屍たちの大地の上に集う人々に

以前こんなことを広島国際平和会議2006の議事録をまとめた時に書いた。

私たちは毎日この「広島」で、跡形もなく消去った屍たちの大地を踏みしめて歩いている。いまもなおリアルタイムに、山の彼方、海の彼方では、言葉すら発すことができないまま、人々が死につづけている。この現実を直視し、彼らの無言の声に耳を澄ますこと、そこから変化ははじまる。そしてこの本はそんな変化を待ち望みながらこの世を去っていたすべての無名な人々のために捧げたい。

今年もまた広島でダライ・ラマ法王たちが集結したノーベル平和賞受賞者のサミットが行われる。来るメンバーが既に会議の事務局から発表されている。http://www.nobelforpeace-summits.org/wp-content/uploads/2010/09/Draft-Program-15sett..pdf

今回広島に集まる蒼々たるメンバーもしくは団体が広島から発するメッセージは貴重なものであり、核廃絶を通じて平和貢献しようという意図にみちたものである。

ノーベル平和賞の受賞者が彼らが何をどう発言するのか。それは傾聴に値する。そして今回はどのようなメッセージがでてくるのか、興味深い。

以前彼らが発した宣言文は以下のリンクにある。

http://www.hiroshimasummit.jp/

人間が生命の尊さに直面する時、必然的に瑣事を捨てなければならない。生命の尊さを政治利用するべきではない。人が生きているということ、そして何か巨大なものの犠牲になって不本意にその命を落とすこと、そういうことを簡単に捉えるべきではないのである。大切なことは「広島」「ヒロシマ」という場所なのではない。観光キャンペーンではないのである。だからほんとうに大切なのは「ノーベル平和賞」 でもないとういうことを断っておきたい。

本当はそんなことはどうでもいい。実際にいま死にかけている人がいて、銃をもって殺し合わななければならない子供たちすらいるということだ。核廃絶ができても人々の心が変わらなければ平和な社会にはならないのである。

明日をも知れぬ我々の持ち時間は非常に短い。人生のなかでできることはほんの少しのことしかない。この屍たちの大地に集うすべての人がこの思いを再度思い起こして欲しい。いま人間としてここにある無名の人々の無言の声に耳を澄ますことができるだろうか。