Last Updated: 2008.04.15

チベット問題は何一つ解決してない

チベット問題は何一つ解決していないばかりか地下に潜りつつある。
暴動が起こらなくなった、チベットのニュースが少なくなったことは何を意味しているだろうか。

それは抑圧、恐怖で声すら出ない状況に追い込んでいること以外の何ものでもない。
このことを分かっているのだろうか。

善光寺では追悼法要をやった。
これで亡くなった人を供養したので、
もう充分だろうとでも思っているのであろうか。

それは間違いである。彼らは思い出すべきである。
追悼法要で罪滅ぼししたと思い、「呪われた火」が「聖なる火」として長野にやってきて、
平和ボケした日本国民が喜んでいる時、その笑顔とよく似た顔をした人々が
銃口を突きつけられ脅え、声すら出せなくなっていることを。

平和ボケした長野で聖火リレーが行われても私は構わない。
しかし、善光寺がそのことも分かっていながら、
仏の教えを説く場所でありながらも、この茶番劇の一役を担うことに
誰も悲しみを覚えないのだろうか。

善光寺の「善なる光」というのは何を意味するのだろうか。
仏教では殺生を善と捉えることは決してできない。

日本の仏教には善悪の判断もできなくなったのだろうか。
殺生はいけなことを忘れたのであろうか。

日本も落ちるところまで落ちるのか。