Last Updated: 2009.12.07

「お説教」からの旅

子供のころから「お説教」というのに参加してきた。これは我が家の義務であった。

実は私の家族は極めて熱心な安芸門徒である。毎月十八日の晩には一家の仏壇にお参りして、阿弥陀経を唱えた後、蓮如上人の御文章を拝聴し、講師の先生のお説教を1時間くらい聞くわけである。そしてその後に領解文というのを読む。うちの家族はその意味が分からなくても最低でもこれを諳んじられなければ、素人というか子供以下であった。うちの家族には名前も知らない親戚が大勢いたがみんなお説教に来るのが義務であった。

もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。『領解文』

そのうち阿弥陀経に繰り返しある文章を覚えていく。とにかく正座して唱えるのが足が痛くなるので、いつもはやく終わればいいなと思う訳だが、祖母たちの世代は経本もなにも見なくても阿弥陀経くらいは唱えられるという家族である。

最初に覚えたのは「若一日、若二日、‥‥」という部分である。昔の経本なので、ページ数が多くて、長く感じてならなかった。そのうちに

舍利弗.如我今者.稱讃諸佛.不可思議功徳.彼諸佛等.亦稱説我.不可思議功徳.

これがお経の終わりだってことにだんだん気づくようになった。また

如是等恆河沙數諸佛各於其國出廣長舌相遍覆三千大千世界説誠實言汝等衆生當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經

この文章が繰り返しあることに気づくようになった。小学生にあがるころにはこの辺りはそらで言えるようになった。最初に覚えた漢字は「極楽」「楽々」である。というのも「極楽寺」「楽々園」行きのバスに乗らなければ小学校に通えなかったから、その漢字だけは読めるようになったわけだ。

とはいえ、お説教に参加していたのは、単に義務だったからというのとばあちゃんが小遣いをくれたりするからという単にそれだけの理由であった。ただお坊さんが歩く時は頭を下げてみてはいけないとか、お坊さまたちが帰る時は土下座して御見送りするということだけは覚えさせられた。お坊さんたちは偉い人という意識はこのころからいわば強制的に心の奥底に刻まれた。

中学生になってからは“ザビエルの教え”を学ばされた。ミサや聖書を読む会などにも参加したし、男子校だったので、電車などで出会う気に入ったかわいい子たちもみんなミッションスクールだった。時々合同ミサなどがあって、女子を沢山見る機会に恵まれたので、やはりキリスト教っていうのは、あんなにしんどいお説教にでるよりはましだし、いいもんだと思うようになった。奉仕の精神とか純潔の精神というのはこの辺りで学ばされた。しかし音楽と女子校生にしか興味はなかった。

仏教に少し興味がわいたのは、浄土真宗以外の教えがこの世に存在していることを知ってからである。特に禅の世界というものは、驚異であった。この世の中にはこんな文化というものがあり、それが日本の伝統文化の代表的なものとして世界に紹介されているというのは驚きだった。とはいえその程度であった。

高校にあがってから、別に行きたい大学もないので大学受験はしないと宣言すると、周囲の反応が面白かった。何せ進学校のくせに大学受験をしないとは何を考えているんだ、普通の道を歩け、安全な道を歩け、そう大人たちは言った。いま考えてみればその通りだろうが、その言い方自体に余計に拒絶反応をしてしまった。

大学に行かずに東京でぶらぶらしているといろいろな本があることに気づいた。そして大学に進んでもうすこし仏教というものを勉強したみたいなと思い、大学に入ってみた。しかしながら、そもそもいままで人の話を1時間半くらいしか聞くのになれていない人間が一日に何人もの教授の濃いい話を沢山聞くのは苦痛であった。人間にはそんな吸収力はないのに、いい加減な話をいい加減に学んで何も意味がないと思い大学に行くのをやめた。

しかし大学の図書館にはいろいろ外国語の本があり、サンスクリット語の本やチベット語の本があった。これは面白そうなので読みたいと思ったが、それには語学能力が必要であった。そこでサンスクリット語を勉強しはじめたのだが、あまりに煩雑な文法に辟易した。そこでまたドロップアウトした。

大学からは今年であなたは除籍処分になりますよという通知が母親のところについてばれてしまった。こっそりドロップアウトしようと思っていたのにまずかった。そもそも親の謂うことなど聞いたことがないのだが、うちに母親が来た時にダルマキールティについての論文の本を見て、「あ、これ私の小学校の時の同級生じゃない」といって、母親はやめろというのに大学に電話してその先生の連絡先を聞いて、いきなり電話して「息子があなたの論文を読んでいるのを見て、びっくりしました。久しぶりなのでお電話しました」というとその先生は「息子さんを連れて遊びに来なさいよ。あなたのよく知っている人もいますよ」と自宅に誘われた。

私はいやだがさすがに母親に迷惑をかけているのとまあ親孝行だと思ってその先生の家に一緒に遊びに行くことになった。先生の奥さんは実は母親と同級生だったので母親も昔話で盛り上がっていた。しばらくするとその先生はダルマキールティについての論文を出しながら「これが私の作品です」「一生かかってもこれは分からないんですよ」と話された。作曲家を目指していた私は「なるほど」と思った。こういう研究というのはひとつの作品なのだということをはじめて知った。そしてサンスクリット語で唯識三十頌を読んでいるので、授業やゼミにでてみてはどうかと言われた。他の勉強は何もしたくなかったが、サンスクリット語を読めるというのはとてもいいチャンスだったので、次の週から久々に学校に行くようになった。そしてそのうちチベット語を勉強しはじめて、研究者の道を歩んだはずなのに、気づいてみたらいまの状態になっている。

仏教を学びはじめてしばらく立つとばあちゃんが、「あんたあ、仏教の勉強をするんなら龍谷に行って真宗をちゃんとやりんちゃい」「やるんなら得度しんちゃい」そう言ったが、やはりそれはいやだった。私は日本の仏教ならば別に努力しなくても身近にあって知ることができたからである。インドやチベットの仏教はちょっとやそっとちゃ知ることはできない。それにもともと情報もない。だからこそ努力して学ばなければいけないわけである。しかし家族が何代にもわたって大事にしてきた仏教に関わっているのは、実は気づいてみたら若者のなかでは私だけであった。

最近は阿弥陀経も読んでほとんど意味が分かるようになった。チベット語のテキストを読んで結構読めるようになったし、分からない時に聞ける体制もなんとかできた。昔自分が嫌いだったお説教よりはすこし楽しい法話会を開催できるように心がけているつもりである。

世の中には道に迷っている人が沢山いる。正直言ってかなりうらやましいもんだ。私の人生はいつも狭きいばらの道しか残っていない。いろいろな人が道を示してくれるのにも関わらず、何故か自分にはそのなかでいばらの道しか行き先がないようにしか思えない。

いま浄土真宗の門徒ですか?と聞かれたら、「はい、そうです」と答える。この質問は簡単である。何故ならば将来自分が埋葬される場所がそこにあるからである。では、あなたはチベット仏教徒ですかと聞かれたら、それには返答にちょっと困るが、自分の死ぬ時くらいはチベット式で葬儀をやって欲しいと思う。それはチベット式の葬儀がどんなものか友達や親戚をはじめとする、より多くの人に見てもらいたいからである。単にそれだけである。

しかしこれだけは分かってきたことがある。人は何かを知ろうとするのならば、ある程度他のものとのコントラストによって、別次元の言語空間というものを想定しないといけないということである。チベット仏教を学んで分かったことは、「他力」とか「本願力」というものが強烈な縁起思想に立脚しなければ成り立たないということである。

長くなって夜遅くなったので、今日はこのくらいにしておきたいが、ふと思えば、あのつらいつらい「お説教」から旅ははじまっていたのかと思うと、そこに導いてくれたばあちゃんたちの仏縁に感謝の念でいっぱいである。