Last Updated: 2012.08.14

永い沈黙との対話の時

永い沈黙との対話の時がやってきた。

昨日8月13日午前1:30、師、ケンスル・リンポチェ・テンパ・ゲルツェン師が亡くなられた。現在はトゥクダムにまだいらっしゃるようだが、これからインドに向けて出発している間にどうなるのかよく分からない。

師と出会いチベット仏教というものが如何なるものか、そのすべてを知りたいと思った。そこにあったのは、日本の仏教にもそして、チベット仏教の研究論文の世界にもない、生きた仏教の立ち姿であった。

同時にこのチベット仏教を代表する歩く経典ともいう御方が、当時地下鉄サリン事件で研究所のなかで沈黙を強いられていることに我が国の社会の稚拙さと同時に中途半端に「救い」を説く人たちに対して憤りを感じた。師は仏教に生きたが、師が研究者たちに提供したものは、あくまでも単なる「情報」として扱われていた。この人物を通して生きているブッダの言葉を、この人物が語りたいように語るのをみんなで聞いてみたい、これが最初のきっかけであった。

研究職を辞退して、最初に師がインドに帰国する時に、「ジェ・リンポチェがなくなってもケードゥジェは師のことを思い出せば、その教えはいつでも聴こえてきたらしいので、心配しなくてもいいよ」とおっしゃってくれた。その時は、決してそうならないようにと抵抗し、その後会をつくり、全く興味のなかったダライ・ラマ法王に嘆願し、あの人物は必ず日本に必要なので日本に返して欲しいとお願いをした。

師は自分の師を置いてチベットから亡命した。その悲しい思いを何十年ももち続け、自分の師の代わりに怖畏金剛の籠行を行った。行の後師は「少し仏さまたちが近くなったような感じがします」と控えめにおっしゃった。

行が終わってダライ・ラマ法王の説得の力もあり、日本に来てくれることになった。そこからほぼ毎日さまざまな教えを教わった。そして私は通訳、付き人、雑用係として、この偉大な師と説法をしてあちこち回った。師を乗せて走るために車も買ったし免許もとった。疲れた時には回転寿司でマグロを沢山たべた。健康ランドに行って露天風呂に入るものもお好きだった。

師はいい服を着たり、いい家に住むことより、おいしいものを食べることが一番大事だと常におっしゃっていた。特に甘いお菓子が大好きで、時にはお菓子の食べ過ぎで食事は少量しか摂られないこともあった。アメリカにダライ・ラマ法王の兄に招聘されて、日本にはもう来ないかなと思った時にも、師はアメリカの御菓子も料理も全然美味しくないので10日ほど経ってすぐに帰国したいのでどうしようかと電話がかかってきた。日本のお菓子と料理に感謝した瞬間だった。

師の話には常にユーモアがあり、冗談が大好きだった。「チベット仏教で一番大事なものは何だと思いますか。それはバターですよ。」といったなぞなぞも沢山あった。おかげで我が家の夕食は常に仏のことばとその逸話、そして落語のようなオチで笑いが絶えなくなった。そんな楽しい夕食は残念ながらもう味わえない。

師は毎日我々が死んでいること、煩悩という病によって冒されていること、我々には眼にみえないが確実に存在するものへの視座とその価値を教えてくれた。その教えは現代哲学や陳腐な芸術を圧倒的に超えた真実であり、常に変わらない釈尊からのメッセージであった。

師のことばはあまりにも情報量が多く、そして楽しく愉快であるので、すべての人に聞いて欲しいと思った。何度も師の話の聞き書きを本にしようとお願いしたが、師は決してそれを望まなかった。何故ならば既に釈尊のことばは経典に説かれているし、そしてその解釈も我々のようなものがするべきではないからであった。つまらない本を沢山作っても意味はなく、ちゃんと仏典を翻訳すること、それだけを師は望んだ。

師はある時アティシャがチベットに行くことで寿命は縮まるが、観音菩薩の化身である、在家のドムトンという弟子に出会い、チベットをあちこち説法してまわり、多大なる功績を残すというターラー菩薩の予言の話をしてくれた。この話をいまでも強く思いだす。

ダライ・ラマ法王の招聘や数多くの事業によって私は師の寿命を縮めたのだろうか。そして何かを師とともに日本に残すことができたのだろうか。自分はドムトンのような観音菩薩の化身といわれるのには程遠い人間であるが、師が教えてくれた逸話に隠されたこの重い課題をいまだ果たせたとは思えない。いま思うのは、すくなくとも師を乗せて移動する時に、もうすこし安全運転をしたらよかったな、後部座席で唱えていたお経は無事に着きますようにと祈っていたのかなとかいろいろな事が頭をよぎる。

釈尊が涅槃に入られたのは、弟子が怠慢で、もう教えることがなくなったからだと師は教えてくれた。師が日本で説法をしてくれなくなったのは、我々が怠慢であまりにも幼稚だからなのだろうか。しかしただひとつ言えることは、私が師と出会うそのもっと昔から、この地上には道は既に示されてあるということである。

釈尊の声を我々はいま聴くことはできないが、そして私の師も永い沈黙に入った。これからその沈黙との対話を否応無しにすべき時に来たことだけは確実である。