宗教は人の弱みにつけこんでいるのか

2009-12-23

「宗教や麻薬は人の弱みにつけ込んでいる」という発想がある。人は死ぬし、どうしようもならない苦しみが沢山ある。そしてそこから立ち上がるためにどうするのかを説くのが宗教である。宗教は人々に救いを提供するのである。

同じようなことをやっているのは医療である。怪我をしたり病気になったりすると病院に行く。病院では高額な医療費をまかなうために保険制度がある。この日本ではどんな人も病院にいって無料で治療を受けないと怒るということはないのである。ヤブ医者か名医か、そして名医のなかでも名医と言われるお医者さんかどうか、ということは患者にとって極めて重要なことである。だがよく考えてみればこれも弱みにつけ込んだ商売である。ガン患者などはものすごい大量にいるために国立のがんセンターまであるくらいである。また予防医学の分野、また健康づくりの分野は国家の公共福祉政策のひとつとしてきちんと裏付けられている。

しかしながら、宗教の場合には、これとは異なっている。宗教法人法によって多少守られているが、この日本では宗教はかなり嫌縁されてきている。新興宗教のようなヤブ医者もいるが、本当に仏教の教義をよく身をもって理解している僧侶たちであっても、社会的な立場は医者よりはるかに低い。若い研修医のくらいのヤブ医者でもベンツにのってもだれも怒らないが、日本で僧侶がベンツにのっていると印象が悪いのである。

この構造はどうして起こっているのかというとかんたんである。現代の日本ではものすごいいきおいで宗教を排除しようとしているからである。では宗教は文化という隠れ蓑で生きていくべきなのかどうかといえば、これはそもそも文化というものを理解していない人の言葉である。何故ならば、文化のひとつに宗教があるからである。宗教は文化の下位概念なのであって、文化と異なるものではない。しかしながら、日本ではこれはあくまでも異なるもののように扱うべきことになっているのである。

そんなことをやっている日本では自殺者も多い。これは当然の結果であろう。智慧がないので行き詰まるのである。もうすこし古くから宗教を見直した方がいい時期にきているのではないだろうか。

空/実体/真実

2009-12-16

ことばの定義をしない議論は不毛である。

世界中のさまざまな哲学的議論のなかで、議論を尽くすために巧妙に構成された定義集よりなるチベット仏教の世界は、叙情的なことばづかいの世界からは全く離れたものである。

空とは「実体がない」ことであるとか、「実体的な存在がない」ことであると書かれているものを見るとこれはどうかなと思う。何故ならば、空であるということは、まず最初に「あるもの(X)が何らかのもの(Y)を欠いている」時には、XはYについて空である、といわれるのであり、まずそこに留まって何らかの意味付けをする前にこのことを考えるべきであるからである。

空と実体と真実についてはツォンカパの『善説心髄』に詳しく議論されているが、あまりにも難解な議論がつづくためには、それを整理して理解している人が少ない。

簡単にメモっておけば要するにこういうことである。

  • 実体有/仮説有:時間軸に継続して連続するのかどうかを論じる場合
  • 真実/虚偽:ある知に対する表象者とその知が向かっている場にある実在者とが一致するかどうかを論じる場合
  • 空:ある場所にあるものが有るのか無いのかを論じる場合

空は仏教で最も重要な教義である。その割には通り過ぎる人が多い。それは何故かというとことばの定義なしに議論が多くなされているからであろう。

ツォンカパの空思想について長年考えてきてわかったことは、これは究極的には煩悩論であり、思想の均質化・自動化ということを彼はやっているのではないかということだ。これは私は本を読んで考えたのではなく、その本を伝える人の雰囲気から感じてきたことである。一応それを様々な角度から論文に書いてきたつもりだ。私の印象では、ツォンカパというこの巨人はそれまでのいろいろな解釈の問題に終止符をうつという作業をしただと思う。ケードゥプジェはその終止符をさらに強烈な刻印として残す作業を行ったのではないだろうか。彼らの述べていることは、哲学的なものであるが、実はそんなダイナミックな魅力がある。

そんな魅力を教えてくれたのは、チベット人の先生たちである。彼らはその生きたことばを自らの生きたことばとして伝えている。そこが魅力である。彼らの講義には無常の風が吹いたり、空の風が吹いたりする。

そんな魅力を何とか表現したいと思って、いままで少ないけれども論文で書いてみたのだが、しかしほとんどの人が私の書いた論文を読んでくれないようである。私の知り合いや友人で私の論文の感想を言ってくれる人もいない。何とも寂しいものである。自分なりにすこし冒険した部分などは、「あなたのこれはちょっとだめですよね」とか言ってくれる人がいるといいのにと思う。

研究者としての私は科学の進歩というこのモダニズムの夢を見続け、論文の数を増やすために論文を書こうと思ったことは一度もなかった。しかしそれはこの吐き捨てられたメモの集積のように無責任な単なる自己満足にすぎないのかも知れない。

いままでいつも常に新しい発見と新しい視点だけを提示してこようと努力してきたつもりである。しかし最近分かったことは、言葉少なくいくよりも、くどくどと同じことを繰り返し述べる方が人には通じるということだ。

とはいえ、これからそれを反省してくどい人間になるかどうかといえば、それもどうかなと思う。それはすこし雅ではないではないか。いまだに私は短い言葉が好きである。やはり日本人だとつくづく思う。

「お説教」からの旅

2009-12-07

子供のころから「お説教」というのに参加してきた。これは我が家の義務であった。

実は私の家族は極めて熱心な安芸門徒である。毎月十八日の晩には一家の仏壇にお参りして、阿弥陀経を唱えた後、蓮如上人の御文章を拝聴し、講師の先生のお説教を1時間くらい聞くわけである。そしてその後に領解文というのを読む。うちの家族はその意味が分からなくても最低でもこれを諳んじられなければ、素人というか子供以下であった。うちの家族には名前も知らない親戚が大勢いたがみんなお説教に来るのが義務であった。

もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。『領解文』

そのうち阿弥陀経に繰り返しある文章を覚えていく。とにかく正座して唱えるのが足が痛くなるので、いつもはやく終わればいいなと思う訳だが、祖母たちの世代は経本もなにも見なくても阿弥陀経くらいは唱えられるという家族である。

最初に覚えたのは「若一日、若二日、‥‥」という部分である。昔の経本なので、ページ数が多くて、長く感じてならなかった。そのうちに

舍利弗.如我今者.稱讃諸佛.不可思議功徳.彼諸佛等.亦稱説我.不可思議功徳.

これがお経の終わりだってことにだんだん気づくようになった。また

如是等恆河沙數諸佛各於其國出廣長舌相遍覆三千大千世界説誠實言汝等衆生當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經

この文章が繰り返しあることに気づくようになった。小学生にあがるころにはこの辺りはそらで言えるようになった。最初に覚えた漢字は「極楽」「楽々」である。というのも「極楽寺」「楽々園」行きのバスに乗らなければ小学校に通えなかったから、その漢字だけは読めるようになったわけだ。

とはいえ、お説教に参加していたのは、単に義務だったからというのとばあちゃんが小遣いをくれたりするからという単にそれだけの理由であった。ただお坊さんが歩く時は頭を下げてみてはいけないとか、お坊さまたちが帰る時は土下座して御見送りするということだけは覚えさせられた。お坊さんたちは偉い人という意識はこのころからいわば強制的に心の奥底に刻まれた。

中学生になってからは“ザビエルの教え”を学ばされた。ミサや聖書を読む会などにも参加したし、男子校だったので、電車などで出会う気に入ったかわいい子たちもみんなミッションスクールだった。時々合同ミサなどがあって、女子を沢山見る機会に恵まれたので、やはりキリスト教っていうのは、あんなにしんどいお説教にでるよりはましだし、いいもんだと思うようになった。奉仕の精神とか純潔の精神というのはこの辺りで学ばされた。しかし音楽と女子校生にしか興味はなかった。

仏教に少し興味がわいたのは、浄土真宗以外の教えがこの世に存在していることを知ってからである。特に禅の世界というものは、驚異であった。この世の中にはこんな文化というものがあり、それが日本の伝統文化の代表的なものとして世界に紹介されているというのは驚きだった。とはいえその程度であった。

高校にあがってから、別に行きたい大学もないので大学受験はしないと宣言すると、周囲の反応が面白かった。何せ進学校のくせに大学受験をしないとは何を考えているんだ、普通の道を歩け、安全な道を歩け、そう大人たちは言った。いま考えてみればその通りだろうが、その言い方自体に余計に拒絶反応をしてしまった。

大学に行かずに東京でぶらぶらしているといろいろな本があることに気づいた。そして大学に進んでもうすこし仏教というものを勉強したみたいなと思い、大学に入ってみた。しかしながら、そもそもいままで人の話を1時間半くらいしか聞くのになれていない人間が一日に何人もの教授の濃いい話を沢山聞くのは苦痛であった。人間にはそんな吸収力はないのに、いい加減な話をいい加減に学んで何も意味がないと思い大学に行くのをやめた。

しかし大学の図書館にはいろいろ外国語の本があり、サンスクリット語の本やチベット語の本があった。これは面白そうなので読みたいと思ったが、それには語学能力が必要であった。そこでサンスクリット語を勉強しはじめたのだが、あまりに煩雑な文法に辟易した。そこでまたドロップアウトした。

大学からは今年であなたは除籍処分になりますよという通知が母親のところについてばれてしまった。こっそりドロップアウトしようと思っていたのにまずかった。そもそも親の謂うことなど聞いたことがないのだが、うちに母親が来た時にダルマキールティについての論文の本を見て、「あ、これ私の小学校の時の同級生じゃない」といって、母親はやめろというのに大学に電話してその先生の連絡先を聞いて、いきなり電話して「息子があなたの論文を読んでいるのを見て、びっくりしました。久しぶりなのでお電話しました」というとその先生は「息子さんを連れて遊びに来なさいよ。あなたのよく知っている人もいますよ」と自宅に誘われた。

私はいやだがさすがに母親に迷惑をかけているのとまあ親孝行だと思ってその先生の家に一緒に遊びに行くことになった。先生の奥さんは実は母親と同級生だったので母親も昔話で盛り上がっていた。しばらくするとその先生はダルマキールティについての論文を出しながら「これが私の作品です」「一生かかってもこれは分からないんですよ」と話された。作曲家を目指していた私は「なるほど」と思った。こういう研究というのはひとつの作品なのだということをはじめて知った。そしてサンスクリット語で唯識三十頌を読んでいるので、授業やゼミにでてみてはどうかと言われた。他の勉強は何もしたくなかったが、サンスクリット語を読めるというのはとてもいいチャンスだったので、次の週から久々に学校に行くようになった。そしてそのうちチベット語を勉強しはじめて、研究者の道を歩んだはずなのに、気づいてみたらいまの状態になっている。

仏教を学びはじめてしばらく立つとばあちゃんが、「あんたあ、仏教の勉強をするんなら龍谷に行って真宗をちゃんとやりんちゃい」「やるんなら得度しんちゃい」そう言ったが、やはりそれはいやだった。私は日本の仏教ならば別に努力しなくても身近にあって知ることができたからである。インドやチベットの仏教はちょっとやそっとちゃ知ることはできない。それにもともと情報もない。だからこそ努力して学ばなければいけないわけである。しかし家族が何代にもわたって大事にしてきた仏教に関わっているのは、実は気づいてみたら若者のなかでは私だけであった。

最近は阿弥陀経も読んでほとんど意味が分かるようになった。チベット語のテキストを読んで結構読めるようになったし、分からない時に聞ける体制もなんとかできた。昔自分が嫌いだったお説教よりはすこし楽しい法話会を開催できるように心がけているつもりである。

世の中には道に迷っている人が沢山いる。正直言ってかなりうらやましいもんだ。私の人生はいつも狭きいばらの道しか残っていない。いろいろな人が道を示してくれるのにも関わらず、何故か自分にはそのなかでいばらの道しか行き先がないようにしか思えない。

いま浄土真宗の門徒ですか?と聞かれたら、「はい、そうです」と答える。この質問は簡単である。何故ならば将来自分が埋葬される場所がそこにあるからである。では、あなたはチベット仏教徒ですかと聞かれたら、それには返答にちょっと困るが、自分の死ぬ時くらいはチベット式で葬儀をやって欲しいと思う。それはチベット式の葬儀がどんなものか友達や親戚をはじめとする、より多くの人に見てもらいたいからである。単にそれだけである。

しかしこれだけは分かってきたことがある。人は何かを知ろうとするのならば、ある程度他のものとのコントラストによって、別次元の言語空間というものを想定しないといけないということである。チベット仏教を学んで分かったことは、「他力」とか「本願力」というものが強烈な縁起思想に立脚しなければ成り立たないということである。

長くなって夜遅くなったので、今日はこのくらいにしておきたいが、ふと思えば、あのつらいつらい「お説教」から旅ははじまっていたのかと思うと、そこに導いてくれたばあちゃんたちの仏縁に感謝の念でいっぱいである。

チベット仏教との出会いがもたらすもの

2009-12-01

これをいろいろ考えてみる。特に日本人にとって大切なことを忘れないようにメモしておきたい。

  • 仏教とはどのような教えなのかということ
  • 輪廻転生という生命観
  • 真実を考察する知がどの程度まで働くのか
  • 縁起と空の関係、そしてそれよって導きだされる現実世界観
  • 輪廻と涅槃との関係
  • 宗教的世界観と科学的世界観

よく考えてみれば、日本はインド由来の仏教に触れるのははじめてである。だからこそ日本人がまだ混乱状態にあるのであろう。まだ消化できていないからであろう。

価値とは自ら見出すものである

2009-11-29

「仏教の教えは難しいので何とか分かりやすくしてくれないだろうか」そんな要望が多い。

しかしながら、よく考えてみると、そもそもそんなに簡単にできることなのか。仏教の教えは、簡単にいえば、縁起と非暴力である。そしてそれによってこの輪廻に終止符を打ち、死を超越し究極の快楽の境地にいたることにある。どのようにして死を超越するのか、それがそんなに簡単なことであれば、誰も修行をする必要がないのではないだろうか。

我々仏教に関わるものがまず学ぶべきことは、殺生をしないということである。しかしながら刺身や活け造りをみて「美味しそう」とテレビでは放送されている。「新鮮なお魚」つまり殺したての血の滴る死骸をみて喜ぶことをまずやめることからはじめるべきなのである。まずは殺生をしないようにすることから仏教ははじまる。難しいことではないが、そこには因果応報、縁起という極めて難解な理論が背景にある。

ブッダが悟りをひらいた後に最初に発したことばは、

私は極めて難解で計りがたい、光り輝く作られたものではない無為なる法を理解した。これは誰に説いても理解されることがないので、ひっそりとジャングルで暮らす方がいい。

というものであった。しかしその教えだけが唯一の救いであることを直感的に理解した梵天たちが教えを請ったからこそ法輪は転じられたのである。

現代の資本主義市場経済においては、価値やブランドというものは作り出されたものである。しかしながら、仏教というものはそのようなものではない。もちろんこの世の現世的な生活に役立つ教えもあることはあるが、それはあくまでも「ついで」なのである。仏教の本質はまず死に直面してから意味があるものなのである。しかしながら、そんな簡単なことすらも避けて通ろう、死を隠蔽しようとしている人々にはなかなか伝わらない。

価値を見いだすために重要なことはまずは落ち着いて物事を分析する必要がある。まずは落ち着いて自らの死を想うことが重要である。

サラダ油から解放された日

2009-11-20

MacOS X のよいところは、それは専用のハードウェアと一体のものであるところにある。今日はそんななかでもかなりヒットがあったので、さっそくブログを書きながら試してみたい。

それはこれである。これのいいところは、掃除が必要なくなったことである。さっきまで使っていたMighty Mouseはスクロールボールがいいのはいいのだが、その一番の弱点は長く使っていると指先の汚れや小さな埃がなかに詰まって掃除しなくてはいけなくなる点である。

そして実はその掃除がとても大変なのである。もちろん汚い手でマウスを使わないのならば長持ちするのであるが、その内上にスクロールできない、左りにスクロールできないという感じでどんどん機能が低下する。そこで中にはいっている汚れをとるためにサラダオイルを布に浸して掃除したり、分解して掃除して組み立てられなかったり、そんな問題がいつも発生していた。しかしこのマウスは、基本的にはボタンもスクロールボールも何もない表面はただのガラスである。なので全く掃除しなくていいのである。

実はこれは毎日マウスを使うものにとってとても嬉しいものである。とりあえず注文して今日ひとつ使って見ているが、とても快適である。まあウィンドウズの人には、こんなイキなマウスを使うことができないと思うが、そのうちパクリ商品がでるだろう。

http://www.apple.com/jp/magicmouse/

長生きをすべきか、自殺をすべきか

2009-11-16

先日、ダライ・ラマ法王の講演会に行ってきた。

日本別院の僧侶たちの引率をしなくてはならないので早朝家を出て、高速道路をすっ飛ばして行く。ひとりで運転して行くときは大音量で好きな音楽をかけて、車中煙だらけになるくらいの自堕落な生活なのであるが、そうはいかないのでまじめに運転する。夜中のしまなみ街道は全くもって面白くも何ともない。しまなみ街道をおりて道後温泉まで行くのはカーブもきつくてしんどい。すこし急いで行き過ぎたか、5時半に到着してしまい、誰もいないし店も無い。

法王の講演会は9時からなので、時間があるからとりあえず近所のメルパルクで朝食をとる。メルパルクはとても親切で朝食をとれば温泉に入ってもいいし車も泊めてもいいと行ってくれる。郵政民営化も捨てたもんじゃない。

講演会開場は8時からなので8時ころに行き、講演会場に入るとまだ殆どお客さんもいないのに、大聖院の吉田座主がビラ配りをしている。大聖院の吉田座主はその世界では大物なのにこういう細かい下っ端の人がやるような仕事も率先してされるところがいつも頭が下がる。そこでビラ配りのお手伝いを同行したスタッフにお願いをする。ゴマン学堂のゲシェー3人を含めた日本別院のお坊さまたちは、何故か一番後ろの席に案内された。それでも入場料を払っていないので仕方ない。

日本別院の僧侶たちは人間ができているので、別に後ろの席でも文句はいわない。何故ならば大切なのは教えの内容であることを知っているからである。以前ケンスル・リンポチェが居られたときに法王の講演会に参加した時にも、前の席がとれなかったと文句を言う人がいたのでケンスル・リンポチェが私は後ろでもいいのでかわりましょうとおっしゃったこともあるくらいである。

私はすこし厄介な用事があったので、法王に取り次ぐために奔走する。まったくもって、いやな役回りだ。そもそもなんでこんなことをしないと分からないが、また代表事務所にいやがられることをしなくてはならない。法王とは何回も会わせていただいたこともあるが、その殆どは仕事である。それも殆どは誰かのいろいろな頼みとか打ち合わせとかを話を通さないといけない。法王と合っている数分とか数秒で重要なミッションを伝えるためには、自分のことなど一度も話たことはない。まあそれは仕方ないのだが、ここでは書けないが法王に直接話したい重要なことがある人たちの取り次ぎをした。法王は「ところでゴマンのお坊さんたちは来てますか」と聞かれる。「参っておりますので、後でこちらに一緒に参ります」と答えた。

講演会はいきなり法王が『中論』の最終偈を唱えられてお話をしはじめようとすると司会者が挨拶などをしなければいけないので「法王さま、ちょっとまってください」とさえぎる。もちろんこの司会者はチベット語が分からないので仕方がないが、すこし残念だった。法王はまず法話の前に釈尊に対する礼賛の偈を自ら唱えられるが、そんなことも司会者は分かっていないし、スタッフも分かっていない。法王はもちろんそんなことを気にされないので、「ああ、そうでしたね」と軽く流される。

いつもと同じように法王が仏教の概論をお話されて、質疑応答を長くとる。相変わらず日本人は要領の悪い質問ばかりで、また同じ質問ばかりだが、さすが観音菩薩、何でも的確に答えられる。輪廻転生というものはどう思うか、大乗非仏説に対する大乗仏教としての見解はどうか、日本は自殺者が多いけどどう思われるか、変成男子の問題などなど。いつも同じ質問だった。法王の講演会にくる前に法王の本でも読んできたらいいのにとは思うがまあ仕方がないかもしれない。

私が印象に残ったのは、「そもそも忍耐が足りないんじゃないかな。この世に60億の人がすんでおり、問題を抱えていない人なんて誰もいない。つらいことがあったくらいでいちいち死んでしまうほど視野が狭いのならば、私はもう何度も自殺しなくちゃいけなかったよ。」とおっしゃったことである。小さい時にダライ・ラマに認定され、常にその「ダライ・ラマ法王」という宗教的な指導者であり政治的な指導者でもあるという重責を担ってきて、いまも法王のために命を投げ出す多くの若者がいることを考えるとえも言われぬ思いがした。法王のご苦労を考えると想像を絶するものとしかいいようがない。

講演会が終わると日本別院のお坊様たちをつれて、法王のホテルまでおっかけ状態。法王はやさしくも厳しいお言葉を僧侶のみんなに告げて「ゲシェラーがはじめたことですから、みなさん頑張ってよい方向に行くようにしなさいね」「仏教の教説に仕えるということは意味のあることですよ」と彼らを励ます。私はみんなの写真をとったりしないといけないので、ばたばたしていると法王は「そんなに汗かいてどうするんだ」とおっしゃる。そこですかさず何を思ったのか、アボが法王に「この人は全然健康に気をつけないんで困ってるんです」と告げ口をすると「長生きをすることを考えなきゃだめだよ」とおっしゃってくれた。

それから僧侶のみんなはとてもうれしそうに、帰りの車のなかでも法王が引用した経典の文句を繰り返したり復習をしていたりしていた。もちろんダライ・ラマ法王のファンはたくさんいるけれども、やはりチベット人たちにとっては一生に一度でもお会いできればいい、観音菩薩であり、ラマである。この感情は日本人の我々にはなかなか分からないが、それを分かることからチベットへの理解ははじまる。

最近家族が入院したりいろいろあって、あれからしばらく経っていろいろと思うことがあった。いままで長生きをすることはあまり考えたことがなかった。

人はさまざまな場面で行き詰まる。しかしながらああもうだめだと思った時には、彼らの不屈の精神をみならってみて欲しい。そして「長生きをすることを考える」ということは大切なことだと感じるようになってきた。長生きをするのは何のためか、それはすこしでも他者のために役にたつことをするためである。チベット仏教で長寿灌頂というのがあるが、いま恵まれたこの人身を受けた環境において、より長生きをすることによってより多くの衆生を利益することができるようになるために受けるものである。

日本に自殺の文化が長いが、長生きをして他者を利するという精神をチベット仏教を通じて、人々に伝えられれば私のやっていることも多少は意味があるのではないかと思うようになってきた。

記事を消しました

2009-11-16

いままでこのブログでは殆ど記事を消したことがないのだが、お世話になっている人から戦略上やっぱりいろいろ内部事情を明かさない方がいいでしょうということで記事をひとつ消しました。

ということで、また意味不明なブログに戻りますが、本当はこれは単なるメモを残しておこうというもので、元のメモ的なものにもどることにします。

いま注目しているものは、Ruby on Railsです。

http://rubyonrails.org/

これはすごいね。

やる気ダウン

2009-11-03

最近いろいろ自分で運営しているサイトにCMSを導入した。

すると、不思議と自分自身のサイトを更新するのがめんどくなってきた。

なので最近更新していない。まあ別にかわったこともないのでいいかとも思う。

Get Stupid

2009-09-28

民主党政権は、10月に法王を官邸に招けるか

2009-08-31

民主党政権がようやく誕生したようだ。自民党はいきおいがなさすぎたが、ここまでいくとは思わなかった。そもそも日本人はすべてヒステリックに反応するのが得意であるが、この現象はどうなんでしょうか、とも思う。まあひいき目にみても、解散の会見がさすがにあれじゃあ、この結果も仕方ない。選挙をやる前から敗北しているようなもんだ。

鳩山氏は、これまでも何度もダライ・ラマ法王と会見をもっている。これで総理になったのであれば、やはり官邸にダライ・ラマ法王をお招きして頂きたい。変な外タレとかわけのわからんおっさんを官邸に招いても意味がない。今回国民の政権交代への期待は大きかった。と同時に我々チベット支援者の期待も忘れないで欲しい。

先月もダライ・ラマ法王の誕生日の時に枝野議員が「チベットを支援する人は民主党に入れてほしい」とお願いしていた。人の誕生日会で選挙演説する品のなさと図々しさにはさすがに政治家だなと驚いたが、牧野聖修さんや五十嵐文彦さんという日本でチベット問題を考える議員連盟をやっている中心人物がやっと国会に復帰してくれて、今度は与党になったのである。

みなさんには600万人のチベットの人々の希望を叶えるという使命がある。初志貫徹してほしい。10月には法王は来日する。衆議院で法王が演説することを私は望んでいる。日本はいつまでもうこそこそしないで欲しい。

別に高速道路を無料にするのを実現できなくてもいい。ただ、ダライ・ラマ法王を官邸に招いて欲しい。名目は何でもいい、「友達」「ノーベル平和賞受賞者」いろいろ肩書きはいっぱいある。あんなに素晴らしい法王が「日本の政治家の立場もありますから」と遠慮深く会見で答えなければならない姿はもう見たくない。そしてそれを見ていて悲しい顔をするチベット人たちを見たくない。

民主党も与党になったら急にチベット問題はできないとはいわないで欲しい。新しい政権というのは新しい先例を作ることが大事である。 今日はそんな思いをする夏の終りであった。

http://www.hatoyama.gr.jp/journal/heart002.pdf

無銭乗車客チベット語、Snow Leopard列車で再出発

2009-08-25

漸く本日MacOS X Snow Leopard が28日より発売されることが発表となった。http://www.apple.com/jp/macosx/

MacOS X Snow Leopardは現行のLeopardの大幅なチューンアップを加え、昨年よりデベロッパに配布され数多くのベータテストを経て、ようやく出航となった。特に今回の注目すべき点は、64BITへのコードの書き直しや、古いAPIからの新しいフレームワークへの完全な移行など、見た目は殆ど一緒であるが、内部的には大幅なチューンアップが加えられた。これまで新しいビルドがでるたびに自分のマシンにインストールし、思いっきりバグが沢山あるなかでテストしてきた者としては、誠に感慨ぶかい。

我々チベット語環境の開発チームでも、前回のLeopardの発表の時のような「世界初」「日本初」というような衝撃的な出来事ではないが、iPhoneの発売で遅れたLeopardのチベット語システムフォントにバグがあったことに気づいた時から、いつバグフィックスがソフトウェアアップデートで反映されるのかと待ち望んできたのだが、漸くその時がやってきた。チベット語を使っている人は必ずSnow Leopardにアップデートして欲しい。何故ならばLeopardのKailasaには致命的なバグがあったからである。

詳しくは機密保持の問題があるので、ここではかけないがひとつだけ書いておきたいことがある。

それはまずはMacOS Xで使用されているApple Advanced Typographyの仕様を使ってレンダリングを行っているチベット語は、ウィンドウズのOpenTypeのその機能よりもはるかにスピードがはやく、また非常に高機能であるということである。いまだそんなフォントを開発する人はいないが、たとえば日本語の続け文字や変体仮名などのフォントだって本当は開発できるのである。

その技術はこのzapfinoフォントを見れば一目瞭然であるが、たとえばKokonorでསོ་སོའི་སྐྱེས་བུ་と入力したり、བློའི་ཡུལ་དུ་བྱར་རུང་བ་とかརྒྱ་མཚོའི་ཆུ་と入力した時の母音のナローの動きを観てもらえばその秘密をかいま見ることができるのである。Kailasaは元々のデザインは福田先生のものであるので、そのようなわざとらしい動きは見た目には気づかないようにできているが、Kokonorについてはその動きを味わっていただき「おお」と思ってもらえば開発者の狙うところなのである。

Leopard以降にバンドルされているKokonorは昔Tibetan Language KitとしてMac OS System 7.5に対応する時にデザインしたタイプフェイス(実はチベット語をはじめて勉強しながらこのフォントを作ったのが最初である)であるが、内部コードとしては全く別物である。そしてSnow Leopard では完全にバグ部分が修正してあるので、とても安心である。チベット語がMacに実装されるようになった経緯はそのうちゆっくり明かしたいが、なぜLeopard以降、今日までほんの少しのバグでさえソフトウェアアップデートに乗らなかったのか、その理由をちょっとだけ明かしておきたい。

Appleにとってみれば、チベット語のフォントやキーボードというのは、電車にただで乗ろうとする厄介な客のようなものである。これはどういうことかといえば、チベット語が実装されているということがMacという高級で高価なコンピュータを買おうとすることに何ら役にたたないということである。オペレーティングシステムには他のいろいろな機能を載せることが大事であり、アップルのようにハードとOSとが一体化したコンピュータを販売しているメーカーにとってみれば、その他の機能こそが、切符を買って電車に乗っているお客様なのである。なので様々な問題が発生すればあなたはただ乗りしているのですぐにおりてください、とも言われかねない状況なのである。だから我々はまだお客が少ないうちからこっそりと、ここに乗りますね、と小さな声でOSの片隅に乗っかるしかないわけである。ソフトウェアアップデートというのは途中で停車する駅のようなものであり、その駅で優先的に乗り降りする人(つまりアップデートされるソフトウェア)はあくまでも切符をちゃんと買った乗客なのである。だから我々のようなチベット語は、その時には乗り降りできない(アップデートされない)場合が多いということになるのである。

Leopardの時にはちょっと忘れ物を取りに行っている隙に列車は出発してしまったので、乗り遅れてしまったが、Snow Leopardにはちゃんと忘れ物を取りに行った上で、この無銭乗車の乗客を出発させることができた。また、64BIT化、ATSUIからCoreTextへの移行が進むことはチベット語にとって有利な条件だらけである。PhotoshopなどはいまだにCocoa Applicationのフレームワークをかなり逸脱しているが、もっとサクサク動くアプリもどんどんでている。

Leopard号に乗ったチベット語は、すべてのマックでチベットのニュースを閲覧することを可能にした。期をせずして2008年3月のラサでの弾圧以来、ものすごい量のユニコードチベット語テキストがネットにあふれかえってきた。

http://googleblog.blogspot.com/2008/05/moving-to-unicode-51.html

Leopard号に乗らなかったら、この数年間マックでは中国がブロックするようなチベット語ニュースをチェックできなかっただろう。自分のやった仕事が世に役に立っていると思えるとても幸せな瞬間である。

Snow Leopard号に乗ったチベット語は、また新しい土地に連れて行ってくれる。そしてこの瞬間から一刻もはやく次の列車にはやく乗るための追い込みに入らなければいけない。明日からはちょっとスピードアップして、あのやさしいこっそり乗せてくれる車掌さんたちのために、なるべくかけこみ乗車をするべく頑張りたいと思うのが、今日のSnow Leopardの発売ニュースである。

「チベット学研究は何のためにあるのか」

2009-08-23

長年考えたこともなかったわではないが、いまさらながらこんな問いかけをしてみたい。それは必要とされているのか否か。趣味か否か。プロかアマか。いろいろと小手先のことをやってそれらしく見せかけることはできるが、よくよく考えてみるとそもそもこの問いかけこそがタブーであった。

先日某大学のある方が「チベットの研究なんてもうからないことはやめた方がいいよ」と言われて極めて憤慨した。しかし、これは残念ながらあたっている。我々研究者というのはこの問いかけこそしたことがあるが、いつも自分で自分をごまかしてきたのである。

そもそも我々は「チベット研究者」としては求められていないのである。誠に残念だが仕方がない。要するにそれは一生人々から必要とされることもないし、趣味でしかないし、お金も充分もらえることはない。いまだ儲かったことは一度も無いし、損失は並大抵ではない。「ハンコック」を観て、これだねと思ってしまった。だがハンコックとの違いは我々はスーパーヒーローではなく、そのヒーローの言葉を日本語にしているブルーカラーでもない、はたからみると不労者っぽい単なる作業員でしかないことである。

チベットのお寺を派手にやっているように見えるかも知れないが、実は毎月赤字で、自分で自分をいろいろな会社に派遣して、でかせぎをして嫁には生活費をしぶりつつなんとかやってきた。おかげで高校を卒業して貧乏学生をやっていた時とほぼ同じ生活レベルでしかない。

先輩の偉い先生方も、結構ぶらぶらやっているのがこの業界である。

じゃあなんでやるんでしょうかね、と言われたら、やはりこう答えるしかない。それは「面白いから」「本物だから」「すごいから」単にそれだけだ。

最近禁酒してこんつめて仕事をしているなかで、久々にビールを一本飲むとかなり酔って来た。支離滅裂な品のない記事になってきたので、まあこの位で今日はやめて寝るとしよう。

数量と質

2009-07-24

最近人生の転機を迎えていると思う。というか、このしばらく忘れていたことを思い出し、すこしずつやっておきたい実験をしていかなくてはいけないなという気がしてきた。大分あきらめがついたり、この吹きだまりの人生にも大分なれてきたせいかも知れない。

たとえばチベット仏教の研究という仕事については、もうすこし越えなければならないハードルがあり、いまいち先が見えない部分があるが、研究活動というものについては、今後数十年後にはこういう風になるだろうなというひとつのビジョンも見えてきた。マーケットとは乖離して微々たる金にしがみつくいやしき時代は終わるべきであり、それにはいくつかの仕掛けをすればいいことが分かってきた。

今後数百年以内には情報は検索可能な形で並列されるであろうし、そこにはより複雑な検索式がマルチスレッドな状態で検索可能になるのは目に見えている。ひとつひとつの情報を検索可能な状態にするために入力する時代は終わり、入力されたものが検索可能なものとなっていくのであろう。本来科学や芸術が目指していた、誰も見た事のない世界の開示を見せかけだけでしか行えない卑しい戦略は終焉を迎えつつある。残念ながら人間が夢見ていた、狂気の沙汰は遂には実現不可能であることが、情報の海を冷静に見つめることができる人間には可能になるだろう。

我々は秩序をもとめているのでも混沌をもとめているのではない。こうした二元的な貧弱な発想では何も創造的な活動ができないことは、もう目の前にあるという気がしている。圧倒的多数の無知な人々はまだそういった旧来の価値観にとらわれているようであるが、もうすこしスマートになっていくだろう。

数は少ない方が分かりやすいし、質は高い方がいいに決まっている。これはよりよいものというのは相対的な世界にある価値観であるからなのである。では、質も高く、なおかつ数を洪水の如く大量に生み出すためにはどうしたらいいのか。それはやはりどのような装置を設置しておくのかということにかかっているのかもしれない。

装置の設計というのは結構慎重にしなければならないが、装置もまた置換可能・バージョンアップの可能な状態で最初から設置していくのならば、もうすこし面白い遊びができるような気がする。

ヒントは意外と身近なところにある。それは既に手に入れているので、どのようにリアリゼーションできるかの問題であろう。いずれにしてもこの暑い夏が終わる頃には何らかの装置をまずはじめてみたい。

実験工房、そして科学的実験と思考

2009-06-12

佐藤さんたちはいわゆる「実験工房」の一員であり、日本の実験芸術の開拓者のひとりであった。日本の戦後の歴史のなかで、前衛芸術やら実験芸術というものが非常に盛んである時期の芸術家のひとりである。

しかしながら、「実験」ということばの意味については様々な解釈があって、それをどのように使うのかによって、その人の人となりのようなものがでるのであると思う。

おそらく瀧口修造はシュルレアリスム的な実験の延長線上に「実験」のもつある種エロティックで原初的なものをその言葉に託したのであろう。瀧口修造の描いていた世界は、武満徹や加納光於などによって別のメディアでリアリゼーションされたと考えてもいいだろう。

彼らの描いている世界は、もちろん日本で生まれたシュルレアリスムや新しい芸術のひとつの分野であることは確かであるが、実験工房のメンバーは必ずしもその影響化にあるわけでもないし、<武満徹とその周辺現象>だけが注目されてきたことには彼らの作品をよく知る人にとってはあまりにもおかしな現象であると思う。

佐藤さんにはいろいろな面白い世界を見せてもらったが、北代省三さんのお宅に連れて行ってもらったのが、とても鮮明に覚いだされる。佐藤さんと北代さんの会話や視点は、他の世の汚れにまみれた人間のそれとは全く異なるものであった。二人はこうやったらどうなるか、ということを楽しむことが非常に上手であり、また非常に科学的であった。

佐藤さんは北代さんの使っている特に道具類に興味をもっていたし、北代さんもまた自分の工房(アトリエ?)に仕入れた新しい工具類がいかに面白いことができるのか、ということを語りあっていた。若い私はこの仙人たちの会話があまりにもすごいので圧倒されるばかりであった。

北代さんはそもそものはじまりが抽象画であるといっていたし、それに真剣に取り組んで、人生をそれにかけ、そしてそこからとてつもなく優雅な動きをするモビールを沢山作り出した。これはいまの若い芸術家たちがまずは芸術系の大学やらスケッチの勉強やらをしなくては抽象画もかけないと思っているのとは大違いであった。

要するに彼ら仙人と他の数多の芸術家との違いは、面白そうなことにどれだけ人生をかけれるか、ということが分かれ道なのであり、そしてどのようなものを面白いと思うのか、面白いと思うものが何故自分は面白いと感じるのかをどのように分析するのか、そのあたりが芸術家の作品のクオリティを決定するのであろう。

少なくとも二人は、非常に科学的に丁寧にそして細かく分析することに人一倍長けているし、陳腐な仕掛けでは絶対に納得できないくらい、人生や芸術を楽しめる人であったと思う。お二人が見ていた世界というのは普通の人がたどり着くところから一線を画しており、そして充分な努力と真剣さによって他の人ができない境地に達しているのだろう。

偶然性や実験というものもただやればいいというものではない。それは科学の世界においてもまず問題点を発見し、現状どこまでできるのか、そしてそれに対してどのような実験をすればどのような結果が得られるのか、それらをある程度予測して緻密に計算された装置を組み立てて、はじめて有意義な実験と、その考察結果が得られるわけである。そしてこのプロセスをきちんと真剣に考えながら組み立てられる人が「才能がある人」と普通の人に言われるのである。しかし当人たちにとってはそれらの行為は当然の帰結と、そして予想外の面白い結果を伴う行為に過ぎない。

「天からインスピレーションが降ってくる」とか「いままで誰もやっていないこと」というのは実は殆ど無意味である。そんな現象は子供騙しすぎない。何でもやればいいというものではないことは誰しもが分かっているが、真実に正直に向き合えない人は、ある程度のところで妥協してしまうのである。

私は佐藤慶次郎という偉大な人にであうまではこのことが分からなかったが、佐藤さんや北代さんというこの巨人のやりとりをいまも思い出すと魂が震えるような思いである。彼らは瀧口修造の描いた世界をはるかに超越した、実験によって得られる極めて広大で普遍的な世界観へとたどり着いたのであると思われる。

実験をするというのは、まずその前にどう実験をするのか、という問いかけがあってはじめてその行為が意味がある。そしてそのような行為をするためには、それには生きていること、私とは何か、そんな問いかけがあってはじめて行為の意味がある。そういった問題をさけて通る芸術塚が多いのはいまも昔も変わらないが、こうした基本的な命題からまず取り組むことができる芸術家は稀有である。

近年は芸術そのものがマスメディアやマスプロダクションの波に押されて消えつつある時代に、彼らがこの世に居たということはその存在自体が貴重であったといえる。しかし残念ながら、そういった価値を理解して、それを同時代的に享受できる人間は少ない。これもまた歴史の必然かも知れないが、人間とは何とも愚かな存在ではないかとも思われてならない。

こうやったらどうなるのかー沈黙のカルテット

2009-05-30

佐藤慶次郎さんのところに行くようになって、私の人生は大きく変わった。というのも、作曲というものには和声法や音楽理論やオーケストレーションといったものは、何も要らないということを教えてもらったからだ。佐藤慶次郎さんはぼくに作曲を教えるとか、技術を教えるというつもりは全くなかったし、そんなものは音楽の本質ではないということを強調されていた。

田舎から出てきて作曲家を目指していた私は、シェーンベルクの『作曲の基礎技法』とか柴田南雄の『音楽の骸骨のはなし』や伊福部昭の『管絃楽法』やXenakisのFormalized MusicやJohn CageのSilenceなどを読みあさっていたが、それが間違いであることに気づかされ、自分の愚かさに気づかされた。

佐藤慶次郎さんがよくおっしゃっていたことで、私が学んだことは「こうやったらどうなるか」というそれだけだった。まずは自分で「こうやったらどうなるか」ということを考えてやってみて、おもしろいかどうか、それが音楽のすべてであった。音楽は人のまねではなかったし、そんなものは芸術とは言えないものであった。

更には、芸術なんていうものは、実はどうでもいいものであった。どこまで遊べるのか、そしてその遊びが「あるところを突き抜けて、どこまで普遍的におもしろくなるか」。そして「そのおもしろさがどれだけリアリティをもっているか」それが音楽であり芸術であることを教えてもらった。

佐藤さんは実験工房の代表的な作曲家であったし、瀧口修造さんを巡る芸術家のひとりであり、早坂文雄さんの最後の御弟子さんでもあったが、実はそんな偉い人からも影響を受けたとか、何かを継承したとかそんな陳腐なことは全く嫌いなお方であった。

ぼくの作品は、こうやったらどうなるかっていうのをやってみて、まず自分で面白いかどうか、そしてもっと面白くならないかどうか、また徹底的にやってみる。そしてあるところで、何らかの世界ができるんだ。それだけだよ。

そういつもおっしゃっていた。

梵鐘をゴーンとならして、その余韻が消えるまで消えるまで音を聴いていたり、葉っぱが風でたなびくのをじっと見ていたり、水が流れるのをじっと見つめている、それだよ、君。それが何事かなんだ。

音楽を作っていたらある日いつのまにか音がなくなってたんだよ、君、わかるかい?それでできたのを『沈黙のカルテット』って名前にしたんだよ。

この「沈黙のカルテット」と題された作品は、佐藤さんの音楽であり、ことばであった。

沈黙のカルテット

そんな佐藤さんが衝撃を受けたのは、John Cageであった。佐藤さんは、「沈黙」ということに本当に衝撃を受けたと語ってくれた。

佐藤慶次郎さんにとっては作り手はまず最初の受け手であった。そして同時に厳しい聴衆であり、観衆であった。佐藤さんがご自分の作品に厳しかったのは、芸術としての完成度とか純粋さを求めたとか、完璧主義者であるとかいろんなコメントを見てきたが、実はそれはあまりあたっていなかった。

佐藤さんにとっては陳腐な芸術作品は「何事か」と言えるようなものではない、ということであり、「何事か」であるものは、見ても見ても飽きない、聴いて聴いても飽きない、何事かであった。

葉は風に舞い、鳥はさえずる

2009-05-29

恩師佐藤慶次郎さんが5月24日の朝、亡くなられた。静謐な最期であった。

禅定のまま亡くなるとはこのことである。師の最期のメモには、闘病の記録もあったが、「禅」の人文字と、それに続いて沢庵和尚の遺墨「夢」が書かれていた。そういう人であった。葉は風に舞い、鳥はさえずる。静かに佐藤慶次郎さんは逝ってしまった。

今日告別式が行われ、弟子で作曲家である中嶋恒雄さんが弔辞を読んだ。

佐藤慶次郎、この名前は私にとっては「孤高の禅家」であり「真の芸術家」であり、「師」である。この荒んだ空虚な日本において、このような純粋に生き続けた芸術家を私はほかには知らない。佐藤慶次郎師は常に自然体であり、そしてリアリティを重んじた。私はこの方に触れることができたというだけで、本当に幸せであったと思う。

佐藤さんの芸術は、万人に理解されるにはその求めるクオリティが高すぎた。しかしながら絶対に妥協しないし、見せかけや御為倒しはきらいな人であった。芸術のクオリティには厳しいが、周りの人にはとてもやさしいお慈悲にみちた方であった。

佐藤さんがなくなられて、何をしようか悩んでいたが、まずはこのブログに書くことにした。というのもいまごろは本当の芸術家の生き様というのがあまり分からなくなっているからである。私が知っている佐藤さんについて少しでもこのあまり人のみないブログに書くことで、日本に本当に芸術家が居たことをみんなに知ってもらえればと思う。

シュルレアリスムや禅にかぶれていた、若く広島の田舎からでてきた「生意気で、憎らしい、不細工な、作曲家を志している青年」であった私は、「無名であることの痛み」を感じる「聴衆」であった現代音楽のプロデューサーである原田力男さんに出会った。原田さんについては以前このブログでも簡単に書いた(リンク)ので、ここでは書かないが、ぼくはなぜか原田さんにとてもかわいがってもらえた。

ある時、作曲を師事したいので、誰かを紹介して欲しいとお願いした。すると「ぼくが尊敬している作曲家ってのはあまりいないし、弟子なんて取るような人はいないよ」と断られた。しかし、当時若手の芸術家や研究者や音楽評論家のあつまりである「零の会」というのに入れてくれて、そこで佐藤慶次郎さんのお宅に遊びに行く機会をつくってくれた。原田さんが心から敬愛して、絶対的に尊敬している日本の作曲家、それが佐藤慶次郎さんだった。

最初に佐藤さんのお宅にお邪魔したときに、佐藤さんはいろんなことを話してくださったが、その内容はあまり覚えていない。周りの人が佐藤さんの師である早坂文雄さんの話や実験工房やケージの話など、ありきたりのことをしきりに質問していたのはいまも覚えている。しかし佐藤さんが若者に伝えたかったことはそういうことではなかったような、違和感を感じたことは覚えている。私はその当時一番若手であったので、あまり発言することもなくその日は過ごしたのである。

佐藤さんのお宅から帰ると原田さんから君は仏教とか詳しそうなので佐藤さんのところで話たことをまとめなさい、と言われた。そこ私は一休宗純の何かを引用するか言及するかして、何かつたない文章を書いた覚えがある。

何日かたって、原田さんから電話があった。「佐藤さんが君の書いた文章をみて、あの子を連れてきなさいとおっしゃってるので、今度行こうね」という電話であった。

そしてその後、原田さんと二人で佐藤さんのうちにお邪魔した。緊張していてどんな話をしたのか全く記憶にないが、一休宗純と禅の芸術思想や「自然法爾」などの話をされたと思う。とにかく私が簡単に書くほど簡単なことではないということを私に伝えたかったのだと思う。最後に佐藤さんが「また来なさい」とおっしゃってくださったのを覚えている。奥様の和子さんも「どうぞまたおいでね」とおっしゃってくださった。

何がどうなっているか分からないが、原田さんが帰りの車のなかで、「野村君、よかったね。あれは、あの佐藤慶次郎さんが弟子にしてくれるってことだよ。君は本当に幸せものなので、一生懸命に頑張りなさいね」「すべてのひとつひとつの音符が本当に意味のある音符を書ける作曲家なんて他にはいないんだから、君もそうなるために頑張りなさいね」と言われた。

こうして私は佐藤慶次郎さんの「弟子」になったようだった。それからいろいろあったが、いつだったかある時「お弟子さんですか」と誰かが聞いたときに、「オレは弟子にした覚えはないんだけどなあ、まあこれは野村君だ」とおっしゃってくださった。これは悲しいような嬉しいことばであった。佐藤慶次郎さんは私を「人」として扱ってくれたということであった。「最近は人間の顔をした機械みたいなヤツが多い」といつも世を憂いていた方のやさしい言葉であった。

これが私と佐藤さんとの出会いである。そしてそれから「音楽ということ」「芸術ということ」「私」「自覚」「生きる」「愛する」「実験する」「愛でる」ということ、そしてすべての大切なことを教えていただいた。

それについてはこれから少しずつ書いてゆきたい。

翻訳の品質管理

2009-04-08

科学というものは客観的なものでなければならない。
つまり常に同じ結果がでることが重要である。

しかし翻訳の品質管理というのは結構難しい。
これは誰がやっても同じ結果がでるというものではない。
翻訳というのは職人的技術と経験が必要なものであり、
またセンスというのも必要なものである。

また特にマイナーな分野になればなるほどその品質管理は難しくなる。
チベット語の翻訳がその一例である。
そもそもこういうものをきちんと教えるところがないのが絶望的だ。

日本という国は、日本語を使っている。
あたりまえのようだが、実はここがかなりネックである。
チベット語を英語に翻訳する絶対的人数と比べたらチベット語を日本語に翻訳できる人間は多分10分の1にも満たないであろう。

工業製品であれば、不良品のリコールという自浄作用があるが、
チベットの世界では、不良品のリコールというのはない。

間違った情報も垂れ流しであるし、極めて主観的な情報も垂れ流しである。
つまりこのブログのようなものである。

研究者の研究業績を見る指標が、論文の数であると長く言われている。
つまり駄文でも多く書くのがいいということである。

モーツァルトやベートーヴェンよりも小室哲哉がいいというのか。

強盗や犯罪

2009-04-06

今日近所の郵便局に強盗が入ったようだ。パトカーがしきりに行ったり来たりして、結局強盗は捕まったようだが、現金の全額を持っていたのではないとのことである。

もちろん強盗はよくないことであるが、これが政府レベルでの強奪事件などがあった場合には、その上部組織である国連は関与しないで、国内問題として処理されるのが原則である。もちろん最近は国際法を定めようという動きも有るが、まだまだそれはうまく行きそうにない。

チベット問題を議論するときに、正義や事実関係についての議論となるが、日本人は以外と正義や事実というものを重要視していない人が多い。

これは相対的価値と絶対的価値観との区別ができないことによっている。相対的な価値観というものは、時代や状況によって左右されるものであるが、絶対的な価値観はそうではない。たとえば殺生は不善であるというのは仏教においては絶対的価値観であるが、意外と守られていないことも多い。

グローバルな社会においては相対的な価値観が重要であることは確かであるけれども、絶対的な価値観を失っては、人間は生きて行けない。チベット問題が相対的な価値観のなかで議論される場合には、これは永遠に解決できない問題になってしまう。

日本においてチベット問題が最近以前よりは注目されるようになったが、これは正義についての関心が強くなったからではなく、単に近年、日中関係があまり芳しい状態ではなかったことに由来している。

チベットで行われたのは、間違いなく、文明の暴力による破壊活動であり、これはチベットや中国だけの問題ではないのである。チベットにしか残っていなかった文化遺産はことごとく破壊されてしまったが、もしそれが現在昔の状態で残っていたらどうだっただろうか、と想像できる人は、よほどチベットの文化に詳しい人でなければ無理であろう。

日本のような法治国家においては、強盗や犯罪は取り締まることができるが、国際社会においてはそうではない。国境はいらないと考える人もいるけれども、国境が大事な人もいるのである。

そんなことを思う一日であった。

ecto

2009-03-24

ピクチャ 1.png

ectoというソフトを使ってブログを書いてみた。意外と簡単じゃないか。

  • こんな感じでリストを作る。
  • བོད་གངས་ལྗོངས་ཀྱི་ཡི་གེ་ཡང་ཡོང་ཐུབ་ཀྱི་ཡོད་
  • チベット語もできるようです。

人は殴られてもその心まで死なないことがある

2009-03-22

チベットでは拷問が続いている。
人は殴られ、殺されている。

これが毎日チベットで起こっていることであり、
それを見てみないふりをさせられているのが我々日本人であり、国際社会である。

昨年『雪の下の炎』のパルデン・ギャツォ師が広島に来た時に案内をさせていただいた。
彼はデプン寺の僧侶で長く刑務所に犬のように繋がれていた。

師は「あまりにも長く刑務所にいて拷問を沢山受けたので、
何があったのかもうわけが分かりませんよ。」
そう語っていた。しかし彼の心は常に仏へと向いていた。

彼は決して特別な人ではない。
人は殴られて死んでも、その心は死なないことがある。

チベットはいまも殴られ続けている。
彼らが死ぬのを国際社会は待っているのだろうか。

映画『雪ノ下の炎』

「美」と「苦」

2009-03-05

仏教の教えの基本は、我々が為した行為のなかで、殆どのものが煩悩によって支配されて為した行為であるが故に、その結果として我々が味わうものが「苦しみ」であるという考えである。

いかなる生命体であっても、その行為が破滅的な傾向にあるということでもあり、無常/苦/無我/不浄といったものが、この我々が視ている世界を絶対的に評価しているものである。そしてこれは叙情的ではなく、現実的であり、詩的ではない。

それでは美しいものとは、何であろうか。我々の心の琴線を振るわす美しいものとは、仏教的にいえばどのようなものなのであろうか。

実はこの問いかけは非常に答えを見いだすのが困難な問いである。

50年間の闇に思う

2009-01-03

 昨年はいろいろと大変であった。北京オリンピックに対抗したチベット側のキャンペーン、それに反応したチベット人たちの抗議活動。そして、聖火という名のつく踏み絵、再会したダライ・ラマ法王と中国側の協議、そしてその失敗。そして再び、チベット人たちは深い闇のなかへと強制連行されている。

 私のようなものにもさまざまな講演依頼がきたり、自分でもチベット人たちの無言の言葉を伝えるために努力したつもりではあったが、実質的な成果は何もなかったといってもいい。結局、我々が何ができたのであろう。日本は何をしたのであろう。この問いは、去ってしまった時から新しい年へと受け継がれていくのであろう。

 一縷の希望の光は、中国人たちによる政府に対する批判とチベット問題への同情的な態度の拡大である。最終的にダライ・ラマ法王の語ったこと、それは「対話の相手は中国政府だけではなく、中国人民との二つある。前者への信頼は失われつつあるが、後者への信頼は深まりつつある」この希望のことばに、どれだけ彼らが救われたことであろうか。

 「チベット問題」という言葉は実はチベット語にない。「チベット人の要求/求めるもの」というのがそれにあたる。このことをいままでそれほど考えたことはなかったが、改めて考えてみると、「チベット問題」の本質とは、チベット人たちが最も重要であると思っている価値観が、文化的な背景がまったく異なるものによって踏みにじられていることによる。もちろん現代社会は変化しつつあり、チベットの忌わしい因習は変化をもとめられてはいたものの、それが自らの手によってではなく、大きく外からの圧力によって強制的な変化が強要されてきたことに問題があるのである。

 いま街は正月モードで静まりかえっている。営業車のいそがしい喧噪はなく、街は静かに休息している。そんななかでふとダライ・ラマ法王の説法を聞いてみると改めて思う。

 やはりこれは尋常ではない。これがチベット仏教である。チベット人たちが求めているもの、それは彼らのこの精神文化の継承にほかならない。この精神文化の深遠さ、そして論理性、これは我々チベットに関わるものたちを魅了してやまないものであり、決して妥協することなく、強く深い信仰によって支えられてきたものである。それを我々は何であるのかを伝える義務がある。

 50年間の深い闇は、短いのか、それとも長いのか。それはよくわからない。しかし50年という月日は人々をして大きく変えるものであり、人々の心に疲弊をもたらしていることだけは確かである。少なくとも私の生きてきた時間よりは長いものである。ダライ・ラマ法王にしてもチベット人たちにしても、この出口の見えない深い闇のなかを彷徨い続けている。

 ある人に聞かれた。「そのチベットへの情熱はどこから来るものですか?」はっきりいってこれには困ってしまった。私は正義を愛する者でもないし、信仰を体現している者でもない。ましてやダライ・ラマ法王と個人的なつながりがあるわけではない。多くの人が法王とお会いできること自体大変なことだと思っている。それもそうだが、私が法王とは何度もお話をさせていただいて、いつも感じたことは、ああこの人が法王なんだ、彼らが愛してやまない人なんだ、そしてそれにこの人は常に期待に応えているんだ、そしてこの人は正しいことだけをしているんだ、そんな漠然としたものにすぎない。

 チベット問題や様々なボランティアであっても、それによって自分が何かしたいという大げさなものではない。ただそこに葛藤している人たちがおり、その葛藤は日本の社会ではそんなに大変なことではない場合もあったので、それをちょっと自分にできることだけでもやってみようという軽い気持ちなのである。

 結局私を動かしているもの、それはおそらく「違和感」といったようなものであろう。正しくないものや情報がまかりとおることは大嫌いであるし、違和感を感じる。チベットの不自然な状態にまきこまれるとその違和感から脱出するために、何らかの闇からの出口をもとめ探してしまう。そんなものであろう。

 しかしそんな私の感情など大したものではない。彼らの苦しみ、そして彼らの精神をみてみよう。そこにきっと出口があるはずであろう。彼らが何をもとめており、何を争っているのか。それはどういうことなのか。

 人間は考えはじめることによって人間となれる。チベット問題の50年間の闇は、我々をして人間とはどうあるべきなのか、何をもって生きているのかということを考えるためのひとつの契機にすぎない。この目の前の現実としてある契機を私的な空間にどのように配置していくのか、それは人それぞれであろう。

 

50年間の亡命生活がもたらしたもの

2008-11-18

チベット亡命社会では、今年の3月のチベット危機を受けて、今後どのような方針でこのチベット問題を解決するのかということについて議論が行われている。その様子はダラムサラの中原さんのブログに詳しい。

そこでは非常に積極的な議論が行われており、チベット人は独立するのか、そのまま中国のなかにとどまるのかの選択肢だけではなく、それらをどのように実現するのか、そしてその政策の正当性がどこにあるのか、ということにまで議論が及んでいる。この会議で発表されるプレゼンテーションのいくつはphayul.comやJamyag Norbu氏のブログなどで公開されている。

それらを読んでみると非常に感銘をうける。というのも、みながこの問題について本当に真剣に考えており、また近年の50年間にもわたる亡命生活は、チベット問題について国際社会を納得させるに十分なロジックをもちつつあるからである。

そもそもダライ・ラマのインド亡命はチベットの復興のためであったし、彼を慕ってやまないチベット人を守るためであったことは誰でも知っているだろう。そしてチベット人のメンタリティを知っている人ならわかるが、ほとんどのチベット人は、やはり新しい「チベット」という国家を建立するか、もしくはそれに準ずるローカル・ガバナンス(いわゆる高度な自治)がなければ、「チベット人」としてのアイデンティティが保持できないことを知っている。ただ現実的にそれが可能なのかどうかということが問題なのである。

第三者の我々日本人のチベットサポーターとして重要なことは、彼らがどのような選択肢を最終的に22日にどのような結論を選択するとしても、それが彼らの総意であることは間違いないということである。もし今回の会議が独立復興を目指すものとなったのならば、それは「分裂主義」であり「反政府活動」となるであろう。しかしそれはあくまでも侵略者の視点にたつものに過ぎない。

我々第三者の人間がチベット人がもともと自分たちのものを取り戻そうとすることを目指すからといって、チベット支援から一切手を引くようなことがあるのならば、それはいままで偽物であったということにほかならないのである。

我々が決して忘れてはならないのは、チベット問題の根底にある問題、それは

「歴史的にチベットは中国の一部ではない。」

というこの単純な命題なのである。

いまこそ直接対話の枠組みを

2008-11-06

今回もダライ・ラマ法王の側との対話がもの別れに終わってしまった。
それは何故だろうか?それは「対話」と呼べるようなものではないからである。

ダライ・ラマ法王の側と中国政府側との溝は深いものがある。それは様々な問題が絡み合っているが、チベット問題はこの溝を埋めない限り解決しないし、このままいくとまた何年か後に世界はチベットの人々が殺されるのを見たり聞いたりせざるを得ないのである。

我々が署名サイト「チベットの危機に関する声」で日本政府にもとめているのは、チベット問題に関してこの問題を解決するための国際的な枠組が必要であるということである。これができないのならば、この問題はいつまで立っても解決しないだろう。そしてそれを構築しようとしない我々の政府は結局は何もしていないのと同じだということである。

話を簡単にしておくのならば、喧嘩している双方には仲裁者が必要だという話である。たとえば男女の仲でも同じことである。一度いがみあってしまった当事者がいくらお互いの要求をしあっても話し合いが進む訳がない。だからこそ民事裁判というものがあるのであり、弁護士を通じた和解というものをするのが通例なのである。

チベット問題の解決には、かならず国際的な第三者をまじえた対話の場が必要である。そしてアジアにおける平和貢献国家を目指そうとする日本はそれをすべきではないだろうか。もちろんいま国会はねじれ国会になって大変な時であろう。世界恐慌も大変なできごとである。しかし、いま目の前で死んでいる人たちを助けることができなくて、どうやって世界のなかでリーダーシップを発揮する国家を形成しようというのだろうか。

チベット問題を闇に葬るべきではない。
オリンピックも終わったいまこそ直接対話の場をつくるべきではないだろうか。

ダライ側との対話、物別れ 中国、「独立」放棄要求

 【北京6日共同】中国共産党は6日までに終了したチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世の特使との対話で、現行のチベット自治区の統治制度は断固変えないと表明、変更を求めるダライ・ラマ側の要求を拒絶した。国営通信、新華社が同日、伝えた。

 チベット自治の在り方をめぐる双方の対立の溝は埋まらず、対話は完全に物別れに終わった。

 チベット問題は北京五輪を前にした3月のラサ暴動で国際的な関心が高まったが、進展が得られなかったことで、亡命チベット人社会ではダライ・ラマの対話路線に批判が強まる可能性がある。

 対話継続の是非などについて亡命チベット人の代表らで協議する緊急会議が17日から、亡命政府があるインド北部ダラムサラで開かれる予定。

 新華社によると、対話にはチベット問題を主管する統一戦線工作部の杜青林部長が出席。杜部長は「中国は(少数)民族による地域自治制度を堅持する」と強調し「いかなる状況でもチベットの独立や半独立、形を変えた独立は認められない」と断言。ダライ・ラマに対し、政治要求を根本的に改め、暴力活動の扇動やチベット独立画策の動きを支持しないよう警告した。

「チベット僧」「日本僧」「アメリカ僧」

2008-10-30

最近チベットに関する関心が高まるに連れて変なことばが氾濫している。

「チベット僧」

これがそれである。そもそも「チベット」(Tibet)は英語であるが、場所や国家の名前を表すのであって人間や言語を表すのではない。それにも関わらず「チベット僧」という表現を新聞までもが使用している。でもこの言い方は違和感を感じざるを得ない。日本人が「日本僧」「広島僧」「横浜僧」といわれたらどんな気分であろうか。そしてそんな日本語はあり得るのであろうか。

日本人の知性の低さもここまできたかと思いながらGoogleで検索してみると「チベット僧」は187,000ヒットするのに対して、「チベット人僧侶」では、291,000ヒットしたので、ちょっと安心した。

しかし「チベット語」「チベット仏教」はまだいいしこれは言葉使いとしても正しいものであるが、「チベット僧」はいただけない。「チベット人の僧侶」という意味での特定の民族もしくは集団を表現したいのか、「チベット仏教の僧侶」というようにその宗教的伝統を表現したいのかさっぱりわからないからである。「モンゴルの首都ウランバートルにはモンゴル人のチベット僧があふれている」という文章があるとすれば、それは「チベット仏教の僧侶」のことであることは簡単に予測できるが、「内モンゴル自治区にはチベット僧がたくさんいる」ではその人がモンゴル人なのかチベット人なのかさっぱりわからない。

ましてや「カナダにいるチベット僧テンジン・ドルマさん」という人がいるとすれば、その人は、僧侶(ふつうは男子)なのか尼僧(ドルマは女性に多い名前)なのかわからないし、その人がチベット人なのか、モンゴル人なのか、もしくはアメリカ人なのか、さっぱりわからないのである。

私は復古主義者ではないが、日本語は正しく使うべきである。もちろんある程度のあいまいさは日本語に基づく独自の文化であることは認めたいが、こんな知性のない言葉を特に情報を提供する側の人間が使うべきではないだろう。

もちろん意図的にやっているのならば別であるが、現代社会のように個人が多数である他者に簡単に情報発信できる時代だからこそ、ことばの表現というものに個人個人が気を配る必要があると思われてならない。

ダライ・ラマの「転生」?

2008-10-23

日本にはチベット語やチベット仏教を解する人間がごく僅かしか居ないし、その充分な能力をもった人間を育てる環境もないのである。だからチベット問題がこれだけ脚光を浴びているなか、あまりにも不正確な情報が氾濫してしまっている。

とりあえず一般の人がチベットに注目してくれればいいというのは確かに我々長年ボランティア活動などをやっているものの本音でもあるが、英語で「I want Tibetan to be happy」(チベット人が幸せであることを望みます)というのと「I want to go back to Tibet」(チベットに帰りたい)というのは全然違うし、これを訳しわけられなければ中学校も卒業できないけれども、そういう類いの初歩的なチベット語からの誤訳が蔓延している。

チベット語の語学力については、有名大学の先生やヨーロッパでご活躍(?)になっている先生たちも、大した語学力でないばかりではなく、「誤訳」としかいいようがないものが氾濫しているので、一般の人はそのような状況を理解した上で情報を選別すべきであろう。信じられないことに日本では決してチベット人が書かないようなチベット語の綴りが教科書にのっているし、そういう綴りで書かれた文章が教科書のチベット語として使われていることも多々あるのである。

そのなかで最も腹立たしい誤訳は「ダライ・ラマの転生」とか「ダライ・ラマの輪廻転生」いう表現である。これは大いなる間違いである。これに当たるようなチベット語は決してありえないし、そんな表現をチベット人の社会ですれば、「ダライ・ラマ法王を批判するなんて、おまえは中国の回し者か!」という話しになるだろう。

その理由はチベットのコンテクストにおいてダライ・ラマは厳密にいうと「転生しない」し「輪廻」ではないからである。そもそも化身というのは我々のように業と煩悩によって輪廻に生まれてくるのではなくて、衆生済度という必要性があるからこそ「再生」「再来」するという発想なのである。

特にダライ・ラマ法王のように観音菩薩の生まれ変わりとなれば、本体である観音は、菩薩の姿をとってこの世に現れるが、既に仏位に達していると考えるのが通常のチベットの解釈である。だから煩悩を既に断じ終わっており、輪廻に「流転」することはあり得ないので「転生する」という和訳も間違いであると言わざるを得ない。

たとえば極楽浄土に生まれ変わるのは、「祈願の力によって生まれる」のであって、業と煩悩の力によって生まれるのではない。日本では極楽浄土に生まれ変わることがすぐに成仏することだと勘違いしている人が大勢いるし、ましてや輪廻や前世・来世の存在すら認めない人が多いので、はっきりいって仏教の教義に対する理解がめちゃくちゃになっているのである。

最近よく見かける表現に「生かされて生きる」とかいかにも日本的な語呂合わせのような標語がお寺にかかっていることもある。こんな表現はサンスクリットにもチベット語にも有り得ないし、ましてや中国語にもないよくわからない仏教!?なのである。

ましてや『ツォンカパの中観思想』と題して出版されている、本の副題には「ことばによることばの否定」と題されている。これは禅宗の思想ではそうかも知れないがツォンカパが「ことばによることばの否定」なんてことは一言もいっていない。

仏教界もめちゃくくちゃ、学会もめちゃくちゃだ。ましてや一般の出版物はめちゃくちゃなのである。最近は『ダライ・ラマのビジネス入門』なんていう恥ずかしげもない便乗商売が世にはばかっている。

さらに悲しいことには、チベットについて好意的な発言してくれている宮崎哲弥氏も「私は中観派に属する」なんていう途方もないことをいっている。チベット人が聞いたら絶句する発言である。何故ならば「中観派に属する」ということは「中観の見解を有していること」つまり空性を理解しているということになるからである。そして空性を理解するということは、有辺(すべてのものが顕現する通りに存在していると思う間違い)の無辺(輪廻転生を否定する間違い)とを同時に断じた中を理解するということなのである。そしてチベットの寺院では、すくなくとも罪障を浄化しないかぎり、知に空性が顕現することは有り得ないと言い伝えられている。そしてチベットの僧侶の戒律の不妄語戒の破戒に数えられる大罪のひとつとして例にあげられるものに「空を理解していないのに空を理解していると述べること」がある。こんなことはチベットの僧侶にとっては当たり前のことなので、チベットの僧侶であれば「私は霊能者です」とか「私は空を理解しました」なんて口が裂けても冗談でもいわない。

愚痴ばかり書いたので、最後にひとつ建設的な提案をしておこう。仏教についての基礎知識をテストする共通学力試験を作るべきである。そしてそれにパスできないものは、仏教について語るべきではない。またチベット語についての基礎語学力テストを整備すべきである。

チベットの文化が危機的な状況に追い込まれているのは、中国人のせいだけではない。それをきちんと理解し、それを人に正確に伝えようとする努力をしない外国人もチベットの文化を脅かしているのである。

まあ愚痴ばかり書いてもしかたないので、来年くらいからはデプン・ゴマン学堂日本別院仏教基礎試験というのを整備して、すこしずつやっていくしかないだろう。

中央一極主義からの脱却

2008-10-03

権力が一極に集中すると人間は自分の能力や考え方を過信してしまう傾向にある。
チベット問題の本質もこのことの歪みがでたものであると考えることができるだろう。

中央の人民政府としてはチベットの再開発や発展に貢献しているつもりかもしれないが、
それはチベットの人たちには響いていない。

中国政府としてはチベット問題は、ダライ・ラマのせいなのである。
しかし実際にはダライ・ラマもそこまで力をもっていない。

チベット仏教では中央一極主義的な発想はない。
というのもチベット人の社会は、ノマディックであり、
我々日本人のもつ全体主義とはまるで程遠いからである。

11月に亡命チベット人社会では、今後の方針についての話し合いがもたれるそうである。
取材するジャーナリストをネットで募集しているので、
日本のジャーナリストは必ずいくべきである。

取材依頼のチベット政府からの呼びかけ

いつまでも中国政府の報道や誰かの記事を垂れ流しすべきではないし、
自分たちの目できちんと彼らの姿を考察すべきであろう。

人間は脱皮する

2008-09-28

チベットの人たちは時々、びっくりすることを話してくれる。
長年チベットのことを研究していてもまだまだ知らないことばかりだと思う。

どうも「人間は実は脱皮している」らしい。
最近ケンスル・リンポチェから聞いた話がこれである。
なおかつその皮は蛇にしか見えないそうだ。

アボに聞くとそんなのは普通に当たり前にチベットで言われていることらしい。

以前ジャトーリンポチェが「染み取り」の方法を教えてくれた。
満月の星がいっぱいみれる夜にほうきで
染みのある部分を掃くしぐさをして、誰か他の人に
「何をしてるんですか」って聞いてもらうらしい。
「染みをとっているんです」って応えるのを三回つづけるそうだ。
そうすると染みは消えてなくなるそうである。

やはりチベットのことはなかなか簡単には分からないと思うこのごろである。

古典研究と心中する

2008-09-11

チベット語は会話は比較的簡単であるが、文献を読もうと思ったら結構大変である。
というのもチベット語は文語と口語がはっきりと分かれており、
チベット語の文献は一般図書というものはあまりなく、
高度に専門的な文献が多いことが原因となっている。

だからそんなチベット文献を読もうと思うのならば、積み重ねて得られた知識が必ず必要となり
それが読めるようになるためには、何年も訓練する必要があるだろう。
膨大な古典に囲まれたチベット社会の文化を語るためには
まず古典を知る必要があるのである。

しかしいまごろの社会は物騒な社会である。
少子高齢化のなかで大学は古典研究は人気がなく排除されつつある
私が卒業した「東洋哲学専攻」もいまは存続の危機に瀕しているそうである。

最近大学で英語を教えている先生と話す機会があった。
一時期は人気を誇った英文学科でさえ最近では、
シェイクスピアやミルトンを学んでも何にもならないそうである。
ましてやウィリアム・ブレイクなどもう読む人はいないのかも知れない。

このままいけば古典研究をする人がいなくなるだろう。
そうすると日本の古典研究の質は確実に低くなるだろう。
同時に外国の古典を日本語で語れる人間は減ってしまう。

世界の古典は英語圏で生き続けるだろうが、
日本語で表現できることも大切なはずである。

今回チベット問題は急激に脚光を浴びたが
新しくでた本の殆どが付け焼き刃のようなものばかりである。
“ダライ・ラマの子育て法”とか“ビジネス論”とかいろいろ恥ずかしげもない出版文化が
高尚な古典の薫り漂うダライ・ラマ法王の法衣の薫りを打ち消している。

チベットの古典と呼ばれるものはいまだに充分に出版されていない。
それらを翻訳する人材を育成する場所もあまりないし、将来もそんなものはできないだろう。
古典研究はこのまま沈没するのかと言われれば、多分沈没すると答えざるを得ない。

沈没船から脱出する人の方が多いと思うが、しかしひとつだけ希望がある。
それは我々古典学に関わる人間が強情で頑固者だってことだ。

我々が死なない限りこの世界は絶滅しないだろう。
そしてこんな将来性のない世界に踏み込んでくる馬鹿な若者も後をたたない。

それが古典のもつ最大の魅力であり、罠である。

そんな罠にはまっている人がいるのが学会である。
だから学会にはいついっても楽しいものである。