Last Updated: 2012.01.05

代弁者と咀嚼する者

代弁者であろうとする者は咀嚼しないことが多い。受け売りをするという窃盗のような行為に対して彼らは罪の意識を感じない。

他人のことばをまるで自らが考えて思いついたかのように述べている。ただ代弁者たちは読者よりもはるかに勝れた気質をもっている。彼らは書かれていることばを読んで思い悩んだりしないし、そのことばの意味をすぐに見出す。(ただし陳腐な意味付けに終わることの方が多いのだが……。)

ことばを咀嚼しようとする者はそのことばが他人の心や眼をえぐりとることを知っている。何故ならば代弁者たちのような低いモラルをもちあわせていないからである。しかしそれは勝れた人間であるわけではない。彼らの心はえぐられて、失明しかけた人々であるからである。

代弁者たちがことばを咀嚼しようとすること。それは代弁者たることをやめようとすることである。他人の歌をカラオケでうたうのではなく、自分の歌をうたおうとすることである。陳腐なカラオケをうたうより、川辺や海辺で飼い犬に聞かせてみたい歌が口からでるからである。

ことばをリアリゼーションする演奏家たちは、その全身全霊で歌をうたいはじめて鳥になる。実験室で餌をもらうためにうたってみせた歌ではなく、ある日その実験室の檻からでて、大空の下で大きな声でうたってみたいからである。

世の中の人たちは知っているのだろうか。人間たちが残した残飯をあさるカラスたちは、ビルの上の誰もこないアンテナの上で、さまざまな声のトーンで鳴いて見ているということを。誰にも注目されなくても、真っ黒な勇ましい躯付きのカラスたちは、夜明けに空に自らの声を刻もうとしている。何とも格好のよいものだ。