実験工房、そして科学的実験と思考

佐藤さんたちはいわゆる「実験工房」の一員であり、日本の実験芸術の開拓者のひとりであった。日本の戦後の歴史のなかで、前衛芸術やら実験芸術というものが非常に盛んである時期の芸術家のひとりである。

しかしながら、「実験」ということばの意味については様々な解釈があって、それをどのように使うのかによって、その人の人となりのようなものがでるのであると思う。

おそらく瀧口修造はシュルレアリスム的な実験の延長線上に「実験」のもつある種エロティックで原初的なものをその言葉に託したのであろう。瀧口修造の描いていた世界は、武満徹や加納光於などによって別のメディアでリアリゼーションされたと考えてもいいだろう。

彼らの描いている世界は、もちろん日本で生まれたシュルレアリスムや新しい芸術のひとつの分野であることは確かであるが、実験工房のメンバーは必ずしもその影響化にあるわけでもないし、<武満徹とその周辺現象>だけが注目されてきたことには彼らの作品をよく知る人にとってはあまりにもおかしな現象であると思う。

佐藤さんにはいろいろな面白い世界を見せてもらったが、北代省三さんのお宅に連れて行ってもらったのが、とても鮮明に覚いだされる。佐藤さんと北代さんの会話や視点は、他の世の汚れにまみれた人間のそれとは全く異なるものであった。二人はこうやったらどうなるか、ということを楽しむことが非常に上手であり、また非常に科学的であった。

佐藤さんは北代さんの使っている特に道具類に興味をもっていたし、北代さんもまた自分の工房(アトリエ?)に仕入れた新しい工具類がいかに面白いことができるのか、ということを語りあっていた。若い私はこの仙人たちの会話があまりにもすごいので圧倒されるばかりであった。

北代さんはそもそものはじまりが抽象画であるといっていたし、それに真剣に取り組んで、人生をそれにかけ、そしてそこからとてつもなく優雅な動きをするモビールを沢山作り出した。これはいまの若い芸術家たちがまずは芸術系の大学やらスケッチの勉強やらをしなくては抽象画もかけないと思っているのとは大違いであった。

要するに彼ら仙人と他の数多の芸術家との違いは、面白そうなことにどれだけ人生をかけれるか、ということが分かれ道なのであり、そしてどのようなものを面白いと思うのか、面白いと思うものが何故自分は面白いと感じるのかをどのように分析するのか、そのあたりが芸術家の作品のクオリティを決定するのであろう。

少なくとも二人は、非常に科学的に丁寧にそして細かく分析することに人一倍長けているし、陳腐な仕掛けでは絶対に納得できないくらい、人生や芸術を楽しめる人であったと思う。お二人が見ていた世界というのは普通の人がたどり着くところから一線を画しており、そして充分な努力と真剣さによって他の人ができない境地に達しているのだろう。

偶然性や実験というものもただやればいいというものではない。それは科学の世界においてもまず問題点を発見し、現状どこまでできるのか、そしてそれに対してどのような実験をすればどのような結果が得られるのか、それらをある程度予測して緻密に計算された装置を組み立てて、はじめて有意義な実験と、その考察結果が得られるわけである。そしてこのプロセスをきちんと真剣に考えながら組み立てられる人が「才能がある人」と普通の人に言われるのである。しかし当人たちにとってはそれらの行為は当然の帰結と、そして予想外の面白い結果を伴う行為に過ぎない。

「天からインスピレーションが降ってくる」とか「いままで誰もやっていないこと」というのは実は殆ど無意味である。そんな現象は子供騙しすぎない。何でもやればいいというものではないことは誰しもが分かっているが、真実に正直に向き合えない人は、ある程度のところで妥協してしまうのである。

私は佐藤慶次郎という偉大な人にであうまではこのことが分からなかったが、佐藤さんや北代さんというこの巨人のやりとりをいまも思い出すと魂が震えるような思いである。彼らは瀧口修造の描いた世界をはるかに超越した、実験によって得られる極めて広大で普遍的な世界観へとたどり着いたのであると思われる。

実験をするというのは、まずその前にどう実験をするのか、という問いかけがあってはじめてその行為が意味がある。そしてそのような行為をするためには、それには生きていること、私とは何か、そんな問いかけがあってはじめて行為の意味がある。そういった問題をさけて通る芸術塚が多いのはいまも昔も変わらないが、こうした基本的な命題からまず取り組むことができる芸術家は稀有である。

近年は芸術そのものがマスメディアやマスプロダクションの波に押されて消えつつある時代に、彼らがこの世に居たということはその存在自体が貴重であったといえる。しかし残念ながら、そういった価値を理解して、それを同時代的に享受できる人間は少ない。これもまた歴史の必然かも知れないが、人間とは何とも愚かな存在ではないかとも思われてならない。

Posted at 5pm on 12/06/09 | no comments | Filed Under: Margins of Keijiro Satoh read on

こうやったらどうなるのかー沈黙のカルテット

佐藤慶次郎さんのところに行くようになって、私の人生は大きく変わった。というのも、作曲というものには和声法や音楽理論やオーケストレーションといったものは、何も要らないということを教えてもらったからだ。佐藤慶次郎さんはぼくに作曲を教えるとか、技術を教えるというつもりは全くなかったし、そんなものは音楽の本質ではないということを強調されていた。

田舎から出てきて作曲家を目指していた私は、シェーンベルクの『作曲の基礎技法』とか柴田南雄の『音楽の骸骨のはなし』や伊福部昭の『管絃楽法』やXenakisのFormalized MusicやJohn CageのSilenceなどを読みあさっていたが、それが間違いであることに気づかされ、自分の愚かさに気づかされた。

佐藤慶次郎さんがよくおっしゃっていたことで、私が学んだことは「こうやったらどうなるか」というそれだけだった。まずは自分で「こうやったらどうなるか」ということを考えてやってみて、おもしろいかどうか、それが音楽のすべてであった。音楽は人のまねではなかったし、そんなものは芸術とは言えないものであった。

更には、芸術なんていうものは、実はどうでもいいものであった。どこまで遊べるのか、そしてその遊びが「あるところを突き抜けて、どこまで普遍的におもしろくなるか」。そして「そのおもしろさがどれだけリアリティをもっているか」それが音楽であり芸術であることを教えてもらった。

佐藤さんは実験工房の代表的な作曲家であったし、瀧口修造さんを巡る芸術家のひとりであり、早坂文雄さんの最後の御弟子さんでもあったが、実はそんな偉い人からも影響を受けたとか、何かを継承したとかそんな陳腐なことは全く嫌いなお方であった。

ぼくの作品は、こうやったらどうなるかっていうのをやってみて、まず自分で面白いかどうか、そしてもっと面白くならないかどうか、また徹底的にやってみる。そしてあるところで、何らかの世界ができるんだ。それだけだよ。

そういつもおっしゃっていた。

梵鐘をゴーンとならして、その余韻が消えるまで消えるまで音を聴いていたり、葉っぱが風でたなびくのをじっと見ていたり、水が流れるのをじっと見つめている、それだよ、君。それが何事かなんだ。

音楽を作っていたらある日いつのまにか音がなくなってたんだよ、君、わかるかい?それでできたのを『沈黙のカルテット』って名前にしたんだよ。

この「沈黙のカルテット」と題された作品は、佐藤さんの音楽であり、ことばであった。

沈黙のカルテット

そんな佐藤さんが衝撃を受けたのは、John Cageであった。佐藤さんは、「沈黙」ということに本当に衝撃を受けたと語ってくれた。

佐藤慶次郎さんにとっては作り手はまず最初の受け手であった。そして同時に厳しい聴衆であり、観衆であった。佐藤さんがご自分の作品に厳しかったのは、芸術としての完成度とか純粋さを求めたとか、完璧主義者であるとかいろんなコメントを見てきたが、実はそれはあまりあたっていなかった。

佐藤さんにとっては陳腐な芸術作品は「何事か」と言えるようなものではない、ということであり、「何事か」であるものは、見ても見ても飽きない、聴いて聴いても飽きない、何事かであった。

Posted at 12am on 30/05/09 | no comments | Filed Under: Margins of Keijiro Satoh read on

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Profile of Shojiro Nomura
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Religion: Buddhist

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