Last Updated: 2004.08.22

ひきこもり

ひきこもり、というのはあまりいい印象はない。
ただ、いまの時代、ひきこもることも必要かも知れない。

ぼくの二十代前半の時は、本当にひきこもりの毎日だった。
ときどき「声がでたっけ?」とアホなことも普通に思っていた。

人間は孤独では生きていけない性があるけれども、
孤独は時には、人についたさまざまな足枷を落としてくれるものだ。

〆切まであとちょうど一週間。

そこで今日から引きこもることにした。
といってもぼくがいるところは、日本唯一のチベット仏教寺院。
だからいろんな人が沢山やってくる。

日本人だから、愛想よく「こんにちわ」などと言わなくてはならない。
自分では愛想よくいっている積もりなのだが、人から見ると愛想が悪いそうだ。
これは何とも悲しい努力ではないか!

とりあえずこの週末はなるべくコミュニケーションを少なくして、
明日、明後日は「愛語」の精神でいこう。
そして論文には、ことばの力をふりしぼらなくてはならない。

明日は、ターラー菩薩に曼荼羅を捧げる法要がある。
現在、カーラチャクラのため人員がいないので、ぼくもいちおう読経する。

ターラー菩薩はすべての仏の活動の象徴である。
今日テレビでやっていたアフリカにいる、イチジクと歩む小さなハチにも、
平安をもたらしてくれるはずだ。

論文がターラー菩薩のご加護で何とかできて、
他の人にも意味のある論文となりますように、
せめてそのことだけはお願いしておこう。

今晩は、もうすこしだけ論文を書いて、
ツォンカパも日常的に読経していたと言われる、
『文殊師利吉祥名義経』を唱えてから寝ることとしよう。