Last Updated: 2010.05.24

ことばとして発せられる前のもの

日本人でチベットのことを研究する意味は、社会的にいえば彼らの言葉を日本語で表現することにしかほとんど意味はない。私が研究してきたツォンカパの空思想はチベット仏教史上極めて重要なものであるが、それを完璧に日本語に翻訳することなどできないものも多くある。

そしてこの翻訳不可能性の問題を考え始めるのならば、厳密にいうとほんのひとつかふたつの単語すら翻訳することができないという壁にぶちあたる。そういうことを考えたことがない人は単純に言葉を置き換えればすむと思っているが、そんなに甘いものではない。我々が「私」というこの一語を発するだけで大きな一歩を踏み出していることを決して忘れてはならない。

「言葉に依らず意味に依りなさい」「人に依らず法に依りなさい」これらは四依であるが、実はその逆のことをやっているものが多くいる。仏教の研究者といわれている人のなかにも袴谷憲昭氏のようにこの教義自体を批判してやろうと企てているものだっている。しかし彼らは忘れている。「意味」「対象」「目的」これはサンスクリット語でもチベット語でも同じ単語なのである。彼らはそれらの言葉のもっている意味空間をあたかも忘れたかのような議論をしているが、所詮日本の仏教学という非常に小さなコミュニティでごちゃごちゃいっているだけだ。

哲学者や言語学者というのはことばとして発せられる前のものを追求してきた。音楽家や芸術家もまたそうである。彼らが目指してきたものは、ローカルな言語やローカルな社会のはなしではない。我々人間が非常に長い間、この世で取組んできた、ことばにもできない、もどかしさや苦しさを吐露する、ことばとして発せられる以前のものに取組んできたのである。

無上瑜伽タントラの生起次第において、空性を把握している知の所取相が本尊として生起するという話は、まさに芸術家が創造という行為を行う賭博のような一歩を歩みだす瞬間である。その瞬間から瞬時にして構築されるものは、決して通常の理解ではあり得ないような象徴と意味が絶妙なバランスによって生み出されるべきものなのである。そういった営為が秘密とされていたのは、それを説くべく人として言葉として発せられる以前のものを瞬時にして把握できるような人間以外にはその意味が理解されることがないからである。残念ながらタントリズムの世界は、いまの日本人のような観念的で想像力のない臆病な人々には理解をこえたものである。彼らは結局はなんとなくそれをやった気になっただけであり、本当に死や無常の淵から這い上がるような気概がなければ、そういった修行など無理としか思えない。

師、佐藤慶次郎氏は「I am」とか「私が」ということをどういう風に言ったとしてもそのことばでそのことばよりももっと大事なことがあるということをしきりに教えてくださった。師をはじめとする真の芸術家たちは、そのことばとして発せられる以前のものを言語化することに長けていた人々である。私がチベット仏教への研究へと向かったのは、私なりにある異なった言語化のプロセスや構造を解明したかったからである。別にチベットが好きなわけでもなんでもなかった。彼らが築き上げた論理的に体系化された宗教的カタルシスをともなう世界がいったいどのように組み立てられているのか、ということを知りたかったからである。そしてその組み立て方を何故知りたかったのかというと、『中論』のテキストをどのように音楽にできるのか、というこの何とも面白そうことをやってみたからである。

『中論』を音楽にしてやろうと思ったのは、これは決して翻訳できない美しく織り込まれたテキストだと思ったからである。そして一章一偈だけこうやったら音に置換できるのではないか、という試みをした時点でいきづまり、その後でいろいろあったが、まだまだその後残り何百偈もまだ課題が残っている。そしてこの取り組みはまだ終わっていない。「四十にして不惑」とはよくいったものである。師、佐藤慶次郎氏はちょうど一年前名曲「カリグラフィー」の長いフェルマータの如く息を引き取られたが、私にはいまだに「野村君、君は一体どうするんだね」というあの声が聴こえてくる。四十まで残り半年くらいだ。とりあえず瑣事に惑わされないようにちょっと苦手な整理整頓からはじめたい。