Last Updated: 2011.06.25

ダライ・ラマ法王と極東日本の仏教

日本人にとって、仏教は遠い海の向うのインドの宗教である。その教えは模倣すべき見本であった漢人たちを魅了していたので、それが価値のあることは分かっていたが、一体どんな人がどのようなスタイルで実際にその宗教を担ってきたのかを実際に眼にしたことがなかった。島国に棲む臆病だがヒステリックな人々にとって、仏教がもたらした建築技術をはじめとする最先端の文化の魅力はその恐怖を覆い隠すだけの充分な代償であったからこそこの国には仏教というものが取り入れられることとなったのである。

十一世紀に朝鮮半島からやってきたユーラシア大陸の覇者であったモンゴル人たちの恐怖とスペインからやってきた宣教師たちは、この島国を混乱に陥れた。その結果、最終的には三百年もにわたる「鎖国」という選択へと陥れたのと同時に、中央アジアの仏教の潮流とは交流が断絶した。その後黒船とともにがやってきて、過去の価値観は完全に役にたたぬものとなったが、それでも西洋人にこの小さな島を奪われないように、西洋人のまねをして暮らすことを覚えた。もともとヒステリックであった日本人が生来もっていた「帝国主義」でアジアを支配する夢を描いたが、その夢はアメリカという巨大な国と二発の原子爆弾によって粉々に砕けちったのである。その後軍事力も何ももてない日本人たちは、「経済重視」というスローガンですべての問題を解決しようとしてきた。この国ではいつしか政治と宗教はタブーとなり、仏教界に生きる人たちにとっても業報輪廻は語るべきではない差別問題へとすり替えられてしまったのである。

ダライ・ラマ法王とチベットの仏教徒たちは、そんな日本に直接やってきた。日本人と顔もよく似た彼らは、国外に流浪の民となったにも関わらず、これまで日本では誰も触れることができなかった本格的なインドの大乗仏教の延長線にあるものをもっていた。当初チベットの仏教は「ラマ教」と蔑視され、対中関係のなかで微妙な問題を回避するために無視された。
 しかしながら、最近になってそんな簡単に無視するべきものでもないことに漸く気付き始めた。ダライ・ラマ法王が獅子座の上から人々に語りかける、人間であることの価値や宗教に対する真摯な態度、そして我々が過去には論理的に学ぶ術すらもたなかった四聖諦や空性に関する論理的な説明、芳醇でシステマティックな密教の修行法などがいま多くの日本人を魅了しはじめている。

長い間、本当のインド大乗仏教の伝統に触れたことがなかったこの日本でその教えがあらたな文化の創造へとつながるにはまだ時間がかかるだろう。ダライ・ラマ法王やチベット仏教徒たちがもたらすものは、インド仏教の延長線上にあるスタンダードな仏教の総合的な教義体系とそれを人生のさまざまな場面に活かすためのサンプルである。日本人にとっての仏教の歴史はいま確実に変わりつつあるものであり、長い仏教の受容史を考えれば、我々はいまその大きなターニングポイントを目撃しつつある。

歴史上はじめて来日したダライ・ラマ十四世法王が降らす仏法の雨は確実にこの狭い島国の大地を潤し、新たな発芽を迎えつつある。今後それが成長し、どのような花を咲かせるのかは分からないが、その花が美しくかけがえのないものとなることだけは確実ではないかと思われてならない。