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釈尊の説いた仏教は発祥の地インドで滅亡してしまったが、チベット仏教はインド大乗仏教の最終的な形を残している。これはチベットに様々な仏像や仏画や経典などの文化財・資料があるということではない。チベット仏教にはインド仏教僧院における教育システムをはじめとする教えの伝統が生きた形で残っており、無形の文化財たる担い手が現存しているということである。

ここには日本などの漢字文化圏には伝わらなかった仏教論理学・空思想などの高度な思想体系があるだけでなく、高度な密教の師資相承が残っている。チベット仏教の総本山では、いまもなお年間数百人の留学僧が後をたえず、早朝より深夜に至るまで、全身全霊をかけて何十年もかけて経典を学習し、その意味を熟慮し実践し伝えようとしている。彼らの真摯な姿に我々日本人は過去の如来や菩薩や護法尊や祖師たちもまたそうであったと再びリアルな形で彼らの聖なる営みを想い起こすことができる。

悲しいことに伝統の担い手たちは現在、インドでの亡命生活を強いられ、その勢いを徐々に失いつつある。亡命生活は実家からの仕送りを困難にさせ、チベット仏教そのものの命運を危うくしつつある。この状況が続けば、数十年以内には必ず、過去のインドでの仏教滅亡と同様にチベット仏教も滅亡してしまうだろう。そしてその終焉が意味するのは、釈尊より直接伝わったインド大乗仏教の伝統の完全な消滅にほかならない。

我々日本人仏教徒が何とかその灯火が消えぬために貢献すること、これがチベット支援の主要な目的である。それはチベット支援という枠組みをこえて、我々の釈尊への供養の灯火のひとつとなるだろう。いまはまだチベットの灯火も消えてしまったわけではない。来るべき我々の次世代のため、未来の衆生のため、消えかかった灯明に、すこしだけ油をつぎ足しておきたい。
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