Last Updated: 2016.03.05

雲の彼方の遠くまで飛来させるために

ことばを話し、意思を伝達することは絶望的な苦痛を伴っている。どのようなことばを選択すればよいのか、どのような内容を語るべきなのか、そこには何の取り決めごとも存在していない。人と人との間でことばを発する時、私たちは饒舌であることが要求されている。ひとつひとつのことばの間におかれる沈黙は、複雑な情景や論理を描き出してくれる。しかしながら、私たちは詩人ではない。社会生活を送るうえで、私たちは感情や思考を暴力的に言語化し、砂漠一面にひとりで大きな絵を描かなくてはならない運命にある。

天空の風に舞う雲たち、夜空に浮かぶ星、これらのものは我々に共通に顕現してくれているが、一体どんなことばにすればよいのだろうか。さらに道を歩きながら、遠い異国の地に出かけてみる。あるいはまたは、遠くからこちら側にやってくる人もいる。彼らは私たちがこれまで耳にしたこともない、複雑な子音と母音の組み合わせで話をしている。見知らぬ人たちは、私たちが聴いたことのもない物語を語っている。異国のことばで語られる異国のことばの洪水を前にして、私たちは異国の鳥たちの声を聞くことができるのか。所詮私たちは天地が反転してもお互いの意思疎通など不可能であろう。だからこそ、知らないことばの海に投げ出され、異国の風景を興じてみたい。遠く離れた未知の風景を私たちは見たいと思うのである。

私たちはことばから解放されるためにある時から護身術を身につけようとする。ことばで表現される映像とことばを結びつけ、そして記号化する。記号を交信させる技術を開発し、その交信のための伝達手段も同時につくってゆく。

ある時から私たちは水平線に沈みゆく太陽は「燃えている」と呼ぶようになり、空の青は「透明である」と呼ぶようになる。ことばの砂漠や海で遭難してしまわないために、私たちは語法を身につけ、そして文法をつくりだすのである。

語法や文法はあくまでも音列を制御し空間を支配する原理に過ぎない。しかしながらそれは決して絶対的支配をするものではない。即興性に委ね空気中に飛び交う音列は、生滅を繰り返し、ことばを発するための臨機応変な新しい語法という系をつくり、ことばは音声とともに旋律となり、新しい楽曲となる。

歩き疲れた吟遊詩人たちは、休息の地を探すだろう。声を発するという身体行為に限界を感じた詩人たちは、音声を図形化し、文字を発明する。点と線からなるこの新しい記号は、音列からなる発話現象を記録し、再現可能な状態にする。

この発明によって私たちは声を音とともにあったことばを時と場所から解放しようとする。そして文字の発明とともに、私たちは、他者との話し合いのなかから発見したあたらしい自己と対話することをはじめだす。沈黙のうちに行われる自己との対話は、これまで物理的な声帯から発していたことばを介することなく、心で呟かれることとなる。その心の動きは、手の動きとなり、文字を描き、点と線からなるこの外側の記号によって再現可能なもとなる。話し言葉から書き言葉へと私たちは移行しはじめるのと同時に、知性を発見し、神話をつくり、テクストを記しはじめる。そしてそのテクストは、聞かれることばではなく、読まれることばへと進化する。

 心で語り始められたことばは文字として、手で書き、余白を埋めてゆく。それはちょうど沈黙を破り、声が発せられていくのに似ている。文字が連なっていけば、そのうち物理的な余白がなくなってしまう。垂直もしくは水平に文字を連ねていく。さらに余白がなくなれば、上下左右に文字は縦横無尽に書き殴られていく。こうして行ができ、行間ができ、長い長いものがたりが文字とともに語られはじめられる。

それぞれの人のさまざまなものがたりは、最初は砂の上や岩や樹々に切り刻んで行った文字たちを、そのうち石板や木簡や紙といった様々な物質の上に書写されていく。書き写されたことばは、その書き手がいなくなったしても、再びその書き手の知らないところで、音声を発し再現することもできるようになる。空間的・時間的に支配力を誇示していた音声言語は、文字言語の発明によって、時間と空間を超えて、遠くに飛来するための軽量化を行ってゆく。こうして文学ができあがる。

文字というこの人類にとって未体験であったものは、圧倒的に人類を魅了した。私たちはテクストを溺愛し、遠い異国の地の人や死人のものがたりを聞くようになった。伝書鳩や飛脚を使うことで私たちは遠くに嫁にいった娘たちの安否を確認することすらできるようになった。何をどう声に出して、どう語るのか、それは、何をどのような文字で、どのように書くのか、ということに置き換えることができるようになった。新たな楽しみを覚えた私たちは、語法だけに留まらない文字そのものの書法をも創造した。その後書かれたものは複製されることとなり、再現可能な音声言語を場所と空間を超えて、あちこちに飛来させ伝達することとなった。

私たちがチベットの文字言語に対して行ったことは、このプロセスの再現であった。私たちが行ったことは、コンピュータを買った瞬間からチベット文字を入力し表示し、それを使えるものとすることであった。世界に数百万人しかいない少数民族であるチベットの人たちにとって、自分たちの文字言語をコンピュータで利用可能にするのは至難の技であった。何故ならばチベット語は、コンピュータ上で実現するのが最も複雑で難解な文字システムを有する言語のひとつであったからである。

しかしチベットの人たちにとっては、チベット語は現在も生きた言語であり、それは失われた国家、社会、宗教、文化、思考のそのすべてである。チベット文字は、チベット人がチベット人であるために不可欠のものであり、同時に現存する仏教文献最大のコレクションたる、チベット大蔵経を記述する文字である。

しかしながら彼らはマイノリティであったので、自分たちのことばを漢字やローマ字で書かなければ何もできない状態であった。もしも私たちが「こんにちわ」と書きたい時に「HELLO」「konnnichiwa」としか書けなかったのである。

チベット語文献と同時に多言語データベースのの世界と関わっていた私たちはそれは決してチベット研究者のためでもなく、仏教学者たちのためでもない。チベット語を話し、チベット文字を使う過去・現在・未来のすべてのチベットの人たちのために、何か小さな贈り物をしてあげたかったのである。彼らが「ロサンさん、こんにちわ。お元気ですか。」というのを彼らの文字で「བློ་བཟང་ལགས། བཀྲ་ཤིས་བདེ་ལེགས། བདེ་པོ་ཡིན་པས་」と彼らの文字で表現できるようにしてあげたかった。

私たちがデフォルトでチベット文字を搭載したMacOS Xをリリースしてから、既に十年間が過ぎた。Apple は当時たった一パーセントのマーケットシェアしかない小さな小さな企業であった。そのAppleのつくったMac OS X Leopardのなかに私たちはこっそりとチベット語を搭載させることに成功した。同時に同じ開発者が作ったWindows Vistaに搭載されたチベット文字もリリースされた。

ほんの小さなそんなことがきっかけとなり、チベット語の文字文化は大きく変わることとなった。我々が作ったシステムを利用して、チベット文字で書かれた多くのデジタルコンテンが生み出されるのは一瞬であった。さらにOS Xで搭載されたチベット語システムが2010年にiOSに搭載されて以来、大きな高価なハードウェアに依存しなくても、チベット人たちは、自分たちの文字で多くのデータをつくることができるようになった。そのことによってチベット文字で書かれたコンテンツは加速度的に増え、いまでは数百巻のチベット大蔵経はすべてiPhoneで読むことができ、新しい経典がePub形式で出版され、伝統的なチベット仏教の伝授会に僧侶たちはiPadをもって出席できるようになった。

かつてはこの世に存在していた分厚い紙の辞書は必要なくなったし、世界各国に難民となったチベット人たちは、自分たちの文字でコミュニケーションをとることができるようになった。同時にこれまで完全に話し言葉と書き言葉とが異なっていたチベット語も新しい表現や文法や語彙を形成することとなった。

いまはチベット人のiPhoneの電話帳には家族や友達の名前が、きちんとチベット文字で登録されており、官僚たちは日々の業務報告書を私たちがつくったチベット文字のシステムで上司にて提出してから帰宅することができるようになった。かつては文字すら書けないチベット人も多くいたが、いまは文字を書くだけではなく、文法や綴り字も簡単にしることができるチベット人が増えたのである。それはちょうど私たち日本人が漢字の書き方を忘れていても、デジタルデバイス上では「憂鬱」と誰でも書けるようになったのと同じである。私たちの仕事はほんの小さな仕掛けを小さな物体に入れ込むという仕事であったが、その結果は、大きなものとなった。

私たちが関わったチベット語システムの開発プロジェクトを一言で表現するのならば、それはチベット文字をアナログ的物質世界から解放し、デジタル化し、ネット上のクラウドという天空に飛び立たせることであった。十六進数のデジタルな電気信号との古典的なチベットの文字言語との間に、インタープリターを作り、そしてそれが透明な存在であるかのようなインターフェースを作ることであった。

私たちは分断されたチベットの人たちが、雲の向こうの彼方まで、時間と空間を超えて、自分たちのことばを自分たちの文字で瞬時に飛来させることを可能にすることに成功した。かつては文字のエキスパートが紙に書き、気まぐれな伝書鳩や飛脚に頼まなくてはいけなかった文字言語は、圧縮可能なデジタルデータとして、ミリ秒単位で転送可能となった。

私たちの行ったことはアナログな文字の歴史から考えれば、それほど驚くことではない。しかし文字言語のデジタル化は、単にチベット語に止まるのではなく、世界中にこれまで存在した他の様々な文字言語の統一規格であるUNICODE化というグローバルな文字コードの統一規格の導入と同時期になされたことに深い意味がある。そのことによりチベットの文字はチベット人たちだけのものではなく、この地上のすべてのデジタルデバイスで繋がっている人類が共通して所有している所有物となったのである。私たちが使っていた絵文字は、西欧人が使うものとなった。

いま私たちは、この自分たちの掌のなかにある小さな画面から、世界中のさまざまな場所や時間に位置する多言語の文字で記された文学・芸術・思想にアクセス可能である。日本では人生のなかで一度もチベット文字を見たことのない高校生たちが、絵文字のひとつとしてチベット文字を使うという不思議な芸当をやってのける時代が来た。

私たちはかつての物質的な文字ではなく、新しい文字をいま手にしている。ここから新しい文学や芸術は必ず生まれるはずであろう。この楽しく新しい装置をどのように使うのか、そしてその装置で私たちはこれから何処へ行こうとするのだろうか。この地球上のほとんどすべての情報や文字言語がちいさなデバイスを通じて私たちの手のなかに収まっている。我々が行こうとする道は、小さな画面の向こうにあり、そこに道は開かれて在る。