Last Updated: 2009.12.23

宗教は人の弱みにつけこんでいるのか

「宗教や麻薬は人の弱みにつけ込んでいる」という発想がある。人は死ぬし、どうしようもならない苦しみが沢山ある。そしてそこから立ち上がるためにどうするのかを説くのが宗教である。宗教は人々に救いを提供するのである。

同じようなことをやっているのは医療である。怪我をしたり病気になったりすると病院に行く。病院では高額な医療費をまかなうために保険制度がある。この日本ではどんな人も病院にいって無料で治療を受けないと怒るということはないのである。ヤブ医者か名医か、そして名医のなかでも名医と言われるお医者さんかどうか、ということは患者にとって極めて重要なことである。だがよく考えてみればこれも弱みにつけ込んだ商売である。ガン患者などはものすごい大量にいるために国立のがんセンターまであるくらいである。また予防医学の分野、また健康づくりの分野は国家の公共福祉政策のひとつとしてきちんと裏付けられている。

しかしながら、宗教の場合には、これとは異なっている。宗教法人法によって多少守られているが、この日本では宗教はかなり嫌縁されてきている。新興宗教のようなヤブ医者もいるが、本当に仏教の教義をよく身をもって理解している僧侶たちであっても、社会的な立場は医者よりはるかに低い。若い研修医のくらいのヤブ医者でもベンツにのってもだれも怒らないが、日本で僧侶がベンツにのっていると印象が悪いのである。

この構造はどうして起こっているのかというとかんたんである。現代の日本ではものすごいいきおいで宗教を排除しようとしているからである。では宗教は文化という隠れ蓑で生きていくべきなのかどうかといえば、これはそもそも文化というものを理解していない人の言葉である。何故ならば、文化のひとつに宗教があるからである。宗教は文化の下位概念なのであって、文化と異なるものではない。しかしながら、日本ではこれはあくまでも異なるもののように扱うべきことになっているのである。

そんなことをやっている日本では自殺者も多い。これは当然の結果であろう。智慧がないので行き詰まるのである。もうすこし古くから宗教を見直した方がいい時期にきているのではないだろうか。