
ectoというソフトを使ってブログを書いてみた。意外と簡単じゃないか。
- こんな感じでリストを作る。
- བོད་གངས་ལྗོངས་ཀྱི་ཡི་གེ་ཡང་ཡོང་ཐུབ་ཀྱི་ཡོད་
- チベット語もできるようです。

ectoというソフトを使ってブログを書いてみた。意外と簡単じゃないか。
チベットでは拷問が続いている。
人は殴られ、殺されている。
これが毎日チベットで起こっていることであり、
それを見てみないふりをさせられているのが我々日本人であり、国際社会である。
昨年『雪の下の炎』のパルデン・ギャツォ師が広島に来た時に案内をさせていただいた。
彼はデプン寺の僧侶で長く刑務所に犬のように繋がれていた。
師は「あまりにも長く刑務所にいて拷問を沢山受けたので、
何があったのかもうわけが分かりませんよ。」
そう語っていた。しかし彼の心は常に仏へと向いていた。
彼は決して特別な人ではない。
人は殴られて死んでも、その心は死なないことがある。
チベットはいまも殴られ続けている。
彼らが死ぬのを国際社会は待っているのだろうか。
仏教の教えの基本は、我々が為した行為のなかで、殆どのものが煩悩によって支配されて為した行為であるが故に、その結果として我々が味わうものが「苦しみ」であるという考えである。
いかなる生命体であっても、その行為が破滅的な傾向にあるということでもあり、無常/苦/無我/不浄といったものが、この我々が視ている世界を絶対的に評価しているものである。そしてこれは叙情的ではなく、現実的であり、詩的ではない。
それでは美しいものとは、何であろうか。我々の心の琴線を振るわす美しいものとは、仏教的にいえばどのようなものなのであろうか。
実はこの問いかけは非常に答えを見いだすのが困難な問いである。