Last Updated: 2012.01.06

思い違う人々

こないだある人にあなたは人格者じゃないと言われた。そもそも人格者であることを目指したことはいままでほとんどない。

仏教に関わるのは個としてなのであって、チベット仏教を学ぶことで我々が知ることは、この狭い島国で痛みを慰め合って涙にむせんでいることの器の小ささであろう。

宗教に関わる人間はもちろんそれを通じてよりよい人間になるべく努める必要はある。しかし思い違いをしてはいけないのは、宗教はあくまでも「教え」なのであって肉体ではない。

その教えは、理想や最終的なゴールがどこかを示しているが、その理想やゴールを体現することを保証するものではない。その体現者はいることはいるが、凡人の生活を送っていてはそのようなことを実現することはできないし、聖人が市中にいて欲しいと思うのは単なる希望的な観測でしかないのではなからろうか。

それに関わればすぐによい人間になれるってことではない。むしろ自分自身がだめであると認識してこそよりよい人間になろうという決意がうまれる。他人を断罪しようとするものは、一歩たちどまり、まずは自省することからはじめてほしいものである。