Last Updated: 2010.05.30

商品化可能な記号と商品化不可能な人間

このところのTwitterやBlogのブームは、溺れそうな個人が商品化可能な個人になりすまそうとする傾向が感じられて、これは非常にまずい事態である。

デジタルな世界に商品化された記号は、流通可能な状態のように見えるが、そこには商品化不可能な人間が背後にあり、リアルな世界での均衡を失いつつある。この流れが進むと記号化できていない状態で絶妙なバランスを保っている人間の能力が過小評価される危険性がある。

Twitter ハッシュタグをもちいたスパム認識ロボットの基本は、商品化される記号をブロックするものであるが、それをすり抜けることはそんなに大変ではない。世の中にはSEO対策のための会社や商売があるくらいなので、人間の顔をした会社であったり、人間の顔をした機械が多く存在することになる。

ブログなどのコメントというのは、双方向のコミュニケーションを可能にしたが、そこには捨てられてしまう体験が多くある。個人レベルでの言論のダイナミズムを記録する手段が近年開発されているが、現状では、内輪や小さなコミュニティでのマスターベーションのような状態から脱却できてはいない。

コンテンツプロバイダーは、いわゆるライターとかブロガーといわれる人に、「労働という対価」によって商品を「無償で」つまりリスクを追わせない形で提供して、都合のいいコメントを書いてもらおうとするが、結局消費者は「有償で」というリスクを追った形でものを消費するわけであるので、ここにはコミュニケーションの質が異なっているという問題があるわけだ。

受動的にしかものを受け取れない、忙しい我々は、ここに白紙を期待しているのではなく、何らかの契機を期待してやってきているのである。この装置がどのようにリアルな物質世界と関わるのか、というのはまだまだこれからの話である。ウェブという発明は、まだ100年間もたっていない。まだまだこれからである。