきた。一方で、チベット青年者会議や一部の独立派の人々はこのオリンピックの開催に向けて今年が世界にアピールするチャンスだと呼びかけてきたことも事実である。彼らは今年は盛大にアピールするぞという意気込みはあったが、「オリンピックをぶっつぶしてやろう」という気持ちはない。それは自分たちの無力さをしっているからである。その証拠として、昨年チベット青年者会議だって「おれたちもオリンピックにださせてくれ」とIOCまで嘆願にいったくらいだ。彼らは決して「オリンピックを中止しろ」などとは言っていなかった。ラサやアムドなどで暴徒と化したチベット人だって、「オリンピック反対」という旗などもっていなかったではないか。

次に「ダライ・ラマが今回の一連のチベット人の蜂起活動を行わせた」と主張しているが、これも明らかに誤っている。今回の一連の蜂起活動の原因は、抗議活動に対する中国政府による軍事的な抑圧に怒った人々が、石ころやそのあたりの棒切れで警察車両をぶちこわしたり、店のシャッターをこじあけようとしたことは世界中の誰でもわかる。これが「暴力事件を入念に組織・画策・煽動・操縦した」というのであれば、私はいいたい。なぜあのような大量な軍隊がチベットにいるのであろうか。

このように考えてみるとひとつ中国政府の新しいチベット問題に対するアプローチがわかってくる。今回のオリンピックによって彼らはチベット問題を闇に葬るために「入念に組織・画策・煽動・操縦した」のではないだろうか。そもそもラサの暴動も北京政府が仕組んだものかも知れない。1989年のようにちょっと締めつければ国際社会は馬鹿だからヒステリックに反応する。実際に聖火リレーに反応しているのは、北京政府の思惑通りかも知れない。

北京政府は他のどの国よりもチベット人やダライ・ラマを研究しつくしている。鉄道も開通させ、投資家によるチベットに対する大投資事業もはじまった。次のダライ・ラマを選ぶのも新しい法律を作ったので全く心配ない。亡命したカルマパだってまだ子供なので、チベットをどうしようもないだろう。諸外国が中国市場を重視していることは分かっている。これだけチベット人をしめつければ、亡命政府の若者もそのうち「もう自治なんてやだ。独立だ、テロだ」といいだすのも分かっている。これは却って好都合じゃないだろうか。亡命チベット人がいくら声をあげても国連軍が介入してこないことはこれまでの実績でわかっている。欧米だって折角投資した巨額の資金を中国政府の転覆によって失いたくないはずである。外国のチベット研究者もいままで見れなかった写本を見せることで黙るだろう。チベット人たちの声が枯れ果てて困る人は誰もいない。チベット問題はそのうち消滅するだろう。その消滅を急激に勧めるチャンス、それがオリンピックだ。これに反対しようとしている焦っている亡命社会の若者たちの発言を見て、今回の一連の弾圧を中国政府は「入念に組織・画策・煽動・操縦した」のではないだろうか。

もしこのような計略が北京政府にあったのだとすれば、いまのチベット問題の突然の盛り上がりは彼らの思い通りということになるだろう。躍らされている世界の大衆はたんなる馬鹿ということになるだろう。彼らは大衆が飽きっぽいことも知っている。そしてダライ・ラマたちが「暴力に訴えない」のではなくて、「訴えるほどの力」が残っていないことも知っている。歴史的に中国は「計略」「謀略」に長けた国である。もし私の推測どおりこの一連の騒動全体が北京政府の計略ならば、さすが中国三千年の計略の歴史の賜物と思わざるを得ないし、胡錦濤は侮れない。

しかし、ひとつ彼らに警告したいことがある。漢民族は辺境国にとらわれすぎると必ず内部から崩壊してきた。これも中国の歴史である。チベット人と中国人が融和することなど決して有り得ない。いくらやってもそもそも文化が違いすぎてこの先も無理だろう。そしてそれに神経を注いでいるとどうなるか。それは内部からの崩壊である。それも中国三千年の歴史のひとつである。胡錦濤よ、『史記』を読みなおしてみるがいい。あなたたちの崩壊のストーリーはそこに明確に書かれている。

参考記事:ロイター通信:China says Dalai Lama is an Olympic saboteur

2008-04-25

セラ寺で400人拘束?

中国当局がラサのチベット寺院急襲、僧侶400人以上拘束

 【香港=吉田健一】米政府系放送局「ラジオ自由アジア」は20日、中国の武装警察部隊が18日、チベット自治区ラサのセラ寺を急襲し、僧侶400人以上を拘束したと報じた。

 僧侶らは、中国当局が国旗掲揚やチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世批判をチベット寺院に要求していることに反発したため拘束されたとみられる。

 同放送局によると、武装警察は同日午前2時ごろ、四十数台の車両でセラ寺に乗り付け、僧侶を拘束した。留置施設が満員のため、僧侶はラサ郊外の洞穴に閉じこめられているという。

 中国当局は最近、同自治区や四川省、青海省などのチベット族居住地域で僧侶に対し、国旗掲揚などの「愛国主義教育」を強化しており、抵抗する僧侶の拘束が各地で相次いでいる模様だ。

(2008年4月21日20時22分 読売新聞)

もうやめて欲しい。

2008-04-22

世の中は確実によくなっている

世の中は確実によくなっている。我々は楽観的になるべきである。

これはダライ・ラマ法王が広島で語ってくれたことばである。
決して我々はあせって暴力に訴えてはならない。

時が熟するのを待つことは大変な精神力が要ることであるが、
ダライ・ラマ法王が普通の政治家とは全く異なるのはこの精神力をもっていることである。

今回の善光寺の判断はこの言葉を思い出させてくれた。
当然の判断ではあるが、彼らも苦しい状況だったのだろう。
よく判断してくれたと素直に感謝したい。

チベットの状況はいまも苦しい状況が続いているが、
世界全体の状況をみれば確実によくなっているといってよい。

逃げ腰の日本政府も中国政府へ対話をするように公式の場で言ってくれている。
これもよいひとつの兆候でもある。

しかしこれで充分かといえばそうではない。あともう少しだ。
私は今年の洞爺湖サミットで、チベット問題が解決することを夢見ている。

たとえ今年そんなことは有り得ないとしても来年でもいい、
とにかくはやくあの巨大な国の人々に平和と自由がもたらされることを願ってやまない。

2008-04-19

人の命は聖火よりも重い

今日は明日のTBSピンポンの取材で一日お寺でお客様だった。どうやらマスコミの眼はいまはチベットよりも聖火に移りつつあるようである。それに対して先週来日した、ケンスル・リンポチェの弟子の一人、ゲシェー・ゲレク師は今日こんなことを語っていた。

みんな聖火が消されることを心配しているが、チベットでは人の命が消されています。聖火が消える心配をするより、人の命が消されていることを心配すべきじゃないでしょうか。

まさに、その通り。さすがゲシェー・ラランパ。チベットの叡知はすごい。

種火があるそうだから聖火はまた付ければいい。
人の命は失われてしまえば決して戻らない。

聖火と人の命とどっちが大切か。
そりゃ人の命に決まっています。

2008-04-16