50年間の闇に思う

 昨年はいろいろと大変であった。北京オリンピックに対抗したチベット側のキャンペーン、それに反応したチベット人たちの抗議活動。そして、聖火という名のつく踏み絵、再会したダライ・ラマ法王と中国側の協議、そしてその失敗。そして再び、チベット人たちは深い闇のなかへと強制連行されている。

 私のようなものにもさまざまな講演依頼がきたり、自分でもチベット人たちの無言の言葉を伝えるために努力したつもりではあったが、実質的な成果は何もなかったといってもいい。結局、我々が何ができたのであろう。日本は何をしたのであろう。この問いは、去ってしまった時から新しい年へと受け継がれていくのであろう。

 一縷の希望の光は、中国人たちによる政府に対する批判とチベット問題への同情的な態度の拡大である。最終的にダライ・ラマ法王の語ったこと、それは「対話の相手は中国政府だけではなく、中国人民との二つある。前者への信頼は失われつつあるが、後者への信頼は深まりつつある」この希望のことばに、どれだけ彼らが救われたことであろうか。

 「チベット問題」という言葉は実はチベット語にない。「チベット人の要求/求めるもの」というのがそれにあたる。このことをいままでそれほど考えたことはなかったが、改めて考えてみると、「チベット問題」の本質とは、チベット人たちが最も重要であると思っている価値観が、文化的な背景がまったく異なるものによって踏みにじられていることによる。もちろん現代社会は変化しつつあり、チベットの忌わしい因習は変化をもとめられてはいたものの、それが自らの手によってではなく、大きく外からの圧力によって強制的な変化が強要されてきたことに問題があるのである。

 いま街は正月モードで静まりかえっている。営業車のいそがしい喧噪はなく、街は静かに休息している。そんななかでふとダライ・ラマ法王の説法を聞いてみると改めて思う。

 やはりこれは尋常ではない。これがチベット仏教である。チベット人たちが求めているもの、それは彼らのこの精神文化の継承にほかならない。この精神文化の深遠さ、そして論理性、これは我々チベットに関わるものたちを魅了してやまないものであり、決して妥協することなく、強く深い信仰によって支えられてきたものである。それを我々は何であるのかを伝える義務がある。

 50年間の深い闇は、短いのか、それとも長いのか。それはよくわからない。しかし50年という月日は人々をして大きく変えるものであり、人々の心に疲弊をもたらしていることだけは確かである。少なくとも私の生きてきた時間よりは長いものである。ダライ・ラマ法王にしてもチベット人たちにしても、この出口の見えない深い闇のなかを彷徨い続けている。

 ある人に聞かれた。「そのチベットへの情熱はどこから来るものですか?」はっきりいってこれには困ってしまった。私は正義を愛する者でもないし、信仰を体現している者でもない。ましてやダライ・ラマ法王と個人的なつながりがあるわけではない。多くの人が法王とお会いできること自体大変なことだと思っている。それもそうだが、私が法王とは何度もお話をさせていただいて、いつも感じたことは、ああこの人が法王なんだ、彼らが愛してやまない人なんだ、そしてそれにこの人は常に期待に応えているんだ、そしてこの人は正しいことだけをしているんだ、そんな漠然としたものにすぎない。

 チベット問題や様々なボランティアであっても、それによって自分が何かしたいという大げさなものではない。ただそこに葛藤している人たちがおり、その葛藤は日本の社会ではそんなに大変なことではない場合もあったので、それをちょっと自分にできることだけでもやってみようという軽い気持ちなのである。

 結局私を動かしているもの、それはおそらく「違和感」といったようなものであろう。正しくないものや情報がまかりとおることは大嫌いであるし、違和感を感じる。チベットの不自然な状態にまきこまれるとその違和感から脱出するために、何らかの闇からの出口をもとめ探してしまう。そんなものであろう。

 しかしそんな私の感情など大したものではない。彼らの苦しみ、そして彼らの精神をみてみよう。そこにきっと出口があるはずであろう。彼らが何をもとめており、何を争っているのか。それはどういうことなのか。

 人間は考えはじめることによって人間となれる。チベット問題の50年間の闇は、我々をして人間とはどうあるべきなのか、何をもって生きているのかということを考えるためのひとつの契機にすぎない。この目の前の現実としてある契機を私的な空間にどのように配置していくのか、それは人それぞれであろう。

 

2009-01-03