Last Updated: 2009.08.23

チベット学研究は何のためにあるのか

長年考えたこともなかった訳でもないが、いまさらながらこんな問いかけをしてみたい。

こんな学問は必要とされているのか否か。これは趣味なのか否か。これはプロフェッショナルとしての職業たりうるものなのか。

いろいろと小手先のことをやってそれらしく見せかけることはできるが、よくよく考えてみるとそもそもこの問いかけこそがタブーであった。

先日ある私立大学の理事長が「チベットの研究なんて儲からないことはやめた方がいいよ」と言って驚いた。この理事長は儲かることを研究し、それを学生に教えて欲しいようである。そこでまずはそんなことを言う理事長が経営している大学で働くのはやめることとし、冷静になってひとりで思い直すこととした。

この理事長の発言はしかし、これは残念ながらあたっている。我々研究者というのはこの問いかけこそしたことがあるが、いつも自分で自分をごまかしてきたのである。

そもそも我々は「チベット研究者」としては求められていないのである。誠に残念だが仕方がない。要するにそれは一生人々から必要とされることもないし、趣味でしかないし、お金も充分もらえることはない。いまだ儲かったことは一度も無いし、損失は並大抵ではない。「ハンコック」を観て、これだねと思ってしまった。だがハンコックとの違いは我々はスーパーヒーローではなく、そのヒーローの言葉を日本語にしているブルーカラーでもない、はたからみると不労者っぽい単なる作業員でしかないことである。

チベットのお寺を派手にやっているように見えるかも知れないが、実は毎月赤字で、自分で自分をいろいろな会社に派遣して、でかせぎをして嫁には生活費をしぶりつつなんとかやってきた。おかげで高校を卒業して貧乏学生をやっていた時とほぼ同じ生活レベルでしかない。

先輩の偉い先生方も、結構ぶらぶらやっているのがこの業界である。

じゃあなんでやるんでしょうかね、と言われたら、やはりこう答えるしかない。それは「面白いから」「本物だから」「すごいから」単にそれだけだ。

最近禁酒してこんつめて仕事をしているなかで、久々にビールを一本飲むとかなり酔って来た。支離滅裂な品のない記事になってきたので、まあこの位で今日はやめて寝るとしよう。