POST-SOCIAL NETWORK

ある時期からネット上にソーシャルネットワークが急激に発展した。PC向けのサイトではなくモバイル向けのサイトの方が主流となり、人々は自分のことを恥ずかしげもなく投稿していくようになった。

今日は何を食べた、誰と何をした。自分はこんな人と繋がっている、これらのほとんどの言動が「考えなしの言動」である。マスメディアたちが衰退していくのは、仕方のない時代の流れであったとは思うが、人々は情報を吐き出すことで、自らの存在理由を確認しようとしている。

ただそもそもプライベートな時をつなぐはずであったソーシャルネットワークは、現在は多くの企業や団体に毒されている。それはこれらのサービスが有料ではなく、無料で使用できることに由来していると思われる。企業活動などを行う上で、ブランドの認知度を高めることは非常に重要なことであり、自らをブランディングすることに成功した企業が生き残っていることは近年の趨勢であろう。

しかし私たちはそんなに社会的に活動したい生き物なのか。電車に乗って携帯電話をいじる群衆たちは、もはや車窓の景色を楽しまない。毎日見ている景色のなかに何か新しい発見をしようとしなくなった人々は、愚かな群衆になっていく。携帯やタブレットなどのデバイスは悪いわけではない。しかしながら、世の中にはもっと面白い現象がたくさんあることに注目しなくなった人々は、精神を病むしかないのかもしれない。

哲学的、創造的な営みをする人々が、近年精神を病んだ発言をしているのをこの頃見かける。かつての詩人や芸術家はどこにいったのか、その足跡すらもたどれないような状況になっているのだろうか。軽薄な思想や虚構は、最終的には人々を傷つけるものである。人間の顔を失った人々がいくらネットを通じて繋がろうとも、大したことではないのではないだろうか。

2018-08-21

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