中国政府が遂にダライ・ラマとの対話を再開するというメッセージを出してきた。この対話再開とは何を意味するのか。これまでの対話で何か成果がでたというのか。
人が死んでいる。そして人が捕まっている。
国際社会はこの対話と名のついている単なるパフォーマンスにだまされてはならない。対話とはお互いが譲歩しながら、どこかで和解の点を見つけなければならない。たんなる会話ではないのである。
水面下での対話は何度もやってきた。しかしそれでいままで解決しなかったではないか。対話をするためには第3者がいるところでやらなければ意味がない。
我々が求めているのは全面的な解決である。もう単なるパフォーマンスでは許されない。