Last Updated: 2019.10.01

「チべットさん」は引っ越した

アボたちは15年間もほぼ毎日龍蔵院の境内を掃除し、本堂で本尊大聖歓喜天の根本陀羅尼を唱えてきた。短い真言ではなく、長い陀羅尼である。

山のなかの寺でから、毎日イノシシが食料を探しに境内をうろうろするし、もちろん昆虫もたくさんいる。「自然の」森林であるので、風や雨が強い時には、たくさんの枝葉が境内に雑然と散らばっている。

なにせ毎日掃除をしなければいけないので、いちいち箒を買っていては経費もかさむので竹林から竹を切って削ぎ落として箒も作っていた。

15年間毎日掃除をしていると落ち葉とともに境内地は変形する。すこしずつ変形していった大地をみて日本の信者さんたちは次のようにいう。

「あそこを見てごらんなさい。もともとあったコンクリートの下に地面がきてるでしょ。あれはね、落ち葉を崖に捨てるからですよ。チべットさんたちが掃除してくれるのはいいんだけど落ち葉をこっちに落とすので、だんだん山が崩れていくんですよね。」

確かに境内の大地はすこしずつ剥がれていた。塵もつもれば山となるというが、「落ち葉も掃除すれば、地面は削れていく」のである。

「チべットさんの仏像って、派手でしょ。やっぱり聖天さんのおまつりの仕方としては相応しくないんですよね。なんで片付けてもらえませんかね。」

さすがにちょっと呆れてものが言えないので「日本の僧侶の方々に相談してみますので、少々お待ちください」と答えておいたが、信者さんたちは翌日にもアボに行って仏像や法具をすべて片付けることとなった。

この状況を日本の僧侶の方がに相談したところ次のような答えが返ってきた。

「まあ、野村さん、そうかっかしないで酒でも飲んでくださいよ。あの信者さんたちももう歳なので、この先長くないですよ。だから放っておきゃいいんですよ。放っておけばそのうちいなくなりますから、その後で好きにやったらいいじゃないですか。」

ここで言われたのは、言葉を変えてみるのならば「信者さんたちが死ぬのを待ち望みながら、密かに事業をしっかり練ってください。」ということである。

日本では寺院消滅とか仏教滅亡とかいろいろ言われている。これまで自分は日本人であるので、日本人仏教徒としてどのようなあり方をしたらいいのか模索していたが、正直言って疲れ果てた。なのでこれからは「ゲルク派在家信者」として正しいあり方を模索することにすることにした。