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Last Updated: 2008.02.24

ツルティム・ケサン先生の退職に

この度、大谷大学で日本のチベット学を率いてきたツルティム・ケサン先生が定年退職されることとなって、その退職記念パーティに参加してきた。チベットに関わる研究者が勢ぞろいし、大谷大学で直接教えを受けた人達が心あたたまるとてもいいパーティだった。

私自身は、東京でいまはなき東洋文庫チベット研究室でケンスル・リンポチェに教えを受けた者の独りであるが、ツルティム先生はずっと京都で日本人の多くの研究者にチベット語古典文献の指導を行なってこられた。最近は和訳も精力的に発表されており、チベットの学問的伝統を日本に紹介しようというその情熱には頭が下がる。

ツルティム先生は数少ない日本に根ざしたチベット人インテリのひとりであり、このことは実はチベット人のなかではとても珍しいことである。そしてチベット研究という日本ではマイナーでなおかつ多少「インド仏教の二番煎じ」と思っている学者が多くいるなか、先生のこれまでの努力と苦労を思うと本当に大変であっただろうなと思う。結局彼を支えてきたものは、日本にチベットの学問的伝統をなんとかしてでも伝えたいというこの情熱以外の何ものでもないだろう。

チベット語の仏教文献は、伝統のなかに生きているテキストである。それは本に書いて有る内容だけではなく、人から人へ、口から口へと、身振り、手振り、などで伝えてこられたものである。外国人の研究者がそれを学ぶことは、決して簡単なことではなく、その伝統のなかに生きている人々から教えを受けなければ、そのテキストを読解することなど不可能であるといってもよい。

しかしながら、チベットの仏教研究者でチベット人のそういう伝統のなかに生きている人からきちんとテキストを学びたいという研究者は実は非常に少ない。多くの場合が自分で好き勝手に読書をして、分からないところは適当に誤魔化している場合ばかりである。さらには研究者と標榜しつつもチベット語の会話もできないので、チベット人とコミュニケーションもできない人も多いのである。更には多少チベット語ができても、この世界にはTOEFLのような基準もないので、チベット語だって誰がどれほどできるのかさっぱり分からないのが実状である。

こんな状況でいいはずがないが、こんな状況が長く続いている。これが日本のチベット学という学問世界の現状である。たとえば医学の世界では、メスも注射も握ったことがないような人が患者に注射をしたり手術をすることは禁じられているが、チベット学や仏教の世界ではそんな人間でも平気な顔をして人に仏の道を説いていいことになっている。

残念ながら仏教というのものは簡単にわかるものではない。しかし、すくなくともこれは外国の宗教なのだから、できればサンスクリット語、チベット語、漢文に堪能なことが望ましい。別にラテン語なんてできなくてもいいが、仏典の言葉が読めなければ仏教を理解することは難しいだろう。

ツルティム先生は何十年もかかって多くの学生を育てたが、それでもまだ日本のチベット学、仏教学はまだまだ人・もの・カネすべてにおいて不足している。そのなかでも致命的なのが人であろう。近年少子化が進むのと同時にチベット学をやろうと思う人物すら減りつつある。大体そんな学問をやっても食べていけないから当たり前なのだが、夢が見れない若者が多くなっているのではないかと思う。

大学院にいたころ食べていけないので、正直いってもうしんどいなと思ったことが何度かある。そんなときに、アメリカのカイプ教授がぼくに言ってくれたのは、「殆ど誰も読めない文献を楽しんで読めるってのは最高の幸せだと思うよ」といってくれた。これは確かにそうだ。

チベットやインドの文献には、普通には市場に決して出回ることのない「仏になるための具体的な方法」が細かく理論的に書いてあるのである。まだまだ世の中には知らないことだらけなのだ。我々が知らないその量を考えると、知っていることはほんの僅かに過ぎないのだ。

大学生の時にある先生から「君は悠久の時を生きているんだね」といわれたが、そんなに立派なものでもない。しかし、この世のなかには時間がかかることが山のようにあるのであり、いくら急いでみたとしても簡単にはいかないのである。