権力が一極に集中すると人間は自分の能力や考え方を過信してしまう傾向にある。
チベット問題の本質もこのことの歪みがでたものであると考えることができるだろう。
中央の人民政府としてはチベットの再開発や発展に貢献しているつもりかもしれないが、
それはチベットの人たちには響いていない。
中国政府としてはチベット問題は、ダライ・ラマのせいなのである。
しかし実際にはダライ・ラマもそこまで力をもっていない。
チベット仏教では中央一極主義的な発想はない。
というのもチベット人の社会は、ノマディックであり、
我々日本人のもつ全体主義とはまるで程遠いからである。
11月に亡命チベット人社会では、今後の方針についての話し合いがもたれるそうである。
取材するジャーナリストをネットで募集しているので、
日本のジャーナリストは必ずいくべきである。
いつまでも中国政府の報道や誰かの記事を垂れ流しすべきではないし、
自分たちの目できちんと彼らの姿を考察すべきであろう。