複雑な構造への憎悪を捨てる

ものごとが複雑であるのがいやな人が多い。

何でも簡単に素早く済ませたいのが最近の流行である。複雑な哲学書を簡単な命題に置き換えたりするのが殆どの人は好きである。

もちろん棺桶に入る時に入れることができないものの方が多いので、
私たちが持っているもののその殆どが不必要なものである。

人間ひとりが生きることは簡単ではない。だからひとりの人間が持っている情報量は無限大くらいある。どんな大きなハードディスクにも収まりきれない大容量なのである。ウェブが今年で20年を迎えたそうだが、これで世の中が変わったなどと錯覚していては、気が狂っている。

世の中には我々の想像を遥かに超えている現象は沢山あるし、どうしても隣にじっと座れない人も沢山いる。文化のちがいやバックグラウンドの違いは致命的であるが、だからといってみんな同じだと気持ちが悪くて吐くだろう。

仏教徒は仏教のことだけ考えておけばよかったというのなら、誰も苦労したりしないだろう。そんなにものごとは単純ではないのである。

言語というものは多層構造をもっている。めんどくさいが、仕方ない。仏教的にいえば、これが行苦そのものなのである。